三十二.
真夜中。
息苦しさに蓮は目覚めた。
渦巻くような哀しみと怨嗟の声が、胸を締めつける。
わけが解らないまま蓮は、闇から操を守るように両の手を広げた。
止めて!
ずん…と、胸に痛みが走った。
息が乱れて思わず胸を押さえる。
その時。
リン……
と、微かな鈴の音が響いた。
――誰?
肩で呼吸を刻みながら、蓮はそれを見つめる。
人影は、若い男のように思えた。
それはしばらく操を見ていたが、深々と頭を下げると、すっと消えた。
突然、蓮の心に哀しみが溢れて来た。
ぽろぽろと涙が零れる。
あの時と一緒だった。理由も解らず、ただ哀しい……
――ああ。これは操のものだ。
不意に思う。
自分は、この愛しい男の秘めた思いを掬んで、代わりに泣いているのだと。
――あなたが亡くしたのは誰?
近しい人を亡くしたと、婆が言っていたのを思い出す。
蓮はそっと操の胸に触れた。
でも、あの人だけじゃない……
カナシイ。セツナイ。イタマシイ。
渦巻くようにその胸には、慟哭が秘められていた。
彼は、自らがかかわった全ての命を、悼んでいるのだろうか。
蓮はそれを引き受けたいと思った。
たとえこの身がどうなってもいい……
初めて抱く感情だった。
祟るなら、どうかこの身に――
蓮は闇に向かい、泣きながら懇願した。
「いかがした? 怖い夢でも見たか?」
泣いている蓮に気付き、操が身を起こした。
首を振る蓮を腕に引き寄せ、はっとする。
「そなた。熱があるではないか」
高い熱だった。
婆を呼ぼうとする操を、蓮が引き止める。
離れたくなかった。
「婆! 翠婆!」
縋りつく蓮を抱き止めながら、操は婆を呼んだ。
胸の中で嫌だと蓮が首を振る。
操の声に慌ただしく婆が近付いて来た。
「お前さん、闇にあてられたね」
じっと蓮を眺め、婆が言った。
操は迷信めいた類をいっさい信じないが、婆の言う事が嘘だとも思わなかった。
ふと操は、目覚める前に夢を見ていたような気がした。
良くは覚えていないが、婆の言葉に不意に亡くした昴を思い出す。
蓮がまた腕の中で首を振った。
だが、何に違うと言っているのかは、良く解らなかった。
寝かしつけようとしても、蓮は操から離れようとしない。
なだめてもすかしても首を振り、操にしがみついて泣いた。
「気持ちが落ち着くまで、そうしていておやり」
諦めた様子で婆が言った。
それに頷き、操は蓮を腕に抱いたまま、しばらくを過ごした。
何も言わず、ただ蓮の涙を抱き止める。
「蓮。辛い事は全て孤が引き受けよう。そなたは笑っていてくれ」
やがて泣き疲れた蓮が沈み込むように眠りに落ちるころ、操のそんな呟きが聞こえたような気がした。