十.
賑やかに立ち騒ぐ気配で蓮は目を覚ました。
その様子が気になって牀を降りると、鈍い痛みが足を萎えさせる。
昨夜の乱暴な交わりがよみがえり、蓮は小さく首を振った。
意識を取り戻した時、蓮は男の腕に抱かれたまま、輌に揺られていた。
彼は、蓮が気がついた事を知りながら、声をかけることも腕を解き放つこともせず、ただ無言のままに道を進めた。
意識のない間にどれくらい揺られていたのかは解らなかったが、輌は間もなくこの寮へと附けられた。
ここへ着いた後も、男は蓮を牀へ伸べるや再び躰へと押し入って来た。
その荒々しい交わりに、何度も高みへと突き上げられ、蓮は再び昏倒した。
だが、目覚めてみると躰は綺麗に清められ、きちんと衣に包まれて蓮は牀に在った。
陽の射し込む扉をそっと押し開ける。
洪水のような光にくらくらと目が回り、思わず瞳を閉じた。
ばしゃばしゃと水の跳ねる音がする。
ゆっくりと開いた瞳に、飛び散る水滴の煌きが溢れた。
その中心に、陽光を受けた、あの男がいた。
「そっちだ、そっちだ。それ行ったぞ!」
数人の男達が池の中で立ち騒いでいた。
笑いざわめきながら何かを追っている。
ただ蓮には、何をしているのかは解らなかった。
「そら蓮。大きいぞ!」
不意にそう言って、曹孟徳が振り返った。
突然名を呼ばれ、蓮は驚く。自分がここにいる事を、振り返りもせずにあの男は知ったのだろうか。
近付いて来たその手が翳す物に、蓮は視線を上げた。
「生きた魚を見るのは初めてか?」
瞳を見開いて見つめる蓮に、男がずいと魚を近付けた。
ぱしりと音を立ててそれが跳ね、思わず瞳を瞬く。
そんな蓮に、彼は声を立てて笑った。
「主公、大物が獲れましたな」
「おう。厨の者に言い付けてな、この坊ちゃんが食べてくださるような美味い料理を頼むと」
魚を渡しながらそんな事を言う。
――食べる?
蓮にはそれさえ驚きだった。
常に邸の奥深くにあった蓮は、世の中の事を何も知らないのだ。
呆然と魚を見送る腕を、男が掴んだ。
水辺まで連れて行き、転がっていた棒を拾い上げる。
「良いか、魚とはこう書く」
「そこにあるのは池だ」
続けて描かれたそれを、しげしげと眺める。
「水。触れてみよ」
彼に促され、蓮はそっと水面に指を伸ばした。
――冷たい!
思いも掛けない水温に手を引っ込める。
「はは、冷たかったか」
笑いながら棒を動かし、彼はそれを文字に刻んだ。
だって、さっきまでこの人達は……
蓮は不思議でならなかった。なぜ、この冷たい水に、笑いざわめきながら戯れていたのだろうと。
「おいおい。お前には無理だ」
突然池へと歩を進めた蓮を、操が抱き上げる。
――意外と好奇心旺盛だな。
思い掛けない少年の姿もまた、愛しかった。
「主公、湯殿の仕度が整うております」
「おう、そうか。皆、風邪をひくなよ」
「なあに、今日は暖かいですきに。おひさまもサンサンだあ」
眩しそうに見上げる視線を、蓮の瞳が追った。
操はそれを察し、蓮の掌に陽と書いた。