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三國志抄 戀〜lian〜  作者: 月
115/138

百十四.

「疲れたか。少し横になるといい」

 操の言葉に素直に(うなず)き、蓮は膝に甘えた。

 その肩ははっきりと呼吸を刻み、明らかに病の進んでいる様子が嘉にも見て取れた。

 もともと色の白い子だが、肌は血の気が引いており、瞳はどきりとするほど透み渡っていた。

「奉孝は何年か諸国を巡り歩いていたそうだな。なんぞおもしろい話があったら聞かせてやってくれ」

 操は蓮の髪を撫でながら、そう頼んだ。

 今の蓮に、戦の話も、(まつりごと)の話も、聞かせたくなかったのだ。

 嘉もその気持ちが解り、ひとつ(うなず)いて返す。

 が、ふと思案するようにそれが傾いた。

「と、言いましても、蓮殿にお話出来るような事がありましたかな」

「酒と(おんな)博打(ばくち)だな。蓮にはちと早いかの」

「何を仰いますのやら。各地の賢者に教えを請い、勉学に励んでおりましたゆえ、お話申し上げてもおもしろくはなかろうかと案じておりますのに」

 すまして言う嘉に、君はげらげらと声を上げて笑った。

「奉孝よ、最高の冗談だ」

 確かに冗談なのだが、そこまで笑われると、さすがに心情を害する。

 役人生活が嫌で遁走した手前、適当に名乗って各地をふらふらしていたのは本当だが、一応それぞれの土地で学ぶべき事は学んで来ている。賢者に師事していたというのは誇張だが、まるきりの(うそ)というわけでもなかった。

 もっとも、君の言う酒と妓と博打も違ってはいないが。

「で、誰ぞおもしろい人物はあったか?」

「そうですねえ。おもしろいという事では、主公(との)に勝る方は存じ上げませぬが」

 身を乗り出して尋ねる君に、嘉がやり返した。

 蓮も思わず吹き出し、嘉と視線を交わしてくすくすと笑う。

「なんだ。蓮まで笑うのか。ひどいのお」

 その様子にふたりはまた笑った。

『今度蓮にも博打を教えて』

「いいですよ。上手くなったら主公からごっそり巻き上げましょう。私は強いですからね。蓮を弟子にしてあげますよ」

 そんな冗談に蓮は嬉しそうに頷いた。

「そうだ。私はあちこち巡り歩いている間に海を見た事があるのですよ」

『本当? 海とはどんなものなの?』

「ひと言で言えば、(あお)く広大なものですね」

『空みたいに?』

「そうですね。空のように無限ですが、ずっと深い青で絶えず波が打ち寄せます。時間によっても、天候によっても海はその色を変え、うねりも大きく変わるのです。穏やかな優しい顔もあれば、激しく厳しい様も見せる。まるで巨大な生き物のようでした」

「巨大な生き物と言えば、海にはとてつもなく大きなものが住んでいるそうです。数人が手を伸ばしても抱えきれぬほどに大きいのだとか。海は広いので、魚も大きくなるのでしょうか」

 にこりと嘉が笑う。

「こんな伝説も聞きました。海の底には巨大な貝が住んでいて、その吐く気が人に幻を見せるのだそうです。時折海上に楼閣が浮かぶ事があるそうですよ」

『そこには誰か住んでいるの?』

「さあ、どうなのでしょうね。時々しか現れぬもので、私も実際に見る事は叶いませんでした」

『そうなの。阿婆がね、海の中にある綺麗な宮殿の話をしてくれたの』

「そうですか。もしかしたらその宮殿が、時折そうやって見えているのかもしれませんね」

 それなら、海の宮殿は本当にあるのだろうか……

 蓮はまだ見ぬ海へと思いを()せる。

「蓮。海の中を探すなどと言わないでくれよ」

 そう笑う操に嘉もそれを(こぼ)す。

 言い出し兼ねないと思っているのだろう。

 蓮はちょっぴり頬を(ふく)らませて見せたが、指先で文字を描いた。

『海の宮や天の宮より、ここが好きだよ』

 みんなの(そば)が良いと蓮は思う。

 蓮は小さく息をついて束の間瞳を閉じていたが、やがてゆっくりと(からだ)を起こした。

『楽しいお話を聞かせてくれてありがとう。邪魔をしてごめんなさい』

「行くのか。共に参るゆえしばし待て」

 辞そうとしているのを察し、操が呼び止める。

「それなら、私はもうお(いとま)致しましょう」

 嘉も君が蓮を送って行けるようにと腰を浮かす。

 そんなふたりを押し留め、蓮が笑った。

 大丈夫。

 (くちびる)が告げた。

 蓮はもう一度丁寧に礼を示して座を辞すと、ふとその視線を嘉へと(とど)めた。

 だが、特には何も示さず、ゆっくりと楼を降りて行く。

 やがて階下で小さく鈴の音が響き、ふたりはまた静寂の中に残された。

 (こう)々と注ぐ月の光に、澄んだ虫の音が響く。

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