二十九.
寮へ着くと、操は蓮を抱いたまま、まっすぐに室へと向かった。
そのまま牀へ上がり、蓮の肌を大気へとさらす。
それは、この間ここへ来た時と、まったく同じだった。
ただ異なったのは、道中の輌の中でふたりが接吻けを交わし合って来た事である。
蓮の躰にはすでに焔が灯り始めていた。
すっと操の懐に手を差し入れると、その首筋に脣を寄せる。
明らかに蓮は変わっていた。
情交の果てに我を忘れて求めることはあったが、自ら抱かれようとすることなど、今までは決してなかった。
かと言って、逆らうのも諦めた様子で、ただ瞳を伏せて従う。
蓮のその従順さは、むしろ拒絶に思えた。
操自身に脣を寄せたのも、躰への負担を軽くしたいがためだっただろう。
蓮には口淫の術も仕込まれており、それを遂げるのもそう難しい事ではない。
そんな蓮がもたらす蕩けるような時間の中には、どこか心の醒める思いがあった。
しかし、今の蓮からは、まるでそれを感じなかった。
愛しそうに頬を寄せるその貌には、時折恍惚さえ浮かんだ。
「蓮……」
操に呼ばれ、少年が潤んだ瞳を上げた。
その躰はすでに操によって開花かれ、蓮の吐息は艶やかに染まっていた。
「おいで」
操が腕を伸べると、少しためらいを見せながら、蓮はおずおずと膝を進めた。
操の胸に縋るように腕を絡ませ、腰を沈める。
「辛いか?」
苦悶の表情を浮かべる蓮を気遣うが、少年は眉根を寄せたまま首を振った。
ああ…とその脣がほころびる。
操にも悦楽が絡みついた。
蓮はもう最初の波が来てしまったらしく、きつく瞳を閉じて頤を上げた。
しっかりと抱き締めてやると、腕の中で蓮が震えた。
操に促され、ゆっくりと蓮が腰を動かす。
華奢なそれが艶かしく蠢き、白い背が反りを描いた。
愛しいその姿を眺めながら、操もまた頂きへと昇って行った。
「操。孤の名だ。呼んでみよ」
再び自分の名を繰り返す脣を、蓮は零れ落ちそうな瞳で見つめた。
やがて花びらがほころぶように小さく口を開くが、それは言葉を象取ってはいない。
蓮は口がきけない。
ただ声が出ないのではなく、言葉を形取る事も出来なかった。
蓮は耳が聞こえないわけではない。
相手の言っている事が解るのだから、言葉も理解している。
たとえ声は出なくとも脣の動きで話したり、逆に言葉を成さなくても声だけは上げるなど、何かしらしそうなものなのだが、蓮は意を伝える事そのものが欠落しているかのように話せないのだ。
知識ある者に診せても原因は判らない。
あるいはと思って教えてみたこともあるが、蓮は嫌がって泣き出してしまった。
だが、操は蓮に自分を呼ばせたかった。
それも、主公などの敬称でも、字の孟徳でさえない。
名の操である。
実名とは、その人にとって大変重要なものである。
名は霊的人格そのものであり、それを呼ぶことでその霊的人格を支配出来ると考えられていたため、主君や目上の親族、師と仰ぐ人からならともかく、普通は名を呼ぶのは大変無礼な事とされていた。
親しい間柄であれば字で呼び合うし、目下の者なら官職や敬称で呼び掛ける。
避諱という慣習もあり、尊者の名は文字としても使わないくらいなのだ。
しかし操は慣習などどうでも良いと思っている男だ。
そして、むしろ、それがあるからとも言えるだろうか。
自分の極近しい者として、あるいはそれ以上の待遇で蓮にだけはそれを許し、名を呼ばせる。それは、ひどく甘美な事だった。
蓮になら、霊的人格だろうが、なんだろうが、己の全てを明け渡してもかまわなかった。
蓮のその愛らしい脣が自分の名を象取る。ただそれだけが望まれてならなかった。
もっとも操の場合、姓と名は同音だから、操が名と思えば名なのであって、ある意味自己満足に過ぎない。逆に、誰かに見咎められても、曹だと誤魔化せる利点もあった。
ちなみに蓮は恋と同音である事から、古来より恋の花として詩歌にも多く詠まれて来た。この子がその美しい花の名を与えられたのは、人知を超えた天の差配なのかもしれない。
小さく発音を区切って蓮の指で辿らせる。
舌の動きまで丹念に教え、少しずつ蓮のそれを形付けて行く。
癇癪持ちの操にとっては驚異的な忍耐だったが、蓮の真摯なまなざしは愛らしかった。
操……
まだゆっくりでぎこちないが、それでも形になって来た。
「うん。今のはだいぶ良いぞ」
顔をほころばせて喜ぶ操に、蓮も嬉しそうだ。
もう一度繰り返し、破顔う。
その愛らしい様に、思わず少年を抱き締めた。
蓮は感情表現の豊かな子ではない。彼なりの喜怒哀楽は当然あるのだが、僅かにしか表に出さないから、感情そのものがないようにすら見える。ずっと耐えることばかり強いられて来たせいだろうが、操はそれも解き放ちたかった。
事ある毎に蓮を困らせたり、怒らせたりしていたのは、そのためでもある。
愁いている蓮も美しい。
怒りに高揚するかんばせも格別だった。
だが、この笑顔こそが見たかったのだと、操は改めて思った。
操……
腕の中で蓮が自分を見つめ、脣で名前を呼んだ。
その求めのままに接吻けると、蓮は甘く吐息をついて操の胸に貌を埋めた。
愛おしい……
操はその腕に力を込め、ふたりはまた深い倒錯へと身を沈めて行った。