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三國志抄 戀〜lian〜  作者: 月
107/138

百六.

「あれはまだ病を隠しておるか?」

「そんな事はないよ。蓮はずっと良い子に過ごしていたよ。医局の指示も、薬師(くすし)の助言も全部守って、苦い薬も嫌いな治療も文句ひとつ言わない。別に婆が禁じたわけではないが、酒もぴたりと呑まなくなった。寂寥の気持ちは、今のほうが強いだろうにな。お前様も、蓮を褒めてやっておくれ」

「そうか……」

 婆の持ち直した(あか)りがジジ…と()いた。

「――婆。本当はな、(わし)が悪いのだよ」

 (ほむら)の作り出す陰影が、黒く操の頬を覆った。


 連れ戻された蓮は、改めて彼らと引き合わされた。

 ぎゅっと(てのひら)を握り、緊張に蒼褪(あおざ)めたまなざしを伏せた蓮を()の当たりにしても、操はまだ解らなかった。

「ふうむ……」

 患者の様子を眺めていたひとりがそう吐息をついた。

「これは、大勢で押し掛けて驚かせてしまいましたかな。どうでしょう。ここはひとつ、年寄りの顔を立ててはくださらぬか」

 見回す視線に彼らは少しざわめき、ひそひそと声を交わし合った。

 年長であったゆえか、それとも他に理由があったのか、幾人かが賛同を示し、隣室で待つと言って彼らは退()いた。

 ひとり残った方士は、控えていた婆へと深く(しわ)の刻まれたおもてを向けた。

「すまぬことですが、白湯でも一杯いただけませぬか。歳を取ると、どうも喉が渇いていけませんでな」

 穏やかなその物言いが、ある意味しきり直しなのだと察し、操も翠へ(うなず)いて見せる。

 それを受けて下がる背を見送った方士は、物珍しそうに庭など見回していたが、整えられた座を勧められ、ゆったりと歩みを進めた。

 その動作はどれも性急なものではなかったが、蓮は詰められた距離に心持ち(からだ)を退いた。

 操はそんな蓮の様子に、ふと視線を(とど)めた。

「ほお、これは(にがな)ですかな」

 振る舞われた陶を抱えて、老人はくうと息を吸った。

「さすがは都でございますなあ。これほど美味(うま)い茶はいただいたことがない」

 嬉しそうに喉を鳴らす。

 そう言われると、操の舌にも何やら(うま)い。この一服で、どこか毛羽立っていた気持ちも落ち着いて行くような気がした。

 詩経にも記載があり、医薬や農耕の神である神農が解毒(げどく)に食したともされる茶は、嗜好品として飲用しているのは富裕層のみで、まだまだ一般的に普及しているものではなかったが、薬効と何より蓮がこれを好むので、婆が平素から用いているのだ。ここでそれを出したのも、蓮を思ってのことだろう。

 方士はなかなか口を付けない蓮にそれを勧めながら、他愛もない話を二、三した。

 久方ぶりに賑わいに触れたとか、さすがに帝のお膝元は麗しいとか、許を褒め称えるそれであったと思う。

 このまま公のもとへご厄介になりたいものだと軽口をきいた後、彼は改めて蓮へと向き直った。


「さて」

 空いた茶器を離した方士は、そう言って蓮に目を細めた。

 どきりと蓮の肩が揺れる。

「お熱があるようにお見受けしますが、長く続いておりますかな」

「下がらぬ日がないわけではないが、このところ少し多い。夜はもう少し高い時もある」

 代わって(こた)える操の言葉に、(うま)(かく)して来たつもりだった蓮は、しょんぼりと項垂(うなだ)れた。独りの夜を密かに泣いて過ごしていることさえ、彼はお見通しなのだろうか。

「少し、許されよ」

 そう言って切診(ふれ)る手を、蓮はじっとこらえた。

 首筋に触れ、瞳を(のぞ)き込み、噛み締める(くちびる)()じ開ける。

 その手が動くたびにドキドキと蓮の心は乱れ、いくつか投げられた質問にも何ひとつ返せなかった。

 じっと注がれる視線が怖い。

 呼吸が巧く出来なくて、コトコトと空咳が(こぼ)れた。

 見兼ねて背を撫でる操の腕に、思わず(すが)る。

「そのままで結構です。お脈を拝見」

 片手を取られたまま、操の胸に(かお)(うず)める。

 抱き留めるそのぬくもりが、震える心を緩めてくれた。

「さあ、もう済みましたぞ。お楽にされて」

 あちらこちらを押したりさすったりしていた方士は、そう言って診察の終了を告げた。

「嫌な思いをさせたね」

 蓮の襟元(えりもと)を整えながら、すまなそうに()びる。

 ごめんなさい……

 蓮は首を振ることでそれを伝えようとした。

 この人が悪いわけではないのだ。

 そんな自分が情けなくて、涙が零れる。

「公はどうかこのままに」

 そう言い置くと、訊きたい事があると婆まで連れて、彼は室を出て行った。

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