五十三.
後宮とは言わずと知れた帝の閨房である。
その深部で秘密裏に、帝のための枕童が育てられる。
数多の女達が寵を競い、そこに仕える女官宦官は数あれど、それを知る者は極僅かでしかない。奥に仕えた宦官達が虐殺され、女官達が四散した今、それらが後に伝わることもないだろう。
外部から美しい子供を捜して来て枕童として仕込む事もあったが、蓮の物を知らぬ様子から、外から来た子供ではなく、産まれ落ちた時から後宮の深部に在ったのだろうと婆は言う。
婆は、操の祖父の曹騰に仕えた人だが、その前は後宮に居たとの噂があった。侍女などではなく、もっと身分の低い婢だったと言われている。
婆は本草の知識があり、特に毒や媚薬の類に詳しい。おそらくは、後宮の最奥の部分に何らかの形でかかわっていたのだろう。
その彼女を、なぜ祖父が引き取ったのかは操でさえ知らなかったが、四代の帝に仕え、位を極めた大宦官であった祖父には、何かしらの理由があったのだろう。
婆はその祖父の言い付けで孫の世話役に寄越されたが、操の一番古い記憶にも、すでに深い皺が刻まれていた。
だが、手の付けられない悪ガキだった操を、棒を持って追い回すほど達者で豪気な人だった。随分と歳を取ったが、その気質は今でも変わらない。
操が大成してからは楽隠居を決め込んでいたが、蓮の世話を頼むのに彼女以上の心当たりがなく、この許へいち早く呼び寄せたのだ。
彼女は翠と呼ばれていた。
話を元に戻そう。
蓮が産まれたのが後宮とはどういう事なのか。
婆は言った。
後宮は枕童を造るのだと。
長じた枕童から特に容姿の優れている者、素質のある者を選び、それに相応しい女もまた選んで掛け合わせるのだと言う。
枕童は女を知ると質が落ちる。また、女を相手に出来ない者もいたから、その交わりは普通の婚姻や恋愛のようなものとは異なる。全ては他人の手と意を込められた産出だった。
そうして産まれた子供を宮中の奥底で育てると、蓮のように真っ白な柔肌の骨の細い子供になる。
血統においても閨中を満たす条件を揃え、さらに培われた技巧を凝らして枕童は造られるのである。
彼らは蓮のように花の名前で呼ばれることが多く、他の植物や鳥などの名が付けられることもあった。
名は空けば次に使われるから、蓮も何代目かの蓮ということになる。
今操のもとに居る少年は、そんな枕童の中でもおそらく最高級品だろうと婆は言う。
造られた子供の全てが容姿に優れているわけではなく、上手く育たない子もいれば、枕童としての教育に失敗する場合もある。
そういう子供はどんどん外に払い下げられたり、別の用途に使われ、刹那的な支配欲や加虐的な遊びのためではなく、真の意味で帝の性欲を満たせる枕童は、極ひと握りの傑作品なのだ。
蓮がそのひと握りであったことは、想像に難くない。
匂い立つような容姿はさることながら、蓮は淫の質が深く、それでいて恥じらいも身に付けている。
持って産まれた質もあるが、無理に開いてはこういう子供は出来上がらない。急げば不感になってしまったり、甘ければ明け透けになったりと、枕童の仕込みは加減が難しい。父母の質でも良かったのだろうか。蓮はかなりの手を掛けて、丁寧に磨かれたのだろうというのが婆の推測だった。
溺れるぞえ。
操に、そんな事も言った。