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46話~52話

 ※46「嫁さんと結婚指輪」


 月末の土曜日は、すこし贅沢をする。

 俺は普段よりも良い服を着て、嫁さんも化粧をして美しく化ける。あ、いや、けっして普段がアレだというわけではない。元がすごく良いという意味だ。

 とにかくだ。土曜の夜は二人で出かけ、彼女が希望した店で食事する。またその際は、家の箪笥に閉まってある『結婚指輪』を取りだすのが常だった。

 うちの嫁さんは、日曜日は猫になる。そのとき、身に着けているものは、すべて抜け落ちる。俺が贈った指輪もまた、日曜日には外れてしまう。

「――あまり、付け外ししていると、無くしそうで怖いです」

 贈った指輪を、ためつすがめつ、なんども嬉しそうに見つめてくれたあの日。俺は本当に幸せだなぁとしみじみ思ったりしたよ。うんうん。

「それなら、二人で一緒に出かける時だけ、付けようか」

「いいですね。素敵です」

 嫁さんが可憐な少女のようにほころんだ。それ以来、俺たち夫婦の指輪は、大切に箪笥の中にしまわれた。土曜日の夜。二人で連れ添う時にだけ、薬指の上に添えられる。


 金曜日の夜。

「旦那さん」

 さて、今月は一体どんな店に連れて行かれるのか。手近な所だといいなと身構えていたら、

「今月は、お肉を食べます。焼き肉です」

「ん? レストラン的な場所じゃなくてか?」

「はい。とにかくお肉です。お腹いっぱい、お肉を食べるのです」

 嫁さんの眼差しが燃えていた。マンガであれば、背後からは「ゴゴゴゴゴ」と効果音が出ているぐらいのオーラを感じた。

「先月のフランス料理は、とにかく量が少なすぎました!」

「あぁ。値段は高かったのにな」

「味も微妙でした!」

「薄味だったな」

 俺的には結構良かったんだが。確かに量については疑問で、フルコースで腹八分にもならなかった。家に帰ってパスタを湯がいて食べて、ちょうど良いぐらいに収まった。

「そういうわけで、質よりも量を取ります! 雰囲気よりもお腹いっぱいが目標です!」

 嫁さんが力説する。

 同意して、じゃあ、今月はいい肉を食べにいこうか。ということになった。



 ※47「嫁さんの腹回りと指回り」


 ――緊急事態が発生した。エマージェンシー。

「……」

「……」

 指輪が嵌らなかったのである。薬指の第一関節あたりで引っかかって進まない。

「……」

「……」

 しかし〝俺の方は問題なかった〟。

「嫁さん」

「違います」

「え、なにが?」

 オシャレな服を着て、まごうこと無き美女に変身した彼女は、俺の嫁さんではなかったのか。

「太ってないです」

「あぁ、うん」

 まごうことなき、俺の嫁さんだった。

 最近寒くなってきたので、冬物のコートを着ている。ぶくぶくである。

「ぶくぶくじゃないですっ!」

「わかってる。ふくふく、程度だよな」

「ふくふくでもないですうううぅっ!!」

 テンパっていた。

「指輪が縮んだのかも!? あるいは、私の指の膨張率が高い日なんですきっと!」

「かもしれないな。俺の方は問題ないみたいだけど」

 あの日と変わらず、綺麗に薬指に収まる。

「嫁さん、小指でためさせてよ。――お、こっちならいけんじゃん」

「ひどいいいっ!!」

 ぺしーんと、猫ぱんちでない、素のビンタが飛んできた。

 それからも「えいえい!」とか言いつつ、指輪を一生けんめい、めり込ませようとしていたが、無理だった。最終的には床の上に両手をついて、面白いポーズで打ちひしがれていた。

