四十三.
「主公。ひとつお伺いしたき儀がございます」
「なんだ?」
ためらいの末に声を掛けたのに、嘉はまた言い淀んでしまった。
沈黙の後、嘉はすっと手を着いた。
「主公。主公はこの身も最大限に使ってくださいますか。それなれば、この郭嘉。命に代えて軍師祭酒の任、お受け致します」
「そなた……」
操は双眸を閉じると、ひとつ溜め息をついた。
「やはり王の事、気付いておったな……」
操は先の戦で、兵糧の統轄をしていた男から大きなものを借りた。
厳しい天災と補給路の不備で、曹軍は兵糧の危機に陥った。
友軍として合流していた呂布と劉備の軍は、古よりの習いで奪略を当てにしており、ろくに食料の備えもない。その辺りは洪水と袁術の搾取で、奪える物など何もない土地だった。
両軍への支給もあり、兵糧はたちまち底が見え始めた。
糧は兵の要である。一兵卒達が命の危険を承知で軍に身を置くのは、ひとえに飯が食えるからだ。それが不足していると知れては士気にもかかわる。なんとか伏せて割り振りしようとしたが、陣中に不満が充ちた。
軍を引くべきか悩む操のもとに、彼が忍んで来た。
翌日、その男は縛され、処刑された。
名目は、彼が私腹を肥やすために食料を横領していたというものだった。
兵糧不足の事情を知っている臣達は、それが濡れ衣だと解っていた。
君はひとりの男に全ての罪をなすり付け、惨たらしく首をさらしたのだ。その非情さに恐怖し、身を震わせた者もあっただろう。
だが、嘉はどこか腑に落ちないものを感じた。
確かに曹孟徳と謂う男は非情で冷徹な面を持っている。鬼に徹して人も殺したし、激情のままに虐げても来た。乱世の為政者の常としても、それを弁護するつもりはない。
このたびの事も同様だ。そこにどんな事情があろうとも、殺した事に変わりなかった。
ただ、王と謂う芯のある男を思った時、その処刑のされ方に疑問が残ったのだ。
責任感の強い彼は、自らの不始末であると、その決着を考えはしなかっただろうか。
どうせ失うなら、より効果の高い使われ方をしたほうが良い。それは、この場合、自害より処刑ということだ。
「奉孝、良いか。人の役割はそれぞれだ。そなたにはそなたの成すべき事がある。それを忘れるな」
「はい」
嘉が頷く。
あの時、この首では、彼ほどの力は持たなかったかもしれない。たぶん、自分が命を賭ける局面は、他にあるのだ。それが、それぞれに与えられた人の役割というものなのだろう。
「このような話を蒸し返して、申し訳ございません」
せっかく蓮が癒したであろう傷を、自分がこじ開けたのだと思うと忍びなかった。
「かまわんさ。だが、これでそなたは半分負ってしまったのだぞ」
彼が負った責、心の痛みをという事だろう。
「はい。半分と言わず、全てでも。私で叶う事なれば、喜んでお引き受け致します」
「……そちと言い、蓮と言い、大馬鹿者だな」
ひとつ溜め息を落とし、操は呟いた。
ふたりは決して権力におもねってそれを行うのではない。
主君としてではなく、ただの人としての自分のために、彼らは手を差し伸べ心を癒す。
ありがたいことだと、操はつくづく思った。
「で、軍師祭酒の件は良いのだな?」
にやり。と一転、操が笑った。
ううむ。と内心嘉は唸る。
が、まあいいか。とも思った。
持てるだけの力で務めを果たすのが、死した者への餞であり、君への忠だった。
今以上に働ける場を与えられるということだ。そう思って割り切ってしまおう。
どちらにしても、ありがたい話には違いなかった。
嘉は礼を取ると、慎んでそれを受けた。