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三國志抄 戀〜lian〜  作者: 月
36/138

三十五.

 呼ばれて室に入って来た姿に、嘉ははっと目を(みは)った。

 少年のその印象は、(まと)う空気さえ変えていた。

 蓮は操に招かれて傍らに座ると、明るく清んだまなざしを嘉に向け、先日の心遣いの感謝を(てのひら)に伝えた。

 深々と礼を示す蓮を、嘉が(とど)める。

「私は友人としてあなたに見舞いの品を贈ったのです。そんな事をしてはいけないよ」

 驚いたように(かお)を上げた蓮が、ぱっと嬉しそうに笑った。

 こくりと可愛く(あご)を引く。

 愛らしいと思った。

 それから蓮は一生懸命に言葉を探し、その気持ちを伝えようとした。

 嘉の贈った品のどこが好きなのか。

 どう感じたのか。

 その気持ちがどれほど嬉しかったのか。

 この少年がこんなふうに物事を語ろうとするのにも驚いたが、品を選ぶのにいろいろと思い迷った嘉は(むく)われた思いだった。

 相槌を打ちながら、まだたどたどしい蓮の話と向き合う。

 そのまなざしは蓮を見守るように暖かく、蓮もまた嬉しそうに頬を紅潮させながら、愛らしいかんばせを向けた。

 そんなふたりが微笑(ほほえ)ましく、操は目を細めてそれを眺めた。

 蓮はひと通り伝え終えると、操にその貌を向け、にこりと笑った。

 郭嘉を連れて来たことへの感謝だろう。

 ひとつ(うなず)いて、操も笑みを返す。

「蓮、隣室へ酒を用意させた。そちも付き合え」

 こくりと蓮は頷き、席を整えるために先に立った。

「随分と、印象が変わりましたな」

 その背を瞳で追いながら、嘉が傍らの操に(つぶや)いた。

 かつての少年は密やかで、静かに内へ内へと向かっていたように思ったが、今の蓮は違った。全てが外へと開かれているかのような印象だった。

「愛らしいだろう。もうやらぬぞ」

 にやりと操が笑う。

 このオヤジは……

 天下の曹操に、嘉は内心でそんな悪態を()いた。


 招かれた宴席には膳が添えられていた。

「お食事がまだでしたか」

「ああ。文若達のおかげで、(わし)はメシを食う暇もないぞ」

 内政を取り仕切る者達の仕打ちを愚痴りながら、操はそれらを口に運んだ。

「そち達も付き合え」

「はあ……」

 気乗りしない様子で嘉がそれに視線を落とした。

 その痩身を操がぎろりと(にら)む。

「そなたはもう少し食べて太らねばダメだ。蓮そちもだぞ」

 操は少々なで肩なので華奢に見えるが、その実は鍛え抜かれた鋼のような(からだ)をしている。彼は政治家としても有能だが、本質は武人なのだ。

 対して、嘉はひょろりと背ばかり高く、骨の細い男だ。

 蓮はもう見たままに華奢で、腰など折れてしまいそうだった。

「孤はそち達に達者でいてもらわねば困るのだ。せっせと食べて、孤を安心させてくれ」

 操の家臣は殺しても死にそうにない男達ばかりだ。謀臣達でさえ、この乱世を泳ぎ渡る胆力を感じさせる。

 だが、このふたりからはその(たぐい)のものを感じ取れず、どうにも心配なのである。

 操は自分も含め、戦で命を落とすのは仕方がないと思っている。生死を懸けて戦っているのだ。弱い者が死ぬのは当たり前だった。

 だが、武人ではないこのふたりが死ぬのは、戦場(いくさば)での命のやりとりではない。彼らを失う事は、想像であっても考えたくはなかった。

 操は自分の食事に(かこつ)けて、ふたりに食べさせたかったのだ。

 蓮がそれを口に運び、美味しいと笑った時、操は顔を輝かせて頷いた。

 嘉はその様子に君の思いを()る。

 ただ、蓮は解るとして、なぜ自分に言うのかと思う。

 確かに太れない(たち)だが、別に食が細いつもりもなかった。

 まあ、不摂生は不摂生だが……

 ――この人に言われるくらいだから、少し慎もうかな。

 まだ少し嘉は、君に身持ちの事を言われたのを根に持っていた。

 操……

 蓮が綺麗に(おとがい)を上げて呼んだ。

 その姿に思わず嘉はえっ…と思う。

 今確かに少年は君の名を呼んだ。

 口のきけない子だが、はっきりと嘉にも解った。

 なぜか、鈴を転がすようなその声さえ、聞こえた気がした。

 おそらくは、君自らそれを教えたのだろう。

 嬉しそうにそれを受け、慈しむような瞳で蓮と語り合う。

 ――()けるなあ。

 そんなふたりを眺めていると、自然と笑みが(こぼ)れた。

主公(との)。私は少々惜しい事をしましたかな」

「ん?」

 嘉に瞳を(とど)めた操が、ふっと笑った。

「そうであろう?」

 誇らしげに視線を流す。

 蓮だけが、きょとんとそんなふたりを眺めていた。

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