表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三國志抄 戀〜lian〜  作者: 月
5/138

四.

 月明かりの(もと)に、たゆとう河の流れがあった。

 ひたひたと響く水音が、時折月光を受けて(きらめ)く。

 この流れに身を任せたら何処(どこ)辿(たど)り着くのだろう。

 ぼんやりと水面(みなも)を眺めながら、蓮は思った。

「このまま河の流れに身を投じたい。そんな風情だな」

 不意に声を掛けられ、はっとして蓮は振り返った。

「死ぬより先に(たす)けられてしまうぞ」

 からかうような響きで(のぞ)き込む男から、蓮は瞳を逸らした。

 言われるまでもないことだ。

 剣を手にしてさえ、それは叶わなかったのだ。

 ただ傷つけて終わった(てのひら)に、巻かれた白さが目に痛い。

 その手を取られ、蓮は心の内に小さく悲鳴を上げた。

「痛むか?」

 咄嗟(とっさ)に身を引こうとした蓮に彼が問う。

 (うつむ)いたまま小さく首を振ると、男は指先を自らの(くちびる)に含んだ。

 思い掛けないそれに、(からだ)が小さく震える。

「傷が癒えたら楽を聴かせてくれ」

 その言葉に蓮は一瞬(かお)を上げた。

 が、すぐに頭を下げ、逃げるように男の横をすり抜ける。

 遠ざかる乱れた足音に、操は僅かに眉根を寄せた。

「傷に熱がある。今一度薬師(くすし)に診せよ」

 その命に、闇の中から応ずる気配があった。


 操が蓮と()う童と出逢ってから、早数年の時が経っていた。

 董卓が呂布に誅されると、一門の者はことごとく惨殺され、寵童として(そば)近く置かれていた蓮の境遇も大きく変わっていた。

 呂布もまた追われた都では、董卓の配下であった武将達が権力争いに明け暮れ、長安は大いに乱れた。董卓派の武将達を快く思わない朝臣達の画策もそれに拍車を掛け、蓮はその中で翻弄(ほんろう)された時を過ごしていた。

 幼くして御位に着いた歳若い天子は、近習らを引き連れ、乱れた長安を脱したが、追撃され、敗走しながら、一年近くも放浪の旅を続けた。

 一行がようやく辿り着いたのは、かつての都である(ラク)陽だった。

 だが、漢王朝は衰退を極め、帝が旧都に戻っても食料を供する者さえなかった。

 董卓によって焼き尽くされた街には風雨を(しの)げる所もなく、美しかった雒陽は見る影もない。

 そこは廃墟だった。

 帝の一行は、餓死者を出すほどに困窮していた。

 それを知ってなお、諸侯は動こうとはしなかった。誰もが漢王朝の滅亡を望んでいたのである。

 ただひとり、曹孟徳だけが帝の庇護を表し、雒陽へ兵を進めて天子を奉戴した。

 その一行に、蓮は在った。


 軍閥におもねるように、朝臣が宮女の提供を暗に示した。

 お望みなら枕童もおります。かの董卓が寵愛した者。それは良い夢を見せますぞ。

 その諂笑(てんしょう)にうんざりしながら、操はふと思った。

 董卓の寵童とは、あの童の事であろうか?

 その反応を興味と捕らえたのだろう。操はその少年と引き逢わされた。

 力無く座した蓮は、ただぼんやりと地に瞳を向けていた。

 ご所望なら今宵にでも。

 露骨な勧めに、操はその少年の過ごして来た日々を思った。

 蓮は全てを諦めているのか、何の反応も示さなかった。

 だが、朝臣が操を呼んだ時、その視線が(かす)かに動いた。

 操の声を耳にして、ようやく少年はゆっくりと貌を上げた。

 やつれて……

 そのおももちに、操の心は痛んだ。

 一行の衰弱は凄まじく、大人でさえ餓死に及んでいる。少年がこの苛酷な日々を生き延びていたことは、あるいは奇跡なのかもしれない。

 だが、やつれても蓮は美しかった。

 数年の間に童と呼ばれる歳から少年へと成長していたが、その貌は記憶のままに麗しく、冴え冴えと(はかな)く愁いていた。

「幼子がご一緒か。すぐに薬師を差し向けましょう」

 操はその誘いを退けると、つかつかと歩を進めた。


 操がそれとなく蓮の事を調べさせると、おおよその想像と大差ない日々がそこにあった。

 心身共に疲れ果てている。

 操の遣わした薬師はそう診立てた。

 己の行く末を悲観したのか、少年がその身へ(やいば)を向けたのは間もなくの事だった。

 薬師からの知らせに、操は自ら蓮のもとへと足を運んだ。

「怪我は?」

「もみ合った際に手を切っただけです」

 視線の先に小さな姿があった。

 泣く気力もないのだろう。蓮は精魂尽き果てたように、ただそこに在った。

 力無く置かれた手に、白く布が巻かれている。

 周りの者に押さえられ、剣を取り上げられて命はつないだが、もはや先への望みは(つい)えたかのように、その瞳は何も映してはいなかった。

 操はその傍らへと歩を進める。

(わし)を覚えているな?」

 その問いに、微かに蓮の瞳が動いた。

「この者はこれより曹操が庇護に置く」

 操はそう宣言し、翌日遷都を採択した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