表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三國志抄 戀〜lian〜  作者: 月
120/138

百十九.

 ああそうだ。操に言わなければいけない事があった……

 瞳を開けた蓮は、ゆっくりと(からだ)を起こすと操に向き直った。

『操は前に賈()()う人の事を訊いたでしょう? その人の(あざな)は文和と云うの?』

 そんな事もあったかと記憶を辿(たど)りながら、操が(うなず)く。

「確かそうだったな」

『ああ、やっばりそうか。董太師の(ところ)にいた人だね』

「そうだ。かつては董卓に仕えていたが、奴が死んだ後は李(カク)と行動を共にしていた。いつごろそこを離れたかは知らぬが、今は張済の甥と組んでいる」

『相国様は彼の事を策士中の策士だと言っていた。全ての事柄よりまず策が優先される。理や情を捨てるのでも殺すのでもない。何事も策の前には存在しないのだ。そういう男は自分でも恐ろしいと笑っていた。李将軍は長安を制したのは彼のおかげだと頼りにしていたけれど、煙たくも思っていたようだ』

 その才を買っていた董卓は、娘婿の牛輔のもとへと賈詡を送り込んだ。

 壮年の息子がなかった董卓にとっては、愛娘の連れ合いである牛輔と養子の呂布は、血族と並んで身内と頼む存在だった。呂布には身辺の警護を任せ、牛輔には兵を預けて勢力圏の防衛線とした。

 李傕も同様に、牛輔に附けられた董卓の校尉である。郭汜や張済もその当時牛輔の指揮下にあった。

 董卓が呂布に暗殺され、牛輔も部下の裏切りで命を落とすと、李傕達は恐怖と混乱で逃亡を考えた。そんな彼らに策を与え、長安に兵を進めさせたのが賈詡である。

 横暴の限りを尽くした李傕も郭汜も、賈詡にはどこかで頭が上がらなかった。

「蓮は賈詡を見知っていたか」

 蓮は少し言い淀んで(うつむ)く。

『彼は蓮を知っている。(わざわい)元凶(もと)だと見抜いていた』

「荀公達も蓮を知っていたよ。昔、董卓に召されたことがあるのだ。もっとも、あいつは逆らって投獄されたクチだがな。公達は蓮の事を、そんなふうには言わなかったぞ」

 それは彼が口にしないだけだろうと、温和で控えめなその人を思い描く。

 そんな蓮の心を見透かしたように、操が笑った。

「公達を大人しい男だと思ったら大間違いだぞ。ああ見えてあれは気骨の人だ。蓮を災いだと思えば、決して受け入れたりはせぬ。そなたの事は、気に入っていたようだ」

『みんなに優しくしてもらって蓮は嬉しかった。荀尚書令にはいろいろ迷惑を掛けてしまったけれど……』

 荀文若はいつも蓮に戸惑っていた。

 その眉が(かす)かに寄せられるたびに、どうして良いか解らなくて蓮は泣きたくなった。

 郭奉孝がそんな様子を察して良く手を差し伸べてくれたけれど、荀公達もふたりの気持ちをほぐそうと、さりげなく声を掛けてくれた。

『郭軍師祭酒は……』

「おや、蓮は奉孝の事をそんなふうに呼んでいるのか? 他人行儀な事を言っては、あれが()ねるぞ」

 蓮は少し驚いた様子で操を見つめた。

「どうした?」

『あのね、哥哥もおんなじ事言ったの』

(わし)を官職で呼んだか。それは拗ねねばならんな」

 操は笑いながら蓮の肩を抱き寄せる。

『だって、人前では、そう呼ばないといけないでしょう?』

「孤と奉孝の仲ではないか」

 気がねするなと操が笑う。

『哥哥もね、自分の前ではいつもと同じでいいよと言ってくれたの。ただ、他の人の前ではそう呼びなさいって』

「蓮は奉孝が好きか」

 こくりと(あご)を引く。

『郭大兄にはたくさん(たす)けてもらったもの。夏侯将軍も大好きだよ。前に寮へ操を追って来た、あの大きな人はなんと謂うの?』

「虎癡の事か。許仲康と謂う猛者だよ」

『虎癡?』

「虎のように強いが、普段はあの通りぼーっとした男でな。アダナだよ」

 操は可笑しそうにそう教えてくれる。

 その笑みからは、近衛(このえ)への揺るぎない信頼が伝わって来た。

 先の戦の後、操が寮へ馬を駆るたびに、近衛の任にあるその男も後を追って来ていた。

 申し訳なくて蓮が小さく謝罪を告げると、彼はただ大きな手で蓮の頭を撫でてくれた。

 躰は大きくて怖そうだったけれど、その(ひとみ)がとても優しかったのを覚えている。

卞夫人(おくさま)にも良くしてもらった。たくさんお見舞いをいただいたの』

「婆に聞いたよ」

 礼状の事を口にしそうになって、操はそれを飲み込む。

『丁様からもいただいたよ。これも阿婆から聞いた?』

「ああ」

 操は頷くと、まっすぐに蓮を見つめた。

「蓮。彼女との事はお前とは関係ないのだよ」

 蓮は詳しい事情までは知らなかったが、操が丁氏と離縁したことは聞き及んでいる。

 あんな事件のあった後だ。少なからず責任を感じているのではなかろうか。

『丁様からも、そうお(ふみ)をいただいた。全て許して欲しいと。でもそれは、蓮の言わなければいけない事だ。蓮はたくさんの人に嫌な思いをさせた』

 蓮は(こぼ)れた涙を慌てて拭うと、笑った。

『ごめんなさい。こんな話()すね』

「……蓮。そなたと出逢い、そなたを愛しいと思う者も多いのだぞ。仲徳達も蓮を可愛がっておるし、丁もそなたへの気持ちを変えた。卞はな、蓮を養子に欲しいとまで言っておるのだぞ」

 蓮は驚いて(かお)を上げる。

「どうだ? 蓮が望むなら話を進めよう。他に後ろ盾のある家を探そうか。そなたさえ良ければ、曹家に入ってもかまわぬ」

 蓮はそんな操にただ笑みを零す。

『ありがとう。でも、蓮は蓮のままいたい』

 蓮はすっと操にもたれ掛かると瞳を閉じた。

 話し疲れてしまったのだろう。

 薬湯が効いたのか咳は治まって来ていたが、蓮の肩は変わらず(つら)そうに呼吸を刻んでいた。

 操はそのまま蓮を夜具(やぐ)に包み込むと、ひっそりとその夜を過ごした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