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三國志抄 戀〜lian〜  作者: 月
16/138

十五.

「劉備も随分と嫌われたものですな」

 小さな背を見送り、嘉は盃を手にしたまま首を傾げた。

「うむ。あれは人に(おび)えることはあるが、正面から嫌悪を示すやつではない。ちと気になってな。あるいは、劉備と既知なのかと思ったが、そうでもなさそうだ」

 嘉が(うなず)く。

 先程君が口にした大耳とは劉備の事だ。

 彼は、ふくよかな耳朶(じだ)を持った耳の大きな男で、ひとめ見ればそれは必ず印象に残り、大耳の例えが解るはずだった。

「事の仔細(しさい)はこうだ」

 操が順を追って話し始めた。

 先日の宴の礼に訪れた劉備を、操は歓談ついでに庭に案内した。

 その時、蓮の奏でる弦の音が聞こえていた。

 別段珍しい事ではない。蓮は無聊(ぶりょう)にかまけて時折琴を取ったし、操がそれを(すす)めてもいた。

 その音曲に(かす)かな険が含まれた。

 珍しい事もあるものだ。

 操はそう思った。

 蓮もそれを不快に思ったのだろう。ふっつりと演奏を()めてしまった。

「良い音が聞こえていたのに残念です」

 劉備が惜しむように言った。

「どうやら、興が乗らなかったようですな」

 さらりと返した操に、劉備は思い掛けない事を言った。

「あの董卓の寵童は、音曲の名手だったそうですね」

 何を言い出したかと思ったが、そこは曹操である。

「かの都には歌舞の名手が数多(あまた)(そろ)っていましたが、この許はまだまだ途上の都。比べられては困りますな」

 からからと笑ってそんな事を言った。

 劉備はそれきりその話題には触れなかったが、操の胸には疑念が残った。

 劉備の退出した後、蓮の室を訪ねると、少年は琴を腕に抱き座していた。

 何かを確かめるように操の姿に視線を這わせ、それから眉根を寄せて扉をじっと見つめる。

「いかがした?」

 気分でも悪いのかと思って尋ねたが、蓮は首を振り、楽器を指して不快を示した。

「先程音に険が混じったな」

 問いに(うなず)くと、ひどく嫌な気配がしたのだと指で辿(たど)り、庭を指す。

「今も庭にあるか?」

 今はない。と蓮は首を振った。

 あなたと一緒だった。

 操を示した指にもう一方のそれを添える。

「――それが、訊くほどに劉備の事なのだ。そうだな。その時の蓮は、まさに(ぬえ)にでも()うたような(かお)をしていた」

「ほう」

 おもしろいと嘉は思った。

 劉備は、外見上は柔和で穏やかな人物である。

 だが、その腹の中は案外食わせ者かもしれないと、嘉も内心感じていた。

 鵺には正体不明と謂う意味もある。言い得て妙だった。

 対して傍らの君は、天下に奸雄と言われ、智謀知略を持って台頭して来た男だが、喜怒哀楽が激しく豪放な質だ。

 戦振りにもその性格が良く出ていて、勝つ時は快勝だが、負ける時もまた華々しい。

 本人は気付いていないが、基本的に大博打(ばくち)打ちの性分なのだ。

 大きく打てば、必然的に負ける時も大きくなる。

 そして、大敗に縮こまる事なく、自分の敗因を直視して、次に繋げられる美点もあった。

 かと言って、敗け戦に落ち込まないかと言えばそうでもなく、そこがまたこの人の愛らしいところだと、口には出さないが嘉は思っていた。

 どうせ博打を打つなら大きいほうがいい。それを勝ちに導くのが臣の謀。おもしろいと思った。

 それが、曹孟徳へ仕える気になった理由のひとつである。

 これも性分だよなあ。

 嘉はくすりと笑いを漏らした。

「なんだ?」

「いえいえ。私は主公(との)のご気性のほうが、はるかに(しょう)に合っているなあと思いましてね」

 再びくすくすと笑う。

「おそらくは、蓮殿も劉備などより主公のほうがお好みなのでしょう」

 そう言うと、曹孟徳は珍しく狼狽した様子で、慌てて酒などあおるのだった。

 ――ご執心の(うわさ)は本当だな。

 らしくないその様子に嘉は思う。

 蓮と()う子供が劉備に見せた険は確かに興味深いが、結局曹孟徳が気に懸かっているのは、劉備が見せた蓮への関心ではなかろうか。

 だが嘉は、それには触れずに酒で君の盃を満たした。

「確かに蓮殿の存在には、故事を例えに懸念を申す者もありますが、私は聡明な方とお見受けしました。主公のお身の周りでの立ち居振舞いには無駄がなく、控えめで奥ゆかしい。そして、この(しつら)え……」

 嘉が辺りを見回す。

「私は、これほど心地良い座を知りません」

「ああ、そうだな」

 操にも彼の言いたい事が解り、共に辺りに視線を流して頷いた。

「あれは、どうやってこれを知るのだろうな」

 操から特別何かを指示されたわけではないが、この宴席は郭嘉と語り合うのに最適に整えられている。全てが測られたようにしっくりとそこにあり、ひどく心地が良いのだ。

 無論、そこに(こび)や打算があるはずもなく、蓮はその感性で無意識のままにそれを識る。

「先程の劉備の話といい、不思議な才だ」

 気を読む。と言っても良いのだろうか。

 それが曹孟徳の(そば)にあることは、むしろ悪い事ではないと嘉は思う。

「主公。蓮殿のその才、隠さぬ事です」

 蓮と謂う少年を実際に見れば、その憶測に根拠が無い事を誰しもが悟るであろう。

 彼の言いたい事が解り、にこりと操が笑みを(こぼ)した。

 自分が心の奥底で密かに思い悩む事を、この男は気付いているのだろうと。

「奉孝。そなたはいつも予を導く」

 操は盃を放すと立ち上がった。

「劉備は即日出立させよう。(わし)も兵を起こす」

 嘉は拝を持ってその言を受けた。

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