五十七.
「そうか。そなたはあの子供達の中にいたのだな」
混乱の最中の記憶を操が引き出した。
蓮はつまらないなあと、頬を膨らませる。
せっかく自分だけの秘密だと思っていたのに、頭の良すぎる操には隠し事が出来ない。
「はは。拗ねたのか」
操はそんな蓮が愛おしく、頭を引き寄せ胸に抱いた。
「そうだったのか……。あの時に掠らえば良かったな」
ぽつりと呟く。
そうすれば、蓮はその後の苦しみを知らずに済んだはずだ。
操の思いは解ったが、それは有り得ないと蓮は思った。
もし、それが叶ったとしても、この人は自分を愛してはくれなかっただろう……
あの日。
宮中へ雪崩れ込んだ兵達は、虐殺の興奮の中で略奪と陵辱を重ねた。
逃げ惑う宦官達は宮女達の中にも隠れ、彼らを追い求めた兵達は大勢の官女を犯し、あるいは殺した。
蓮達も宮中の奥深くで、震えながら彼らを迎えた。
異変を知った世話役の者達が、せめてもと一番奥まった部屋に子供達を匿い、固く扉を閉ざしてくれたが、兵達は簡単にそれを見つけ、打ち破った。
枕童達は非常に厳しい監視下で育つ。お役目などで居住区を出る場合は宦官が運ぶほどだから、自分達が宮殿のどの辺りで暮らしているのかさえ全く知らないのだ。逃げようがなかった。
誰かの悲鳴が上がるのを、子供達は互いに抱き合いながら聞いていた。
蓮の傍らからまたひとり摘み上げられた。その手を掴もうと蓮は必死で腕を伸ばしたが、届いたのは彼の悲鳴だけだった。
その時、ひとりの男が兵を一喝した。
「子供ばかりではないか。本初は幼子まで根絶やしにしろと言うのか」
男は、苛立ちも露わに、部屋を襲撃していた兵達を引き倒した。
彼は、そこに居たのが少年宦官だと思ったことだろう。後宮は男子禁制だから、それも当然だった。枕童は長じて宦官になる者も多かったし、輪の中に、すでにそれを持たぬ子がいたのも事実である。
「なんという愚行だ。いったい、この始末をどう着けるつもりだ」
彼はそう吐き捨てると、配下の者に暴徒と化した兵の始末と消火の指示を矢継ぎ早に出し、自らもそれに加わるために足早に出て行った。
火が出ている。
子供達はその事を知り、恐怖に震えたが、どうしたら良いのかさえ解らずに、ただ身を寄せ合って泣いているばかりだった。
蓮も、泣きじゃくる幼い子供達を抱き締めながら、永遠とも思える時を過ごした。
幸い火の手はそこには及ばず、宮中の有り様は凄まじいものだったが、とりあえず蓮達は命を存えた。
あの人のおかげだ……
蓮は、その貌も、良く通る声も、深く記憶に刻んでいた。
二度と逢える事はないと思っていたが、意外に早くその男と再会することになる。
兵が宮中へ入ると、身の危険を察した張譲達は、いち早く帝と弟の陳留王を連れ、抜け道から城外へと脱出していた。
しかし、帝のいない事に気付いた袁軍も直ちにそれを追った。
追撃を受けた宦官達は河に身を投げ、帝と陳留王の行方は知れなくなった。
蛍に導かれてさ迷った兄弟を庇護したのは、何進に呼ばれて都へ兵を進めて来た董卓だった。
これにより、彼は一気に覇権を握るのである。
蓮は、董卓が宮廷に出入りするようになって間もなくその目に止まり、彼の邸へと移された。
董卓は何進のように、宮中に訪れて蓮を抱こうなどとは端から考えていなかった。
王朝への畏怖も敬意も持ち合わせていなかったこの男は、誰に憚ることなく蓮を連れ去った。そして、それを止められる者も、止めようと思う者も、存在しなかった。
やがて蓮は人の噂に昇るほどの寵愛を受けるようになり、その邸で操と再会したのだった。