四十二.
それから幾日かが経ったある日。
嘉は君に召され、その私室に座していた。
操が彼を室へ呼んだのは、公にではなく、特別に召して話したい事があったからである。
「奉孝。軍師祭酒の件だが上奏するよ。受けてくれるな」
簡単な雑談の後、ずばり彼は言った。
操は新しい官職を設け、嘉に就かせようとしていた。手続きとして上奏の順は踏むが、否は無い。これはすなわち決定であった。
「それは……」
珍しく嘉が言い淀んだ。
彼は少し居住まいを正すと、その顔を上げた。
「主公。以前にも申し上げました通り、私は位や禄が欲しくて主公のもとに参ったのではありません」
「うん。解っているよ」
郭嘉は気ままに市井に遊び、不品行と糾弾されてもどこ吹く風で、厚顔無恥の男のようだが、実は意外に慎み深く、奥ゆかしい。
彼は感覚的に少し現し世から離れたところがあり、金や名誉などをさほど重要視してないのも事実だが、突出するのを拒むのは、まだ新参の身であると共に、彼が操の重臣達の中で各段に歳若だからである。
嘉はこの時、三十に満たない歳だった。
それゆえに彼は、幕僚達の前では丁寧な口調を崩さず、出過ぎた真似もしない。
無論、その献策は鋭く、言うべき事は言う男であるが、その全てが人より抜きん出るためではなく、君である操のためだった。
それを知っているから、操も余計に嘉が好ましい。
何よりもその才はずば抜けており、操は自分の顧問的立場に彼を据えるつもりなのだ。
官名が示す通り、現在の司空祭酒の務めと軍師を兼ねろと言っているに等しい。軍師と謂う職務は、軍事だけに留まらず、政や法などの多岐に渡り、その参謀的役割を担う。何かにつけて相談し、協議する相手として、嘉を傍に置きたかったのだ。
操が厚く遇した謀臣に荀彧があるが、彼は操の臣であると共に、尚書令と謂う官位を持つ朝臣でもあった。
もちろん、その就任には操の意が含まれている。
彼の卓越した才は十二分に応える形で発揮されており、彧に不足があるとかそういう事ではない。
ただなんとなく、郭嘉は純粋に自分の臣だという気持ちが操にはあった。
郭奉孝を推挙したのは、その荀文若だった。
人材を求めていた操の相談を受け、彼は同郷の嘉を推した。
もっとも、少々変わった男ですが。と、付け加えるのも忘れなかったが。
高官を多く出した名門荀家に生まれ、王佐の才があると若くして言われた彧は、なかなか佳い男で、いつも趣味良く身なりを整えていたが、清廉潔白が服を着て歩いているようなもので、浮いた噂のひとつもない。
その彼が、不品行を差し引いても迎える価値があると推した男に、操は興味を抱いた。
同郷のよしみなのか、まるで正反対のようでいながら、このふたりは仲が良かった。
彧は操の重臣達の中では若いほうだが、それでも嘉より七つほど上であろうか。
おそらくは、この年下の男が危なっかしく映るのだろう。彧は事ある毎に嘉に説教を垂れ、その生活振りをなんとか正そうとしていた。
そんなふたりの関係が、操はおもしろくてならない。
荀文若には内政を任せ、夏侯元譲のような豪の者達と乱世を戦い、郭奉孝は相談相手として常に傍らに置く。
それが、操の描いた理想図だった。
「受けねば、もっと高い官に推すぞ」
ふふん。と操が嘲う。
もちろん、これは嫌がらせである。
嘉は、そんな君に憚りもせず溜め息をついた。
彼は、人材というものを、とにかく求める君だった。
その才を認めれば、敵であれ、犯罪者であれ、細かい事は気にしない。
あの劉備を迎えた時にさえ、彼やその義弟達を配下に欲しいという気持ちが、君の心の内にはあったようだ。それを、蓮の鵺呼ばわりで諦めたフシがある。
彼は欲しいとなったら手段は選ばない。
どこぞに逃げ込めば火を掛けて炙り出し、病と偽れば牀ごと縄で括って引っ立てる。それくらいはやる男なのだ。
――自分は一本釣といったところかな。
嘉は苦笑する。
曹孟徳と謂う男は、この上もなく魅力的な生餌だった。