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三國志抄 戀〜lian〜  作者: 月
108/138

百七.

「蓮は、見知らぬ者が怖いのだ」

 蓮が周囲と打ち解けるまでに時間が掛かった事も、そのためにどれだけの緊張と向き合って来たのかも、ずっと(そば)にいて見つめて来たはずなのに、操はそこまで気が廻らなかった。

 気の(あせ)りも動揺もやはりあった。

 だが、解決ばかり急いで、蓮の気持ちなど思いやってもやらなかったのだ。

 震えていたあの子の(てのひら)には、深く爪の食い込んだ(あと)が残っていた。自らに爪を立てている事にも気付かぬほど、強い緊張に手を握り締めていたのだろう。

 見ず知らずの男達に取り囲まれて、どれほど怖い思いをしていたか。蒼褪(あおざ)めたその表情(かお)に気付いてやるべきだったのに、それさえ操は見逃した。

「あの子が受けて来た仕打ちを思えば無理もないのだ。なのに、(わし)は……」     

 蓮は自分で言っていたではないか。

 人の気配さえ怖くて、瓦礫(がれき)の中でひとり過ごしたのだと。

 ああして話を聞きながら、やはりどこか他人事だったのではないかと、操は己の冷たさを呪った。

 蓮は自分に深く落胆しているようだった。

 引き合わされた者達が害を成すわけではないのは、蓮にも良く解っているのだ。なのに、思うように接する事が出来ない。

 操にも、繰り返し謝罪を口にした。

「蓮を一番泣かせているのは、やはり孤かな……」

 操の(つぶや)きに、婆の持つ(あか)りがゆらゆらと揺れた。


 改めて向き合った方士は、率直に蓮の病状を語った。

 過度の緊張を差し引いても呼吸は浅く、脈は乱れて弱い。足と胸に浮腫が始まっており、心の臓にも()れが見られる。

(しん)拡張(はれ)る病は本草(ほんぞう)では難しい。丸ごと入れ換えねば(たす)からぬと聞いた事があります」

「入れ換える? そんな事が出来るのか?」

「もとより(やつがれ)には出来ませぬが、そう話していた者を知っております」

 術師を捜すのは不可能ではなさそうだ。

「その術に危険は?」

「おそらくは胸を開きましょうから、皆無ではございますまい。患者本人の体力も必要なれば、病が進んでからでは難しいのやもしれませぬ。術師と代わりの(しん)を捜すのが急務かと存じます」

「無論、死者の心臓(それ)では叶うまいな」

死人(しびと)と入れ換えれば、死体が生き返るのではありませぬか?」

「少なくとも生者は死ぬな」

 苦笑が漏れる。

「詳しくは存じませぬが、同じ年頃が好ましいと聞いた覚えがございます」

「孤の心臓(モ ノ)ではちと古いか。これは相当難しいな。いたずらに死者を増やすようなものか」

 深い溜め息が落ちる。

 誰かを身代わりにしなければならない術を、蓮が承諾するとは思えない。仮にそれを告げずに()り行い、全ての懸念を回避して術が成ったとしても、事情を知る日が来れば、苦しむのは蓮である。

 胸を開くなどと、想像もつかない治療法に対する恐怖も、当然ではあるが打ち消すのは難しい。そんな危険を(おか)すくらいなら、不確かな祈祷やまじないの方がまだマシな気もして来る。

 正直操は、神頼だろうがなんだろうが、試せるモノは試したい心境だったが、李(カク)のもとで余程嫌な思いをしたのか、そうした(たぐい)は少し打診めいた話をしただけでも蓮がひどく(おび)えるのだ。

 苦悩する操に、方士は長い眉に覆われた視線をしばし(とど)めた。

「公。先だって許の都を褒め称えましたが、世辞ではございませんでな。ご厄介になりたいというのも本心なのですよ。残念ながら治癒の難しい病ですが、僅かでも(やわ)らげて差し上げる事は叶いましょう。不肖のこの身ではご不満もありましょうが、かの少年(キ ミ)の傍に置く気はございませぬかな」

「このまま蓮を()てくれると申すか」

「公の集めてくださった知識はそれぞれに素晴らしい。それを持ち寄って、まずは方針を立てましょう」

「うん。頼む」

 彼は一度礼を取り、(うやうや)しくそれを受けた。

 ふと、視線を戻す。

「公。兆候を見逃していたなどと努々(ゆめゆめ)お責めになりますな。己の力量不足を棚に上げるようですが、人の成す事にはおのずと限界がある。医は神や仙人の術とは違います。治せぬものはやはり治せぬのです。診立てて次を講じたお(さじ)殿こそ褒めるべきで、誰に何の落ち度もございませぬぞ」

 操の落胆を見抜いたのだろうか。

 そんな事を言う。

 会ったばかりの相手に見透かされるほど顔に出ているのかと、操は思わず(あご)を撫でた。

「そのお匙殿はもちろんですが、あの刀自(と じ)殿の本草の知識も素晴らしい。おふたりにも是非ご協力いただきたいものですな」

 要請に(うなず)く。

「孤からも良く頼んでおこう」

 それに礼を返し、方士はさっそく協議を始めると言って室を辞した。


 その刀自殿は小さな(からだ)で灯りを(かざ)し、操の傍らで行く手を照らしていた。

 夜の(とばり)は重く、回廊の先は暗い。

「蓮に逢われるかえ?」

「うん。起こしてしまうかな」

「婆が一服盛ったから、朝まで起きぬよ」

 揺れる炎に照らされて、その横顔が寂しそうに笑った。

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