14話~20話
※14「嫁さんと、ホットケーキ」
日曜の朝は、ホットケーキを二枚焼く。
初めて覚えた料理がホットケーキだった。一人暮らしを始めた時は、節約も兼ねて毎朝同じものが食卓にのっていた。今日もふっくらできたものを皿に乗せ、居間の方に運ぶ。
「嫁さん、できたよ」
「にゃあ」
うちの嫁さんは、日曜になると猫になる。
居間のちゃぶ台の上が定位置で、二股のしっぽを揺らしている。肉球を用いて、ぺちぺちと、タブレットの画面を操作した。
『いただきます』
小皿に切り分けたホットケーキと、小器に入れた水を置く。
「いただきます」
俺も両手を合わせる。おたがいに小さく会釈して、スズメの鳴き声が聞こえる静けさの中で食事をはじめた。
「にゃあにゃあ」
「ん」
俺はそのまま平らげ、嫁さんはほんの少しはちみつを垂らす。今日のはいくらか甘さが足りなかった様だ。台の上に置いた瓶を肉球でぱしぱし叩き言っていた。
『ちょっとお父さん、そこの醤油取ってよ』
今では実行される側だ。嫁さんのホットケーキの上に、ハチミツを少々垂らす。
「にゃあ♪」
「うん」
おざなりに答えた。日曜の朝は、どうしても言葉が少なくなる。食事をしている間にも、頭の中は絵を描くことに切り替わっていくのだ。
描かれる線と構図、着色と修正の過程。完成に要する時間を逆算する。舌が焦げそうなブラックコーヒーを一口、じっと含んで思考をまとめあげていく。
「……よし」
構想が形になる。いくつかのピースが「パチリ」とハマる感触だ。
「にゃあ」
ごちそうさまでした。嫁さんが食べ終えたのを見て、食器を持って流しに運ぶ。それを洗い終えたあと、居間の机の上でちょこんと待っている嫁さんの顔をなでた。
「じゃあ、いってくるよ」
絵を描く時は、いつもちょっとした旅人の気分だ。
※15「嫁さんと、こうどないんたーねっつ」
日曜の朝は、ホットケーキを二切れ食べる。
旦那さんに正体を明かした時、彼はちょっと驚いた顔をした。けど、翌朝にはすっかり慣れた様子で、実際そういうこともあるんだなとばかりに、いつもの様子で階下に降りて、淡々とホットケーキを作った。
「君も食べる?」
目前で起きた怪奇な出来事よりも、いつもの流れが崩れることを厭う。ちょっと面倒くさい人。マイペース。自分の場所には立ち入らせず、黙々と手を動かし、色彩にあふれた空間を作りだす。
「いらないなら、俺だけで食うけど」
雨の空を思わせる灰色の眼差し。向かって、私はひとつ「にゃあ」と鳴いた。
平日の私は、ウェブ絡みの仕事をやっている。
ヒトであれば誰もが触れるネットの世界は、まず顧客を探すところから勝負がはじまる。しかし今は還暦を超えた年配の方々でも、スマホを自在に操り「ばあさんや、はらへったなう」「じいさんや、なうたべたでしょう」とツイートする時代だ。手強い。
しかし私の場合は、ちょっとしたコネというか〝普通の人には知られていない、さらに世間知らずなモノたち〟がいるので、営業には困らなかった。
「インターネットください。電源を入れたのにつながらない」
「電子メールの、あかうんと、とかいうのがあるじゃろ? あれの手形がほしいんじゃ」
「マインクラフトの、ぱっちの当て方がわからぬ。我に伝授せよ」
今時の小学生でもできることが、彼らにはできない。しかしモノによっては、何百年と生きているので、金や土地だけはたっぷりと持て余している。
「にゃあ」
私もまた、その種族の血を、ほんの少しひいている。
一世紀近くもの大昔。年号を四つほど遡った時代に、私の〝曾々おばあちゃん〟が、ヒトの男性に恋をしたのである。二人は結婚して家庭を持ち、それなりに幸せに暮らしましたが、百年後の孫娘に『先祖返り』と呼ばれるものが発症しましたとさ。はた迷惑な。
