五十四.
「霊帝の寵を受けたか」
操に小さな頷きが返る。
『蓮はそのために育てられた』
「そうか。それを知っているのか」
帝のために育てられる枕童が、最初に抱かれる男とは当然帝である。
ただ、数多打ち揃う女達がそうであるように、帝のために用意されていても、手が付くとは限らない。
漢朝の帝には男色を好む者が多く、かしずく美女達を押さえ、その寵愛を一身に受けて権勢を奮った倖臣も少なくはなかったが、霊帝は歴代の帝に負けぬほどの淫行を繰り広げはしたものの、稚児より美妓を好んだ。蓮が閨に招かれる可能性は、確率的にはそれほど高いものではなかった。
ちなみに操も同じだろう。彼は英雄色を好むの言葉通りの人物だが、断袖のほうでは噂も聞こえて来ない。だからこそ蓮の存在は、奇異なものとして周囲に映った。
侍童が閨の相手を勤めるのは別段珍しい事ではない。権力者に寵愛された美しい少年達の記述も多く残る。古来より、男は陽、女は陰と言われ、遂精すると陽の気が減るとされる。それを補うためにも彼らは閨中に必要とされて来たのだ。
後宮に仕える枕童には、帝の淫行を満足させる他にもうひとつ役割があった。
年端もいかない美しい子供の精は、白露・白蜜と呼ばれて強精剤として重宝された。
稚児達は己の欲望も解らぬうちから丸薬の材料を絞られ、多くはそれで役目を終える。
だが、蓮は帝の目に止まり、抱かれた。
霊帝はその初枕に満足し、蓮はその後も何度かお召を受けることになる。
『お仕えしたのは極短い間だったし、御側に上がったのは数えるほどだった』
それほど帝には愛されなかったと言っているのだろう。
それでも帝の寵を受けたのは紛れもない事実である。扱いも、他の枕童とは格段の差であったはずだ。太平の時であったなら、蓮はそれなりに安楽に暮らしていたのかもしれなかった。
だが操はそれを口にしない。
「あの楽は宮中で習い覚えたのか?」
『陛下は胡楽を好まれたから、蓮も覚えるように言われた』
異国の文化を好んだ帝を満足させるために、蓮は早くから胡琴を仕込まれた。
楽器として古いのはやはり叩く物、次いで笛の類である。
弦を掻き鳴らす琴はその後で生まれ、さらにそれを弓で擦るというのは、楽器自体も歴史が浅く、この国ではまだ珍しい存在だった。
「そなたは楽上手だからな」
蓮は楽の才を見込まれ、その目新しい楽器を与えられたのだろう。少年は、箜篌など他の弦鳴楽器も巧みに弾いた。
『蓮は歌も唄えないし、管楽もヘタクソだったよ』
実は落ちこぼれだったのだと蓮が笑う。
『操の笛はとても良い音だ。蓮は大好きだ』
「そうか。それならまた吹こう。孤もそなたの楽が好きだよ」
蓮は頷いたが、ふと貌が曇った。
『操に喜んでもらえるから嬉しいけれど、蓮の楽はあの人を呼んでしまった』
「董卓のことか。あの男は案外楽好きだったようだな」
蓮が頷く。
『操のように自身では弾かなかったけれど、楽に見識があった。気持ちを込めないで弾くとすぐに解って、蓮は良く怒られた』
その横暴振りばかりが伝わる董卓だが、文化人としての素養も持っていた。
彼は、清流派知識人を多く召し出したが、意外と彼らに人望があったことも、暴虐一辺倒でなかったことを示している。
しかし、傲慢残忍な男であったのは確かで、都に乗り込み、覇権を握った董卓は、後宮へも平気で出入りし、帝の娘さえ犯した。
その際に耳にした楽をきっかけに、蓮は董卓の目に止まってしまったのだ。
『でも、それはもう少し先の話。その前に……』
蓮は少しためらってから、何大将軍と書いた。
「何進か。そういえば、そんなのがいたな」
余談ではあるが、操の側室の中に、何進の息子に嫁していた前歴を持つ女がいる。
操はどうも未亡人に弱いというか、美しい女が哀しげな貌で行く末を儚んでいるのを見ると心が揺れる。憐憫は愛着へと変わり、結局連れ子共々面倒を見ることになるのだ。
情が深いと言えば深いが、気が多いと言えば……。まあ、やはり多情なのだろう。
そんなわけで、何進の孫にあたる子供も養育しているのだが、女の過去にあまりこだわらない操は、すっかりその事を忘れていた。
何進は、廃帝劉辯を産んだ后の兄である。