十一.
短い冬の陽が早くも傾き掛けた大地を、ふたりは馬上から眺めた。静かな眠りの季節を迎えた田畑が斜陽を受け、そこに広がっていた。
操は治下に屯田制を引いている。戦乱で流浪する民を受け入れ、耕作放棄地を与えて収穫から税を徴収する民屯である。
足りなければ武力で奪うのが基本の世の中で、自ら生産する政策を打ち出したのは、かなり革新的な事だった。耕さねば作物は得られない。彼は常に根本を見つめていた。
許は都と定められてから日も浅く、まだまだ開発の途中にあったが、その活気は目覚ましいものがあった。
共に入った湯の中で、操は昨日とは打って変わった優しい仕草でゆっくりと蓮を抱いた。白い肌が湯の温度と快楽とで色付いて行く様を、時間を掛けて慈しむように。
湯あたりを起こした蓮が牀で目覚めると、傍らで竹簡を読んでいた操が微笑み、そっと額に接吻けた。
まだ潤んでいる瞳を愛しそうに見つめ、伏せた瞼に脣を寄せる。
蓮の躰が微かに震えた。
「どうした? 嫌なら振り払えば良い」
不思議そうに視線を返す蓮を笑い、操は立ち上がった。
「目覚めるのを待っていた。共に食事をしよう」
隣室には、異国から伝わって来た卓や椅子が設えられていた。
操は蓮を共に着かせると、卓に料理を並べさせ、自らも箸を取りながら蓮にそれを勧めた。
なかなか食欲が回復しない蓮は、あまり気が進まなかったが、逆らう事もせず、操が促すままに少しずつだがそれらを口に運んだ。
件の魚も饗されていたが、生きた姿を見てしまった蓮は、それを食べる事をためらった。
箸を付けない蓮に、操は命を粗末にするなと険しい表情を浮かべた。
魚を殺して食べるように、人は命を貪り生き永らえる。
人だけではない。この世のありとあらゆるものが、他の命を奪い、生かされているのだと。
「そなたが食べねば、この魚の命は無駄になる。命は食されて受け継がれて行くのだ」
そして、命を継いだ者は懸命に生きなければならない。
蓮には彼の言葉が衝撃だった。
口にしている物が、どうやってもたらされるのか。
穀物がどう育つのか。
蓮は、何ひとつ知りはしないのだ。
夕刻、操は蓮を連れて馬を進めた。
操の腕の中で躰をこわばらせていた蓮も、やがて眼下に広がったその景色に息を詰め、瞳を瞠った。
この大地を男の腕に搦め捕られて馬を進め、輌に押し込められて揺ら揺らとさ迷ったが、自然を美しいと思った事も、それを眺める余裕さえなかった。
そして、蓮にとっての季節とは、梅の下に張られる宴であり、雪見の酒だった。
春夏秋冬季節に触れ、大地と共に暮らす。それが、人のあるべき姿だと彼は言う。
まもなくこの大地は最も厳しい季節を迎える。だがそれは、新たな豊饒への休息の時なのだ。
蓮を腕に抱きながら大地を指すその瞳は、遥か彼方へと向けられていた。
そのまま馬で邸へ戻って来た蓮は、夜半から高い熱を出して臥せった。
翌日室を訪れた婆は、眦を吊り上げ、激しい口調で操に意見した。
無理をさせてどういうつもりだと言うのである。
「すまぬ婆。大事にしてやってくれ」
素直に謝る操に、婆はふんと鼻を鳴らした。
「お前様がこれほど好き者だとは思わなかった。女好きなのは知っていたが」
「そう言うな、婆」
ずけずけと言われて操は苦笑する。
「まったく。ぬしは加減という言葉を知らぬのか」
婆はとにかく憤々である。
操とて蓮への負担を思いやらなかったわけではない。
だが、予想以上に蓮に魅せられた。
そう告白し、謝る操に、婆は人知れず天を仰いだ。
やはり惚れておいでか……
婆にはとうに解っていたのだ。操が蓮に魅せられていることなど。
まっすぐにそれを示し、愛情で満たす道もあったはずだ。
だが、この仁は敢えて険しい道を採る。天下に悪名を恐れぬ、人生そのままに。
「婆。俺は董卓に嫉妬したよ」
覇王は頬杖を着き、ぽつりと呟いた。