表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三國志抄 戀〜lian〜  作者: 月
59/138

五十八.

「蓮は、(わし)を知っていたのだな」

 董卓の(やしき)の回廊で()った際、じっと自分に視線を留めていた蓮を操は思い返す。

「そなた、孤を(たす)けてくれたのであろう?」

 蓮は小さく笑うばかりで答えなかったが、否定もしなかった。

 おそらく蓮は、操が宴に招かれたのを幸いに、邸内を偵察していたのを見抜いたのだろう。自分を捜して家人がやって来るのを察し、彼らのもとへ自ら歩を進めた。

 操がそこにいることを、知らせまいとしたのだ。

 操は、あの時の蓮の行動を少々不可解に思っていたのだが、大混乱の宮中で()っていたのなら話は解る。蓮は、ささやかな恩返しのつもりだったのだろう。

「あの時、そなたは逃げようとしていたのではないか?」

 蓮の瞳がさ迷った。

 董卓の寵愛を受けていた蓮が囲われていたのは、もっと奥まった一角であったはずだ。いくら操でも、蓮が普段過ごしていた邸の奥までは入り込めない。

 あの時蓮は、独り表に出て来ていたのである。

『蓮も迷子だった』

 刻まれた文字に、操は察した様子で(うなず)いた。

 宴で董卓が不在であり、邸内がざわついていた隙を見て、蓮は室を抜け出した。だが、邸の構造をまるで知らない蓮は、たちまち迷ってしまい、出口を見つけることさえ叶わなかった。

「孤と()うたばかりに、せっかくの機会を逃してしまったのだな」

『それは違う。蓮はもう歩けなかった』

 背に負っていた傷がじくじくと痛み、不安と絶望に打ちのめされ、その場に(うずくま)るしかなかったのだ。

 蓮はそれまであまり痛みを経験していなかった。

 帝の(ねや)に召される時は、それは念入りに下準備をされる。

 何進の時もそうだった。

 だが、董卓に囲われてからは、(むご)()じ込まれる痛みも知ったし、打たれる恐怖も味わった。

 蓮は、それに耐えられなかったのだ。

『逃げるというのが、どういう事なのかも良く解っていなかった。室を出て来たものの、結局何も出来なかった。でも、あなたが居て驚いた』

 蓮はそのまま室へ戻されたが、それで満足だと思った。

 しかし、すぐに宴へと連れ出され、蓮は三度(みたび)操と会した。

『操の舞はとっても綺麗だった』

 蓮はそれを思い起こし、うっとりと瞳を閉じた。

「そなたの演奏だから、あれほど舞えたのさ」

『蓮も操が舞ったらいつもより良い音が出た。(たす)けてくれたのに、ずっとお礼が言えなかった』

「あれは救けたうちに入らぬよ」

 笑う操に蓮が首を振る。

『誰も、蓮が痛い事を思ってくれなかった』

「そうだったな。あの傷は董卓に打たれたのか?」

『本当に声ひとつ出ぬのかと……』

「惨いことを」

 やるせなさに首を振る操に蓮は差し(うつむ)いたが、気を取り直したように文字を(つづ)った。

『操もとっても意地悪だ』

 にこりと笑う。

「それはすまぬな」

 操は苦笑うしかない。

『蓮はあなたの事がずっと好きだった。でも、それに気付くのに、随分時間が掛かってしまった。蓮は何をするのも鈍間(のろま)なのだ』

「鈍間ということもないだろう?」

『蓮は良くそう言われたよ。いつもみんなに遅れたし、舞の才能もなくて落第した。出来ない事のほうが多くて、だから弦楽のおけいこは、たくさんがんばった』

「ふーむ。そなた達の教育も、いろいろ厳しいものなのだな」

 蓮の楽の才は、天賦の部分も確かにあるが、地道な努力の賜物でもあったようだ。

 鈍間とまで言われようと、コツコツと何かをやり遂げようとするこの子は、案外と芯が強いのかもしれない。

『蓮より先に相国様が気がついた。あの人は操に嫉妬していた』

「董卓が?」

 操には意外な話だった。

 蓮も、今になってやっとその気持ちを考える事が出来るようになった。

 優雅に舞うこの人を、自分はどんな瞳で追っていたのだろう。

 そして、絡み合う楽と舞に含まれるものを、その慧眼は見抜いていた。

 すでに老いを自覚し始めていたであろう男に、それはどれほどの(あせ)りを与えたか。

 董卓は残忍な男だったが、蓮を深く愛した人でもあった。

 ただ、当時の蓮は、董卓の気持ちも、操への想いも、解することが出来なかった。

 だから、あの宴の席でも、見せつけるように自分を(なぶ)る董卓が、たまらなく嫌だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