――それが私だった。
土曜の深夜二十四時。日曜になるのと同時に、私の身体は白い毛並の、尾が二股に分かれた白猫に変わる。着ていた服はするりと抜け落ち、鏡を覗けば金色の瞳がこちらを見ている。
その顔を見ていると、日曜日はなにもせず、日当たりのいい場所で寝転がりたいと思うのだ。
※16「嫁さんと、はたらく女性」
うちの嫁さんは、平日はスーツを着て、意気揚々として会社に向かう。
俺は仕事柄、あまりフォーマルを着る機会がない。取引先も、割と私服での出入りが許されている業界なので、打ち合わせの場にも大体私服で向かうのだ。
そんなわけで、率直な感想を言えば「うちの嫁さんカッコイイ」。彼女はウェブ関連の仕事を請け負っている。基本は営業職で外を歩き、契約を拾ってくるのが主らしい。業績は社内でも堂々の一位であり、いつもどこから顧客を見つけてくるのか、秘蔵の交渉テクニックでもあるのかと羨望の的だそうだ。職場ではかなり仕事ができる、有能な人材なのだろう。
「にゃあ~ん♪」
しかし日曜は、割と究極的に、なにもしない。
猫の姿に戻るので仕方がないといえばそうなのだが。だいたい一日中、こたつ机の上でタブレットを弄り、最近は延々と刀剣乱舞のキャラクターのカンストレベル上げに勤しんでいる。
俺はいつもと同じライ麦パンを二枚焼いて、バターを一切れのせて食べている。それとブラックコーヒーを一杯煎れる。嫁さんにはいつもの猫缶と、ミネラルウォーターを一杯。
「にゃあ」
「うん?」
嫁さんがやってきて、こっちの膝元にぽすんと座った。
日曜日でも、これぐらいは甘えて良いでしょう。といった具合に触れてくる。
「嫁さん、その姿の時は、撫でられるの嫌ってるんじゃなかったっけ」
「にゃあ」
今日は特別。なんでもない日だけど、気まぐれに、いいよ。
「ん、それじゃ」
了解を得たので毛並をなでる。
嫁さんが目を瞑り、うとうとし始めたところで、さりげなく、
「にゃっ」
――びしっ!
「資料だよ。嫁さん」
「にゃっ、にゃっ」
――びしっ、びしっ!
「いいじゃないか。写真の一枚ぐらい。ブログのネタにもなる――」
「ふにゃああっ」
がぶり。
うちのアルバムには、日曜の写真が、まだ一枚もない。
※17「嫁さんと、伝統のオキテ」
厄介なことに、先祖返りをしたところで意識は〝ヒト〟のそれに近かった。猫の姿で日向ぼっこをするのは好きだけど、服も着ずに外を出歩くのは、羞恥心がジャマをして出来ずにいた。
首輪を付けるなんてもっての他だし、写真を撮られるのも恥ずかし過ぎる。なのに、うちの旦那さんと来たら、隙あらば私の写真を撮ろうとする。
(――普段の日は、写真なんて撮ろうとはしてくれないのに)
よりにもよって猫の姿。全裸でごろごろしている醜態を撮影しようとするのだから、もしかして変態なのかと疑ってしまう。反して私が撮った、素敵すぎる風景写真を見せたところで「うん、よく撮れてるじゃないか」と適当に流すのだ。許せん。
そもそも、ネットで「猫画像 検索」と入れると、大半が全裸でごろごろしていたり、鍋に入っていたり、だらしのないお腹を見せていたり、股を開いていたりする。
アダルト指定を受けないのが、本当に不思議だ。
私も最初に旦那さんに裸を見せるのは緊張した。正直今でもドキドキするのだけど、日曜の旦那さんは絵のことばっかり考えているので、私の裸を見ても平然と食事を続けている。悔しい。
とはいえ、この感覚が『猫又』である稀有な例で、旦那さんが一般的なヒトの感覚であることは分かっているつもりだ。きちんとしたヒトの姿である時は、ちゃんと身体も愛してくれる。
(なんだか、ちぐはぐしてる)
中途半端に人間で、中途半端に猫だから。
