十六.
その戦の準備は、徐州攻略のために始められたものだったが、途中で状況が変わった。
西南に許を窺う気配があり、軍は宛へと向けられることになった。
もっとも、蓮にとってそれはどうでも良い事だった。
蓮は戦が嫌いだ。
馬の嘶きも、耳障りな武器の触れ合う音も、人々の活気も、ざわざわと伝わって来ては蓮を不安にさせる。
戦禍に翻弄されて来た辛い記憶がじくじくと蘇り、心の中で膿んで爛れた。
室を出る気にならず、琴にも手を触れない。
ここしばらくは彼からの音沙汰もなく、蓮の気鬱に拍車を掛けた。
寂しい……
ふと、そう思った。
「愁い貌だな。そういうお前も美しい」
久しぶりに訪れた操は、牀の上で蓮の髪を絡め、なめらかな頬を辿ると、うなじから引き寄せ接吻けた。
見つめられて蓮は瞳を伏せる。
戦を前にしているせいか、纏う空気に微かな猛りがあった。
少し怖い……
そう思った。
「お前は、従順に振る舞いながらも決してその心は開かぬ。仲穎もさぞかし焦がれただろうな」
蓮は驚いて貌を上げた。
仲穎とは、かつて蓮を寵愛した董卓の字である。
「言われた事があるか」
薄い脣が冷笑った。
こういう時の操はひどく冷淡な顔になる。
蓮は脅えて逃げようとした。
それを強引に引き寄せられ、舌を搦め捕られて蓮は戦慄いた。
「董卓にどう責められた?」
絹のような肌に舌を這わせながら操が問う。
彼はすでに蓮の躰を知り尽くしている。
それらを攻め抜かれ、蓮は狂い乱れた。
頂みに追い詰められて哭く蓮を、操がさらに追い上げる。
「蓮、孤を見ろ」
蓮が瞳を閉じるたびに男が命じた。
何度も何度も彼方へと突き上げられ、意識が遠のくたびに彼が言う。
「曹操を見よ!」
蓮は泣き濡れたまま、遥か彼方へと堕ちて行った。
婆はその有り様に呆れ果てて吐息をついた。
乱行のままに乱れた牀に、少年が力尽きて伏している。
すでに夕刻に移るというのに、蓮は身動ぎもせずに横たわっていた。
生きているのかと心配になって耳を寄せると、微かに鼓動は聞こえて来る。呼吸のために薄く上下する白い肌も、刻まれた愛欲の印を深く残していた。
せめて楽な姿勢で寝かせてやろうと手を添えると、僅かに抵抗するように腕が空を掻き、引き絞るような吐息が漏れた。
あの男は鬼畜か……
刻まれた淫行の深さに思わず婆は天を仰いだ。
だがこれは、曹孟徳の嫉妬だった。
彼は、かつて蓮を愛した男達に妬がれ、思い通りにならない蓮に焦がれた。
決して手に入れられぬ宝を求めて、泣き叫けぶ心の内を見た思いだった。
そして、その全てが蓮への深い愛執から来ている事を、婆は良く解っていた。
黎明のころ、静かに牀を離れた操は、乱れた蓮の髪を撫で、頬に残る涙を掬むようにそっと接吻けた。
その表情がどんなものだったか、婆は見なくても解る。
「すまぬ、婆。頼む」
操は振り返りもせず言い置くと、それを最後に戦へ出て行った。