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三國志抄 戀〜lian〜  作者: 月
106/138

百五.

 年の初めに婆から話を聞いた後の、操の行動は早かった。

 すぐに薬師(くすし)を招いて詳しく説明を受ける一方、その助言で広く医の知識を求めた。少しでも専門知識と経験のある者が必要だとの意見に従ったのである。

 広い大陸から(うわさ)とツテを頼りに人を集めるのは容易な事ではない。それでも操は最速でそれを成し遂げ、蓮を引き合わせようとした。

 ところが、直前になって蓮は室から消えた。

 婆が目を離した隙に、逃げ出したのである。


 逃げ(まど)った蓮は、咄嗟(とっさ)に近くの室に入り込んだ。

 そこには荀文若がおり、突然の珍客を驚いたように見つめた。

 蓮は慌てて室を出ようとしたが、自分を捜す声が近付いて来る。回廊に出るわけにも行かず、蓮は室の奥に駆け込むと書架の片隅へと(もぐ)り込んだ。

「何を……」

 戸惑いに(のぞ)き込む(イク)に、黙っていてくれと懇願を示す。

 彧はどうして良いか解らないと言った顔で、そんな蓮を見つめていた。

「文若殿」

 そこへ、声が掛かった。彧は驚いてしまい、慌ててその場を離れ声の主を迎える。

「よろしいですか?」

 都合を尋ねられ、(うなず)く。

「あ、ああ。かまわないよ。入ってくれ」

 室を訪れたのは郭奉孝だった。

「今度の戦の件で、内々にご相談したき事が……。文若殿?」

「……ああ、聞いているよ」

「誰か、いるのですか?」

 しきりに奥を気にしている様子に、嘉は何やら察したらしく、歩を進めた。

「蓮?」

 書架の隅には、小さく小さく(からだ)を丸めている蓮が在った。見つからないようにしているのだろう。その姿にちょっと笑う。

「どうした? 翠さんに叱られるような事でもしたのかい?」

 確かに、蓮の姿は悪戯を(とが)められて隠れている、幼い子供のようだった。

「みんな蓮を捜しているようだったよ。一緒に謝ってあげるから出ておいで」

 そう声を掛けながら、抱き上げようと手を伸ばす。

 蓮に触れた嘉は、はっとしてそれを少年の額に当てた。

「熱があるじゃないか。まさかそれで逃げ回っているんじゃないよな?」

 ぴくり。と、蓮の肩が動いた。

「蓮!」

 一転、厳しい声が響く。

「とにかく室へ戻るんだ」

 腕を引かれ、ようやく蓮は立ち上がった。

 だが、一瞬気を許した隙に、すっとふたりの脇をすり抜ける。

「蓮?」

 室を走り抜ける蓮を、慌てて呼び止める。

「だめだ、蓮! 走るな!」

 その後を追って嘉も室を飛び出した。

 逃げ場を失った蓮は、今度は庭の低木の中へ入り込んでしまった。まるで猫の子か何かである。

「大丈夫か? 苦しくないか?」

 嘉は身を(かが)めて覗き込みながら、蓮の身を案じる。丸めた華奢な肩が呼吸を刻んで上下していた。

「蓮。もう怒らないから出ておいで」

 今度はなだめてもすかしてもダメだった。蓮は膝を抱えたまま(かたく)なに嘉を(こば)む。

 その背が、時折引き()れるように震えた。

「文若殿、翠さんを呼んで来てくれ」

 成り行きで一緒に来ていた彧も、心配そうにそれを覗き込んでいたが、嘉の言葉に我に返ったように建屋へ向かった。

 その足が、幾歩も進まぬうちに()まる。

主公(との)……」

 その声に、嘉も慌てて立ち上がった。


「蓮!」

 一喝した声は怒りに満ちていた。

 その(かお)蒼褪(あおざ)めてさえ見える。

 こういう時の彼には、嘉でさえ物が言えなかった。

「出て参れ!」

 びくりと一度躰を震わせて、おずおずと蓮が這い出して来た。

 辺りに満ちる君の怒りが、(うずくま)る肩をカタカタと震わせる。

 誰も身動きの取れないその中に、割って入ったのが婆だった。

「待っておくれ。蓮を叱ってはならぬ。全て婆が悪いのだ」

(かば)い立て致すな! このような騒ぎを起こして、皆に迷惑を掛けておるのだぞ。子供だとて容赦はならぬ」

「そうではない。そうではないのだ、孟徳様。蓮は病が知れたら孟徳様と離されると思うておるのだ」

「馬鹿な……」

 操は声を失くして小さな背中を見つめた。

 やがて震える蓮を抱き上げると、建屋へと(きびす)を返す。

「馬鹿を申すな。そなたを失ったら(わし)はどうしたら良いのだ」

 ごめんなさい……

 操の小さな(つぶや)きに、蓮は(こぼ)れそうになる涙をこらえながら、何度も何度も心の中に繰り返した。

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