「嫁さん、そろそろ店行かないと」

「…………キャンセルで」

「えぇ。俺は肉食べたいよ」

「肉キャンセル! ニクキャンヘルシーマシマシで!」

 なんだそのラーメン屋で使えそうな呪文は。うちの嫁さんは面白いなぁ。



 ※48「節度があって、太らない旦那さん」


 イラストレーターという職業柄、家で一日こもって、椅子に座ったまま、絵を描き続けることは多い。必然的に運動量が減るので、人によっては太る。

「旦那サンハ、ドウシテ太ラナインデスカ?」

「間食しないから」

 即答すると「はうっ!」と、両肩を振るわせる生き物がいた。

「人によってはさ。作業中に甘いお菓子なんかを食べたくなるらしい。確かに糖分は集中力が増すって聞くけど、俺は甘い物が苦手だし、むしろ腹減ってる方が集中力が増すんだよ」

 想像力を働かせてモノを作る作業に正解はない。あくまで俺の場合は、なにも食べない方が捗るが。

「嫁さん、とりあえず食べなよ」

「……」

 土曜日。珍しく週休二日が取れた本日。

 俺たちは炭火焼きで有名な店の個室を借り、焼肉パーティを開催していた。月末ということもあって、扉の向こうにも団体客は大勢いるらしい。「わはははは! 今日はたらふく食って飲むぞー!」という酔っ払いの声も聞こえてくる。

