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三國志抄 戀〜lian〜  作者: 月
101/138

百.

 最早操に迷いはなかった。

 三月に許を発すると、穰に張繍を囲んだ。

 軍師の荀公達はこの戦に反対だった。

 張繍は劉表と組んでいる。彼らには特別親しい情があるわけではないから共に寄せて来る事もなく、放って置けばさほどの問題はない。が、有事となればその同盟は意味を持つ。曹操と()う共通の敵を前に、彼らは協力するであろう。いずれ来る、その仲違いを待つのが上策。それが出来ぬなら、劉表に援軍を送る時間を与えずに、機を選んで一気に仕掛けるべきと。

 しかし、君はその進言を退(しりぞ)け遠征を決めた。

 心眼とまで言われる予見の目を持つ郭奉孝も何も言わない。

 ――これは何か(たくら)んでいるな。

 攸はそれを察し、軍に従った。


 蓮は、戦場からの文を寮で受け取った。

 郭奉孝の知らせによれば、曹軍はこのひと月城を囲んだまま、(にら)み合いが続いているらしい。

 操も暇だとみえて、せっせと熱烈な恋文を贈ってくれる。

 蓮も思わず赤面するそれを見せてもらった婆は、呆れ果てた。

 戦場の幕内で、どんなお顔で書いているのやら……

 想像した姿がおかしくて笑うと、蓮もつられて笑みを(こぼ)した。

「返事を書かぬのかえ?」

 尋ねる婆に蓮が首を振った。

「届ける手段はあるのだよ?」

 それを心配しているのかと重ねたが、蓮は礼を告げるように小さく頭を下げただけで、ただ笑った。

「そうか。随分()も上がったようじゃないか。蓮の文を見れば、孟徳様もさぞ喜ばれように」

 蓮はこのところ、熱心に手習いに励んでいる。

 (つたな)かったそれも目に見えて上達しており、日常的な文字は読めても、書く事までは覚束(おぼつか)ない婆は、たいしたものだと感心していた。

 だが、蓮は恥ずかしそうに首を振る。

 そればかりか、手習いをしている事を内緒にしてくれとさえ頼むのだ。

 さらに蓮は、次々と書を読み解いては学んでいた。

 もともと操が勉強家で、時間があれば書を読み、戦場でもそれを離さぬくらいなのだが、傍らにいる蓮もそれを見(なら)うかのように、いつしか書を読む習慣を身に付けていた。

 しかし、ここ最近の貪欲さは(すさ)まじく、あまり(こん)を詰めるなと逆に心配するほどである。

「陽が長ごうなった」

 婆が目を細める庭先に、蓮も視線を移した。

 花の盛りのこの時を、今年は共に過ごす事は叶わなかった。

 甘く(とろ)けるようなあの日々は、二度と戻っては来ないのだろう。

 蓮は懐かしい日々を思い出し、涙を(にじ)ませる。

「なあに。直に主公(との)はお戻りだよ。蓮花を楽しみにされていたもの」

 婆はそう言って慰めてくれたが、この戦は長引くような気がした。

 戦に行く前、操は賈()と謂う男を知っているかと尋ねた。李(カク)のもとにいた知恵者だと云う。

 蓮は少し考えたが、思い出したら話すとだけ告げた。

 蓮には、もしかしたらとの心当たりがあった。

 名は知らなかったが、言い争う李傕と郭汜を諭し、帝との和議を受け入れさせたのが、その賈詡ではなかっただろうか。

 その男は、戦で捕らえた公卿を殺すつもりだった李傕を止め、崇拝する董卓でさえ西へ下がった事を思い出させ、これ以上帝を追ってはならないと(いさ)めた。

 彼は、蓮の浅はかな(くわだ)てをも見抜いていたのだろう。凍るような視線で見降ろし、言った。

“禁裏のモノは禁裏へ返せ。これは(わざわい)元凶(もと)だ”

 李傕の近くに、その才を頼りにしつつも、何かと(うるさ)くて煙たい男がいたことは、その言葉尻から伝わっていた。

 誰某を殺してしまいたいがヤツが反対している。あの男がこう言っているから今回は仕方がない。そんなことを李傕と郭汜は良く口にしていた。

 ――文和。そうだ、確かそう言っていた。

 蓮は記憶を手繰り寄せる。

 それが、賈詡と謂う男の字なのかもしれない。操が戻ったら訊いてみようと思った。

 ――でも、本当にあの男が戦の相手なのかな。

 蓮の記憶に残るまなざしは深い深い闇のようで、真意の見えぬ恐ろしさがあった。

 操が負けるとは思わないが、苦戦はするのではないかと心配が募る。

 その不安が当たったかのように、夏になっても操は戻らなかった。

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