旦那さんと結婚する前、学生の時はそれなりの優等生をやってきた。土曜日は友達と遊ぶこともあったけど、門限が近づくと必ず家に帰った。
私の正体を知っているのは、これまでは実家のお婆ちゃんだけで、そのお婆ちゃんとの約束を、私は頑なに守ってきたのだ。
「貴女が生涯、共に生きたい男ができたなら。その人にだけ、正体を明かしなさい」
「男には契約を与えなさい。私の正体が他所に知れたら、二度と貴方の前には現れないと」
先祖返りの元。遠い昔からの約束事。今も山間の僻地で暮らす、私のお婆ちゃんから授けられたお小言は、今も旦那さんとの間に生きている。
ブログの漫画の「うちの嫁」が、本物の服を着た猫又なんて、旦那さんとお婆ちゃん以外は知りえない。
あと最近、ド田舎のお婆ちゃんの実家にも、無線WIFI環境が整った。先週もブログのコメントに「うちの孫がご迷惑をおかけしまして。今度お詫びに向かいますん」と表示があった。即座に管理者権限で削除した。ネットで個人情報晒しちゃダメ。あと、恥ずかしいからやめて。
※18「嫁さんと婆ちゃん」
うちの嫁さんは、日曜は猫になる。
聞けば『先祖返り』という症状を発しているらしく、自分でどうにかできないとのことだった。
「――先祖返りってことは、君の先祖にも、同じような猫又がいたってことかい?」
まだ彼女と婚約していなかった時に、そう尋ねた。
「うちのお婆ちゃんがそうなの。明治の終わりごろに、ヒトになったって」
「へぇ」
まだ猫の姿を見せていない時。最初は当然、冗談を言っているのかと思った。
「そのお婆さんは、どうなったの」
「今も生きてるわよ」
「ん?」
「今年で百いくつか忘れたけれど。本人的には、永遠の十七歳なんだって」
ぼんやり明るい蛍光灯の下、嫁さんは呆れたように笑っていた。
「仲良いんだな」
「そんなことないわよ。口を開けば、すぐにシキタリだの、オキテだの言いだす人だから。高校卒業したら、絶対に家を出るって思ってた。私の実家、かなり田舎なのもあったから」
「で、ここに来てしまったと」
「来てしまいました」
俺たちは二人、もう少し笑った。
「それで、ね……」
彼女の髪をなでていると、少し緊張した声で囁かれた。
「きっと、貴方も一度は耳にしたことがあると思うけど。鶴の恩返しって話、知ってるでしょ」
「え? あぁ。夜中に本当の姿を見られたら、帰ってしまうって話だったよな」
「うん。鶴はどうして、帰ってしまったのだと思う?」
「そりゃ……男が約束を破ったからじゃないかな」
「正解。だから私もひとつ、貴方に約束を持ちかけさせて」
その時だった。寝室の時計がちょうど二十四時を指した時。胸板に触れていた人肌が、ふわふわとした動物の毛並に変わっていた。
「――にゃあ」
金色の瞳が告げてくる。
私の正体は、誰にも内緒。貴方だけ。
※19「宣伝不精の旦那さん」
私の旦那さんは、絵を描くことを生業にしている。
萌えも燃えもいける人なのだけど、自分の絵を宣伝する方向性が足りてない。うちの旦那さんには、営業力が決定的に不足しているのだ。
付き合い始めた頃のブログを覗けば、最終更新日が一年以上も前だった。内容も、仕事の報告と古いイラストを並べているだけ。ツイッターを始めとしたソーシャル関係も、最終発言日が半年も前。しかもその内容が、
「今日は疲れたので寝ます。おやすみなさい」
それだけだった。ウェブ関連の技術屋さんにもこういった人は多い。いわゆる職人気質で、技術はあるのに営業方面は空っきし。顧客がなにを求めているか、さっぱり分かってない人だ。
私が「もっとどうでもいいこと呟いて! そういうのが見てて面白かったりするから!」と主張したら、一応は「わかったよ」と言うのだけど、
「今日は良い天気だ。良い絵が描けるよう頑張ろう」
それ小学生の作文の一行ですよ、旦那さん!?