「ほら、焼けたよ。上カルビ。嫁さんの好物じゃん」

「ううぅっ!」

 俺たちの正面。目前の机からは、質の良い肉の香りがただよってきた。対して、

「い、いただきます……」

 嫁さんは、キャベツを拾った。「自分、ベジタリアンなんで」と言わんばかりに、さっきからキャベツやナスやカボチャやらを食らっている。

「いや、肉食おうぜ。肉食べたいって言ったのは嫁さんだろう」

「だってぇ! 太るぅ!」

「もはや手遅れだ。明日から改善するということで、値段分ぐらいは食ってください」

 俺たちの薬指に指輪はない。代わりに彼女のバッグの中に、小箱が二つ入ってる。こういうところは、正直言うと面倒くさいなとも思うのだが、同時に愉快だったので許す。

「ブログの、マンガ用のネタが増えたよな」

「ダメですっ! ぜったい、ぜったい、ダメですからねっ!」

「なんでさ。女性が太った~って焦るネタ、傍から見たらこれ以上に面白いものはないぞ」

「鬼畜ですか!? 今日の旦那さんは私に手厳しくないですか!?」

「そろそろな。ここらで、俺と嫁さんの立場を、ハッキリわからさせておくのもいいかなと」

 ニヤリ。と笑うと、くっ、殺せ! と言わんばかりに、肉を食いはじめた。もりもり。



 ※49「アームガード(猫)が、やや重くなったので」


 日曜日、嫁さんが猫になる日。

 こちらの右腕を、抱き枕がわりに眠っているのはいつものことだったが、腕を持ち上げた時の重さが、ややズッシリとしていた。気がする。

「――主な改善点は二つだよ。嫁さん」

「にゃあ!」

 朝。習慣と化した一連の動作を終えて、食卓にホットケーキをのせた皿と、ミルで挽いたコーヒーを運ぶ。足下には猫の嫁さんが小走りで駆ける。

「まず、日曜の食事の改善からだな」

「にゃあ!」

 静かな朝、和室に置いたこたつの中に足を通すと、嫁さんもまた、こたつ机に置いた専用のざぶとんの上に、ちょこんと乗った。黄金瞳の相貌はやる気に満ちている。

「これまで、日曜日の嫁さんの食事は、コレだった」

 ――『スーパー・リッチ・デリシャアス・キャット・マッシグラ!』

「通称SRDCM。なんと一缶、五百円を超えます」

「にゃ、にゃあ……っ!」

 俺の日曜の食事は、コーヒー豆のコストを高めに見積もっても百円で済んでしまう。朝マック以下だ。

「嫁さんは、俺にとって大切な女性であるということも含め、日曜に開けても三缶だしということで、これまで貴女の食事はSRDCMでした。が、実はこれ、カロリーが高い」

「……にゃ、にゃあ……」

「栄養値が豊富だから仕方ない。というわけで、今日から嫁さんの食事はこちらです」

 ――『グッド・コスト・パフォーマンス・キャット・マンマ!』

「通称HCPCM。特売シールが貼られていることもあり、時価百円以下でした」

「ふにゃあ!?」

「君には意識改善をしてもらう。貴族令嬢のみが許されていた食事から、下々の者らが慣れ親しんだ、コストとカロリーオフだけに特化した、栄養食にシフトします」

「にゃあ! にゃあにゃあんあ~ん!!」

「どうした、痩せたくないのか? 一度堕落した肉を減らすには、これぐらいしないとな?」

「……ふみゃあ……」

 嫁さんの皿に、いつもの豪勢な食事ではなく、ぱりぱりに乾燥した猫まんまを足す。

「んじゃ、いただきます」

 静かな朝。いつもの日曜日。嫁さんは萎れた様子で、質素な食事を運んでいた。



 ※50「猫又先生の次回作にご期待ください!」


 日曜の昼間。仕事用イラストの線画を描き終え、メールを一通りチェックする。急ぎの物は返信し、実際のメモ帖にも書き込んでおく。

「よし、休憩入るか」

 デスクに貼り付けた付箋をはがし、丸めて捨ててから立ちあがった。隣に続く襖を開くと、こたつ机の上で嫁さんが死んでいた。

「………………にゃぁ」

 生きていた。生きてはいるが、生気がない。

 例の如く、彼女専用のPCタブレットがあり、ツイッターの画面が開かれている。


 『 せかいは、やみにつつまれた……。おれたちのたたかいはこれからだ…… 』


 相変わらず俺のアカウントで、適当なことを呟いていた。何人かが心配して、あるいは面白がって、「嫁さんとケンカしたんですか~?」「メシウマ」とか呟いている。

「嫁さん、昼だよ」

「……にゃあ?」

「お昼だよ。ごはんの時間だよ」

「にゃあ~あ……」

 どうせまた、あのダイエット栄養食品なんでしょ……へっ。

 たった一日で、すっかりやさぐれていた。一度贅沢に慣れてから、水準を下げた時に萎える気持ちは分からないでもない。

(……ただ、うちの嫁さんは、意志そのものが弱いんだよなぁ。割と)

 しょぼくれた嫁さんの姿に俺も胸を痛めつつ、食パンを一枚トースターに入れる。焼き上がるまでの間に、表玄関に立てかけた『来客不要』の看板を裏返しておこうと向かった時だ。

「あ」

 宅配用の小型トラックが走ってきて、ウチの前で止まった。

「ちわす! お届け物です! お手数ですが、判子お願いします!」

 荷物は俺の実家から。品名は母親の丸っこい字で『新作・しゅーくりーむ☆』

「はい。それじゃどうも~。失礼します~」

 宅配が帰っていく。背後の玄関から、邪悪な気配を感じとった。家の中に戻れば、闇に染まった金の瞳が「じとじと……」こっちを見ていた。

(くっ、可愛いな畜生! だがダメだ、今こそ心を鬼にする時ッ!)

