百一.
城を取り囲んでしばらくが過ぎたころ、操は軍師の荀公達と軍師祭酒の郭奉孝を召し、極内輪での軍議を重ねていた。
「このままでは劉表の援軍がやって来ますぞ。いい加減、何を企んでいるのか教えてくだされ」
ぷんぷんと攸は怒ってみせる。
「企んでいるなどと、人聞きの悪い事を申すな」
操は笑って見せるが、彼のそんな顔が通用する攸ではない。
「まあ、そう怒るな。孤とて、とっととケリを着けて帰りたいのが本音だが、敵もなかなかにがんばる。どうしたものかな」
その視線が嘉へと向けられた。
攸もそれに続く。
「ケリを着けろと仰るのなら、荀軍師の策を用いればよろしいかと。今からでも遅くはありますまい。ですが、ここまで来たのなら、いっそ呂布を吊り上げませんか?」
その言葉に操がにやりと笑う。
彼もとっくにそれを考えていたのだろうと、全てを飲み込んだ攸が首を振った。
「まったく。早く言えば良いものを。なんて人の悪い。どうせ、軍を進めた当初から考えておられたのでしょう」
ギロリとふたりを睨む。
「公達よ。人が良くては軍師は務まるまい?」
お前も同類だと君が笑う。
「それで、負けたように見せながら、被害を受けずに勝利せよと仰るか?」
「そこまで解っていれば話は早い。すぐに餌を撒け」
ぽんと操が攸の肩を叩いた。
ほどなく陣中に袁紹が許を窺っているとの報が届き、操は撤退を指示した。
無論、諜を放ってあるから敵には筒抜けである。
案の定、彼らは退く曹軍を追った。
それを罠に嵌め、敵に損害を与えながら、大敗だと曹軍は天下に吹聴した。
さらに劉表の援軍がその退路へ廻り込む。
敵を迎え撃ちながらの退却に、行軍は僅かばかりしか進まなかったが、そんな中でも操はいたって上機嫌であった。
「主公。もう少しそれらしいお顔をしていただかねば困ります」
「おお、そうか。だが、どちらにしろ、ご機嫌麗しいと蓮に書き送るのであろう? 嘘を書かずに済むではないか」
にやにやと笑う君に、嘉は憚りもせずに溜め息を返した。
「この状況をどう書き記せば良いのやら、悩んでおりますのに」
「なんだ。そのまま書き送れ。許に向けて退却しているが、行軍は遅々として進まず。だが、必ず破ってみせるゆえ心配するなと。そちから言われれば蓮は安心するぞ。孤がもう、奉孝がなんとかするから大事ないと知らせてしまったからな」
からからと笑われて、嘉は思わず頭痛をこらえる。
「そちはおもしろいな。まだまだ絞れば次々と策が出て来るのであろう。奉孝の頭の中には何が詰まっておるのかな」
それはこっちの台詞だと、愉快そうな君に思う。
多芸多才なこの人に言われても、あまり嬉しくはなかった。
「そう仰る相手は、私ではなく公達殿でしょう。主公の無理難題に良く応えていらっしゃる」
「孤の無理難題か?」
意味ありげな視線が流れる。
「もう安衆は間近だな。どう料理してくれよう」
忍ぶように君が嗤った。
結局彼はこの状況を悲観もせず、勝てると踏んでいるのだ。
孫子に“帰師は遏むるなかれ”と云う言葉がある。帰路にある兵と戦うと、帰りたい一心で反撃するから、苦戦は免れないと諫めているのだ。
兵法に精通している彼は、こんな状況でも自信に満ちていた。
安衆で張劉連合軍と対峙した曹軍は、苦戦を重ねながらも策を凝らし、やがてそれを打ち破るのだった。