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三國志抄 戀〜lian〜  作者: 月
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六十二.

『蓮はある日、長櫃(ながびつ)に入れられて、他に移された。そこはあまり人の来ない静かな室で、蓮はただ(おとな)う人を迎えるだけの生活だった』

 董卓が謀殺された後、彼の近しい者はことごとく処刑された。同時に、捕らわれ人や下働きの者達は解放されたと聞いている。

 蓮はそのどちらでもなかった。

 それは、蓮にまだ利用価値があると考えて、連れ出した者が存在したということだった。

「王充に捕らわれたか」

 呂布に董卓を殺させ、政権を奪還した者の名を挙げる。

『司徒様に呂将軍をもてなせと言われたけれど、将軍は蓮がつまらなくて……。楽もあまり喜ばないし、どうして良いかわからなかった』

 (おび)えて身を固くする蓮を、呂布は好まなかった。

 武勇の誉れも高く、容姿にも恵まれていた彼は、自分に()れぬ者になどむしろ興味がない。自らスリ寄り、甘えて可愛がってもらえと叱られ、次の訪いにおずおずと腕を廻すと、ようやく彼は満足気な表情を浮かべた。

 次は(うさぎ)でも()って来てやろう。

 機嫌良くそんな言葉を残した彼に、蓮はぞっと怖気(おぞけ)立った。

 あの残忍な董卓でさえ、血のついた獣を下げて来る事はなかった。

 彼自身は、惨殺される人々を眺めながら平然と飲み食いするような破綻した人物だったが、意外なことに蓮の周りに、その血生臭さを持ち込む事はなかったのだ。

 先に待ち受ける困難を思って、蓮は泣きたいほどに不安だった。

 だが、その約束は果たされぬまま呂布の訪問は途絶える。


 政を(ほしいまま)にしていた董卓の暗殺を(くわだ)てたのは、司徒の王充だった。彼は董卓の養子であった呂布を抱き込み、帝の快気祝いの宴に参内した董卓を襲わせた。護衛として呂布を傍らに置き、信頼していた董卓は、あっけなく倒れた。

 その王允の天下は長くは続かなかった。董卓が誅されたのは四月の末の事だったが、王充は六月に入って間もなく殺される。

 誘因は王充の厳格さだった。

 董卓が討たれ、弱気になっていた董卓の配下達は、当初は逃亡か投降かの未来しか考えていなかった。

 しかし王充は特赦を許さず、命のかかった彼らは反撃へと転じる。

 残党軍は長安を取り囲み、城は十日足らずで陥落。呂布は僅かな手勢のみで敗走し、捕らえられた王充は一族共々処刑された。


『李将軍が董太師の代わりに蓮の面倒を見るからと、その(やしき)に移った』

 覇者は目まぐるしく交代した。

 (あるじ)の仇討の形で長安を占拠したのは、董卓子飼いの李(カク)と郭汜だった。

『李将軍は度度(たびたび)蓮を太師の廟に連れて行った』

 政権を握った李傕は、(さら)されていた董卓の(むくろ)を埋葬し、長安に霊廟を立てた。

 絶対的な存在であった董卓への畏怖は死後も変わらず、霊廟に祈りを捧げてから宮廷に行くのが常だった。

 李傕はその主を模倣し、きらびやかに蓮を着飾らせ、楽を奏でさせた。

『その頃、人々は大変な苦しみの中にあって、天子様や朝廷のみなさまも難渋してらしたのに、蓮は何も知らずに暮らしていた』

 政権を握った李傕と郭汜が行ったのは、己の享楽のために全てを奪い、食い尽くす事だけだった。

 それは、長安近隣の村々から人が死に絶えるほどに壮絶なものであったという。

 董卓が強引に遷都を決行し、強制的に(ラク)陽から長安へと移された民はもちろん、朝臣や女官達でさえ着るものにも困るほどの困窮ぶりだった。

 帝はそれを(うれ)い、国庫を開いて食料や物資を人々に分け与えようとしたが、それさえ李傕は不満を口にし、己のものとした。

『李将軍と郭将軍は、良くふたりでお酒を飲んでいた。最初は難しかったけれど、ふたりの話している内容から、いろいろな事を知るようになった』

 昔なじみの李傕と郭汜は非常に仲が良く、当初は争うことなく長安を支配していた。

 折々に酒を酌み交わし、蓮に楽を弾かせて酔いしれたが、涼州で生まれ育った彼らの言葉は、蓮にはなじみの薄いものだった。同郷の者同士で交わされるそれは、もはや異国語に近い。

 それでも蓮は、少しづつそれを聞き分けられるようになり、権力者が入れ替わって来た顛末(てんまつ)や、当時の情勢をも知るようになった。

『しばらくすると李将軍は、ご神託が出て太師がお許しになったからと、蓮を閨へ入れるようになった』

「神託? それまでお前に手を出さなかったのか?」

 意外な言葉に首を傾げながら尋ねると、蓮は少しためらうように指を止めた。

『蓮は太師への捧げものだから……。将軍は、御祈祷とか、おまじないとかが常で、霊廟での儀式とか、……正直、好きじゃなかった』

 奇妙な言葉を記したが、あまり語りたくはなさそうなその様子に、詳しく問いたい思いを操はひとまず飲み込んだ。

 公式な医局である太医令でさえ、まじないや祈祷で治療を行う機関がある。迷信だと内心馬鹿にしている操はむしろ異端で、人知の及ばぬことは基本神頼みである。

 戦の勝利祈願、自然災害への生贄(いけにえ)、弔いの鎮魂(たましずめ)。諸侯も何かにつけて祭祀を執り行うし、星の運行や占いで未来(さき)を読もうと試みる。

 李傕はそれへの傾倒が著しく、妖術や鬼神まで信じた彼の邸は、常に()が打ち鳴らされ、神降ろしの奇声が響き渡るような環境だった。大司馬に任じられた時でさえ、祈祷のおかげと巫女らを褒め称えたほどである。

『郭将軍は董太師がお許しになるはずがないと言って、李将軍と少し険悪になって。ふたりはどちらがより太師を思っているかと言い争った』

 言葉尻に険が混じるようになり、互いを疑うようになったふたりはやがて決裂し、武力で争うようになった。

 首都長安のど真ん中で戦を始めたのである。

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