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三國志抄 戀〜lian〜  作者: 月
134/138

百三十三.

主公(との)……」

 少し、(はばか)るように、嘉がその背後から声を掛けた。

「うん。奉孝か」

 そう(こた)えたものの、彼はそのまま眼下に広がる陣を見つめていた。

 やがて振り返り、書を差し出す。

「文若殿からですか」

「ああ。やはり兵を退()くなと返して来た」

 呂布は曹軍との戦で三敗を喫すると、兵を退いて城に籠っていた。

 籠城という、およそ似つかわしくない戦を選んだ敵将に、一見勝機などないように見える。

 だが、季節は冬だった。

 遥々(はるばる)この地へ行軍して来た兵士達は、里心も着き始めるころである。冬の寒さに(こご)えれば、ますますそれは(つの)り、士気も(おとろ)えることだろう。

 兵を退くのなら、今が潮時であった。

 しかし、ここで呂布を抜かなければ、この先袁紹と事を構えるのは難しくなる。

 君とてそれは解っているのだ。

 そして、自らの心を後押しさせるために荀文若の言葉を欲した。

 彼は、その思いに()った文を届けて来たに違いない。

 それは、読まなくても解っていた。

「続けて早馬(は や)が参ったようですが」

 君は小さく首を振ると、再び嘉に背を向けた。

「蓮がいよいよダメらしい」

 その視線はじっと戦場に注がれている。

 だが、この時その瞳が何を映していたのか、嘉にさえ(わか)らなかった。

「文若殿が?」

 知らせて来たのかと、続けたかったが声が(かす)れた。

「あいつらしからぬ、簡素な文だ。(かえ)って蓮の重篤さが伝わって来るわ」

 君の言葉は自嘲するような響きを含んでいた。ままならぬその身を、(さげす)んでいるのかもしれない。

 嘉は、立て続けに早馬を走らせた(イク)の心情を思った。

 兵を返すなと、君を戦場に(とど)める(ふみ)を送ったばかりの彼は、病篤い蓮の知らせを、どんな思いでしたためたのか。

「そちも文若と同じ意見だな」

 君は嘉の手にある文を指す。

「私の考えはすでに申し上げました通り、変わってはおりません。今が呂布を捕らえる好機と思っておりますし、主公の天下統一のためにも是非とも()っていただきたい戦です。ですが……」

(わし)が兵を返したいと申せば従うか。私情を挟むな、奉孝」

「私情ではありません。主公がそうなさるのなら、私はまた次の戦を組立てるまでです。どんな状況でも主公を勝たせるのが私の役目。主公は、ご随意になされば良いのです」

 ――そなたは孤を許すと申すのか。

 操は込み上げるものをこらえるように空を仰いだ。

 決して私情を挟んではならぬと自らに言い聞かせて来た。

 哀しみに、心を揺らしてはならぬと。

 だがそれを、彼は許すと言うのだろうか……

「奉孝。敵の(まも)りは堅く、我が軍の状況は決して良いものではない。それでもそなたは、これを好機と申すか」

「はい。城を落とすことは叶います。……主公が、このまま留まると仰せなら、それでも呂布を撃ち破らんとのご決意ならば、策がございます」

「――水を、引き入れるか」

「御意」

 呂布の立て籠もる城は、天然の流れを堀と護られる、攻めるに堅く、護るに(やす)い要害だった。

 そこを攻めるには、水攻めが第一に考えられる。

 判りきっているそれを行わなかったのは、その代償があまりに大きいからだ。

 城とは街である。

 城が水に浸かるとは、街ひとつが水に沈む。

 全てが汚水に(さら)され、冷たい冬の水に人々は休む場所さえ失う。攻め落とした後の復興にも、人々の心が(いえ)えるのにも、多くの時間が()るだろう。

 それを解っていて、彼はそれを献策すると言う。

 この厳しい季節に兵を退かず、最愛の人の死を越えて戦う決意があるのなら、心を鬼にして、それを進言すると言うのだ。

「奉孝」

「はい」

「また悪名が広がるな」

 君はそう言うと、薄く笑った。

 それを癒す最大の人を、この人は失おうとしている。

 自分はそれを、どれだけ埋めて行けるのだろうか?

 途方もないそれに、嘉は気の遠くなる思いだった。

 だが、天を仰ぐ時間は今はない。

「主公。差し出がましいことながら、これは郭嘉(わたくし)めの進言」

 きっぱりと言い切るまっすぐな瞳を受け止め、操は()(とお)るように笑った。

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