二十二.
婆の言を受けた操は、早速嘉を自室へと招いた。
「孤の留守中いろいろと世話になったそうだな。礼を言う」
「それほどの事は何も」
「そちらしくない物言いだな」
嘉は黙って首を振った。
謙遜ではなかった。
話を打ち明けられた嘉も心を痛め、出来ることなら蓮を見舞ってやりたいと思った。
だが、表立って自分が訪ねて行けば、人は有らぬ噂を流すだろう。
不品行者として名高い自分の事ならいっこうに構わないが、君や蓮を辱める行為は断じて出来ない。気の紛れそうな品をいくつか選んで婆に渡すのが、嘉に出来た精一杯だったのだ。
「そなたからの見舞いの品で、蓮は随分慰められたと婆が言っていた」
「それなれば嬉しい限りです。ですが、主公の無事なお帰りが、蓮殿には何よりでしょう」
嘉の言葉に、ふと操が視線を泳がせた。
らしくないな。と嘉は思う。
らしくないと言えば、いつもの快達な空気が影を潜めていた。
まだ心を痛めておいでか……
無理もないと思う。
この人は、我が子を亡くしたというのに、表立って嘆く事も出来ない。
かの地で命を落としたのは、この人の息子だけでなく、数多の兵もまた犠牲になっているのだ。
あの惨事は全て曹孟徳の責だと非難する声が、家中にも高い。
おそらくは、君自身もそう思っているのだろう。
その彼が、己が子の死だけを哀しむわけにはいかなかった。
典韋を悼む気持ちは本当だろう。
だが、あの慟哭の中にあったのは、ただひとりの豪傑への想いのみではなかった。
「奉孝。孤は蓮を離そうと思う」
ぽつりと彼が呟いた。
「臣に要らぬ心配を掛けるのも、有らぬ憶測で罪もない蓮が渦中にあるのも、皆孤のせいだ。奥での一件にしても、宛での事も、全てこの身持ちの悪さから来ておる。孤は今回の事で、己にほとほと愛想が尽きた」
――おいおい。大丈夫かよ。
嘉は内心困ったと思った。
この主君は我が道を行く、唯我独尊の自信過剰男でありながら、喜怒哀楽が激しいから、たまにどっぷりと落ち込む事がある。
ただ、根が磊落なので、そのうちケロリと立ち直り、早くも激怒したり、快笑したりしている。
もう年中行事みたいなものだから、近臣ともなればそのあしらいなどお手のものである。
――けど、今回のはかなりキテるよなあ。
どうしたものかと嘉は思案を巡らせる。
ただ、この人は本当に、蓮と謂う少年を手放して良いのだろうか?
「後悔なさいませんか?」
「後悔してもどうにもならぬ。あれは孤には心開かぬ」
そうだろうかと嘉は思う。
あの少年に、別段彼の事を嫌っている様子は見られなかった。あの子なりに心を尽くして仕えている事は、嘉が同席した短い時の中でも十分に伝わっていた。
ああ、でも、主公が求めているのはもっと先か……
要するに、彼はあの少年の全てが――
髪のひと房も、小さな足の爪も、その心の隅々までもが全て欲しいのだ。
こればっかりは当人次第だから、嘉には何も出来ないが、それほどまでにこの人の想いは深いのかと思う。それならばなおのこと、その手を離すべきではないのではなかろうか。
「主公。蓮殿は件の夜を泣いて過ごされたそうです。今も時折月を眺めては涙されるとか。せめてお見舞いなりと」
「……うん。そうだな」
嘉の言葉に操が小さく頷いた。
操は蓮とも逢っていないが、戦から戻ってから奥の女達のもとへも訪れていない。卞と話したのも、夜の閨房での事ではなかった。しばらくは身を慎むつもりだったのだ。
だが、蓮のもとには近いうちに訪なって、奥での一件を詫びねばと思っていた。
ここまでは、嘉の思惑通りである。
愛しいその貌を見れば、その深い想いが胸に渦巻いて、この人のことだ、案外ころりと気が変わるかもしれない。
そして、あの蓮と謂う少年は、きっと彼の纏う空気の違いに気付くだろう。
それで蓮がどう出るかは解らない。それに頼るつもりも、ましてや何かを強いるつもりなんてない。どう転んでもそれはそれ。上手く行かずに、まだ彼が立ち直らないようなら、次の手を考えるまでだった。
盛り場へでも連れ出してみようか。それとも、戦のほうが良いかな……。
嘉は様々に思いを巡らせる。
「奉孝。あのな……」
「はい?」
「……いや、良い」
珍しく曹孟徳は言い淀み、やがて嘉を下がらせた。