 ――嫁さん、おまえの戦いはこれからだ。



 ※51「どうして美味しい食べ物はカロリーが高いの?」


「嫁さんに、もうひとつの試練を与えよう。それが、これだ」

 実家のケーキ屋から送られてきた、甘い菓子。

 俺の実家は個人商店を経営しており、両親は共同で毎朝ケーキを作っている。が、その家の長男である俺と、長女の妹はそろって甘い物がダメだった。

『まったくよぉ! テメェらほんと、可愛げのねぇガキ共だぜッ! 勘当だ、カンドー!』

 父親はことある毎に口にした。ちなみに祖父は寿司職人をやっている。家を飛び出しケーキ屋を始めた父親も、昔は同じようなことを言われたそうだ。血筋か。

「今日から、嫁さんは、おやつ抜きな」

「にゃあ!?」

 信じられない。そんなこと。まさか。といった顔をされても困る。

「少なくとも俺と嫁さんは、朝と夜は同じ家で、同じ物を食べてるわけだろう?」

「……にゃあ」

 こくりと頷く。可愛い。

「運動量から言えば、俺の方が少ない。でも太ってもない。となると、違いはこれだよな」

 実家から送られてくる、甘い菓子が原因だ。

 嫁さんは、俺や妹と違い甘党なので、うちの両親から大変気にいられている。結婚前に実家に挨拶に来た時も、一言「こんな美味しいの食べたことないです!」と歓喜するなり、


『 合格ぅ! 今日から遠慮なく〝お義父さん〟と呼んでくれよなっ! 』


 鶴の一声で認めやがった。しかもむせび泣きつつ、サムズアップまでしていた。あの父親、実の息子と娘にそんなに不満があったのか。あったんだろうなぁ。

 そういうわけで、こうして菓子を贈ってくるわけだ。俺の物は、甘さ控えめの仕様になっているが、嫁さん用だと思われるものは、生クリームマシマシの、如何にも胸焼けしそうな豪華仕様になっている。それを「美味しい~」と言って、ぺろりと平らげるのだから、

「まぁ、太るよな」

「……にゃ、にゃあ……」

 さっと目を逸らされた。逃げても無駄だ。

「まとめるとだ。この甘味分、および日曜の豪華猫缶をカットすれば、嫁さんは今すぐにでも痩せられるわけだよ」

 俺は、心を鬼にして断言した。

「だからそれまでは。贅沢も、お菓子も、一切禁止だな」



 ※52「ご愛読、ありがとうございました」


 嫁さんが痩せた。薬指に、すっと婚約指輪が収まる状態に戻った。

「……やった。やった。やった、やったやったやりましたああ~~!」

 掌をかざす。そこには、A4サイズカラーイラスト六枚分の報酬以上の指輪が飾られている。

 

『 長く苦しい戦いだった。しかし、平和はついにおとずれた。第一部・完 』


 あぁ。心がぴょんぴょんする~^とばかり、跳ね飛ぶ嫁さん。

 俺のアカウントで打った呟きも、実に晴れ晴れとしていた。フォロワーからの返信では「もう夫婦喧嘩は終わりですか?」「メシマズ」という、たいへん心温まるメールが届いていた。人って優しいよな。

「これで甘い物も食べられますし、月末にはお食事にもいけますし、日曜日には高級な猫缶も食べられますねっ」

「リバウンド注意な」

「わかってます。ちょっとずつ戻していきますから平気です」

 嫁さんは言って、早速記念のおやつタイムを開始した。


「はい。旦那さん、あ~ん♪」

「……あーん」

 嫁さんの差し出されたスプーン。その上に生クリームたっぷりのケーキがのっている。

「うぐっ!」

 甘い。脳天がとろけそうに、甘すぎる。

「よ、嫁さん……悪い。もう勘弁して……」

 やっぱり甘いのは苦手だ。

「ダメですよ。残すなんて、もったいないですからねぇ」

「だったら、嫁さんが食べてくれよ」

「私が食べると〝ふくっ〟としちゃうかもしれませんからねぇ」

 にっこり。嫁さんが最大の笑顔を向けてくる。

「はい。旦那さん。あ~ん♪」

 あまりの甘さに涙が出そうだった。

 嫁さんの戦いは、ひとまずの決着を迎えたが。

「うああ……。甘い、甘ったるいぃい……っ」

 俺の戦いは、まだまだまだまだ、始まったばかりだ。太るぞ。



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