……とはいえ、実際ツイッターの発言を眺めれば、大勢がそんな感じだったりするのだけど。
「旦那さん、貴方のツイートは、まっったく面白くないですっ」ブログも一度見れば十分です。
「別に構わないよ」と言いきった頬を軽くビンタして、せめてブログで4コマ漫画を描きなさいと提案した。単純に私が暇をつぶしたかった故の提案だったが、その瞬間の旦那さんの「マジ面倒くせぇ。覚えてろよコイツ……」という顔を、私は生涯忘れないだろう。
「日曜日のうちの嫁」
翌日から、猫の私が服を着て二足歩行し、マグロの頭をした旦那さんとの日常が漫画にさせられていた。
「ちょっとー!? 私の秘密、誰にもバラさないでって言ったじゃないですかあぁ!?」
「大丈夫だろ。尻尾のところもちゃんと一本にしてるしさ。服も着てるぞほら」
どや顔の旦那さんであった。猫又だってバレたら絶対に実家へ帰ろうと、この日に誓った。しかし今のところアクセスは順調に増えている。悔しいので、私も旦那さんのツイッターのアカウントを乗っ取り、「嫁さんマジ超愛してる。お前がいないと生きていけない」とか呟いている。
※20「嫁さんの縁の下」
最近、出先で同業者に合うと「ブログの漫画見てますよ」なんて言われることが増えた。
「嫁さん可愛いですねぇ」
「なんか僕も結婚したくなっちゃいました。実は婚活関連の回しものじゃないですよね?」
それは違う。
「最近、ツイートでもラブコール連発してますよね」
それも俺じゃない。最近、機嫌が悪かった嫁さんの仕業です。しかし口にすると、また気まぐれに期限を損ねてしまうので、曖昧に「お恥ずかしい限りです」と言って誤魔化した。
「それじゃあこれで。案件の方よろしく」
「はい。後日また、ラフが上がればメール送りますので、よろしくお願い致します」
夕方に出先の上司との打ち合わせを終え、頭を下げて別れた。
金曜日。宵闇にさしかかった秋の夜長。
駅のホームを目指してまっすぐ歩いていると携帯がふるえた。
メールの着信、嫁さんだった。
『旦那さん、お仕事の方どうですか?』
「ちょうど終わったよ。今駅の方に向かってる」
今日はおたがい外回りの予定で、仕事が終わる時間も重なりそうだった。
「たまにはお外で外食したいな~」
俺のアカウントで、そんなツイートをされたのが昨日の昼間のこと。
「最近、そこそこ近くに美味しいお店ができたみたいだな~」
ちらっ、ちらっ、と視線を向けて来たのが昨日の朝。
「でもな~、お給料日前だからな~、贅沢はな~、でも普段、お仕事を頑張ってるお嫁さんは喜んでくれるだろうな~」
食事の席に座り、しじみの味噌汁を啜りながら、実際に言葉にして、
「……店、どこ?」
「ここ~♪」
折れたのが今朝だ。最近の学生よろしく、嫁さんも常に携帯機を手放せない派だった。
「へぇ、面白い外装の建物だな。これ素材なんだろう」
「あ、旦那さん。やっぱりそういうとこに目がいくんですね」
「職業柄かな。で、フランス料理?」
「うん。なんかフランスっておしゃれじゃないですか~」
うちの嫁さんは、若いんだなと、改めて思い知らされた。