三十八.
さて、袁術である。
この時期、最も大きな勢力を持っていたのは冀州の袁紹であるが、袁家は四代続けて三公と呼ばれる高官を出した名門で、紹と術は従兄弟でありながら腹違いの兄弟でもあった。
嗣子がなかった同族を、紹が養子に入る形で継いだためである。
妾腹の紹に対し、術は正妻の子で、彼はこの出自にこだわり、事ある毎に紹と張り合った。
彼らから見れば、宦官の孫である曹操など成り上がり者である。ひとつの勢力として認識はしていたであろうが、軽んずる思いも持ち合わせているはずだ。
袁術は帝位に即いた事を知らしめる勅使を各地に放ったが、中には公然とそれを跳ね除ける者もいた。
徐州に在り、操と敵対する呂布もそのひとりで、偽帝からの勅使を縛して許へと送り届け、袁術から報復の兵を出されたが、それを退けていた。
だがそれは、大戦の前の序に過ぎない。
帝を称した袁術が目指すのは、もちろん漢王朝の幕引きである。
彼は許へ向けて軍を発し、それを迎え討つために操は出立した。
時に、涼秋の九月の事である。
蓮は、婆の奨めを受けて、操の留守を寮で過ごす事にした。
丁氏が退いた後、操は卞氏を正妻として据えた。
長年苦楽を共にして来たお気に入りの即室であり、丁氏と共に奥向きの事を取りまとめて来た人でもあったので、誰も異を唱えなかった。
また、彼女は穏やかな気質で、他の寵姫達と争った事もない。蓮の事も、何くれと心を配ってくれるだろう。
操は相変わらず、蓮の事だけは心に懸かっていた。
今回の戦には郭嘉も伴うつもりだ。
この間は徐州の不穏への備えを盾に、新婚の身である事を引き合いにして許へと残らせたが、もう納得はするまい。操もまた、この愛臣を傍に置きたかった。
自分の留守内の事を頼むには、卞以上になかった。
蓮は操の心遣いを深く感謝したが、やはり彼が不在の府へ留まるのには不安があった。
婆もしきりにそれを言い、寮へ下がる事を奨める。
戦から戻ったら必ず迎えに行くと操が約すと、蓮は嬉しそうに頷き、ようやく婆の言を受け入れた。