百二十.
翌日。
公務を終えた操が室を訪れると、あちらこちらに荷を広げて、蓮は何やら行っていた。
「何の騒ぎだ?」
『家移りをするから整理しているのよ』
「家移りだと?」
『昨日話したように寮へ移るの』
あれはそういう意味だったのかと、思わず絶句する。
いつものように一時的なものだとばかり話を聞いていたのだ。
「どういう意味だ。ここへはもう戻らぬつもりか」
蓮は少し言葉を探すように視線を伏せた。
『遊びに来ても良いでしょう?』
そう記してにこりと貌を上げる。
その笑みは、血の気が引いたように蒼白かった。
「そんな事を申さずと、ここはそなたの室だ。このままにして置けば良いではないか」
『操の室に泊めてよ』
ちょっと脣を尖らせて、そんな事を言う。
決意は固いのだ。
おそらくは、自分の最期も考えているのだろう。
蓮は寮を終の住処に選んだのだ。
「それはかまわぬが、こんなに急がずとも……」
操はまだ蓮を引き留める言葉を探している。
小鳥が飛び立つように、この邸からいなくなるとは思わなかった。
『操はいつ戦に行くの?』
その問いに操は言葉に詰まる。
今度の戦は想定の内のものだ。
準備も着々と進められているし、後は期日を選んで号を発するだけである。
それももう、間もなくのことだった。
『戦に行く前に逢いに来てくれる?』
「当たり前だ。戦が終われば真っ先にそなたのもとへ駆け戻ろう」
蓮はひとつ頷くと笑った。
その瞳から涙が零れ落ちる。
慌ててそれを拭うと、蓮は傍らに在る品々を示した。
『せっかく操が贈ってくれた物を無駄にしたくないの。誰かに使ってもらっていい?』
「そなたの物だ。好きにするといい」
ありがとう。
蓮は微笑み荷を造る。
蓮の持ち物とはこれほど少なかったかと思うほど、それは極僅かだった。
もう戻ることはない。
そう思って後にした室には、蓮の暮らしていた痕跡が何ひとつ残っていなかった。
住む者のいなくなったがらんとした空間が寂しくて、操は二度とその扉を開けなかった。