005 切り取られた空
中等部の校舎と寮の敷地の間を抜け、僕らは理事長棟へと向かう。
少しだけ後ろ髪を引かれる思いをしながら、僕は中等部の校舎を振り返った。
「大丈夫よ、優斗。きっと楓ちゃんも無事だから」
「……うん。ありがとう、里香」
僕の視線に気付いた里香が声を掛けてくれる。
妹の楓も、ちゃんとクラスの皆と一緒に教室に隠れているのだろうか。
里香に勝るとも劣らない活発な妹。
一人教室を抜け出して、皆に迷惑を掛けていなければ良いんだけど……。
理事長棟に到着した僕らは急ぎ足で階段を駆け上がる。
「もう……! どうして……! エレベーターが……! 動いていないんだよ……!」
「やっぱ大地震かなにかで電気が止まってんじゃねぇか?」
息を切らしながら階段を駆け上がる僕と、余裕の表情で上っていく大輝。
「もしもそうだったら……! 水道もガスも……! 止まっているのかも……! しれないですね……!」
「え? じゃあシャワーとか浴びれないのかな……」
同じく息を切らしながら階段を駆け上がる瞳と、余裕の表情の里香。
「はあ、はあ……! 待って、みんな……! と、歳は……取りたく……ないわね……」
少し遅れて楠先生が階段を駆け上がってくる。
理事長室は最上階の12階だ。
普段はエレベーターを使用するから、非常階段を登ることなど滅多にない。
無事に獣に遭遇することなく最上階に上りきった僕らは、その足で最奥にある理事長室を目指す。
「無事ですか! 理事長!」
扉を開けた楠先生は理事長の安否を確認する。
「楠先生……! どうしてここに? 教室から出ては駄目だとあれほど……!」
「申し訳ありません……。ですが、事態がどうなっているのかを知りたくて――」
理事長は先生の後ろに立っている僕らを確認し、さらに驚いた様子だった。
そして楠先生に向き直り、諭すような口調で話しだした。
「……危険だというのに、生徒まで連れてきて……。もしもあの獣に襲われでもしたら――」
「もうとっくに襲われましたよ。俺らの教室に一匹忍び込んできた時点で」
楠先生を庇うように大輝が会話に割って入る。
「でも、優斗のおかげで皆無事だったんです」
大輝に続けて里香までもが理事長と楠先生の間に入る。
「優斗……というのは、そこの学生のことですか?」
「……はい。ここまでの経緯をきちんとご説明しますので、理事長が得た情報を教えていただきたいのです」
真剣な面持ちで理事長の目を真っ直ぐに見つめる楠先生。
「……いいでしょう。中にお入りなさい」
諦めたように理事長はそう言い、僕らを中に招き入れた。
◇
楠先生は丁寧に今までの経緯を説明してくれた。
僕の『見る力』のこと、クラスメイト全員に授かった力のこと。
あの獣に襲われたこと、全員無事だったこと――。
「俄かには信じがたいですが……」
「藍田くん」
「はい」
楠先生の合図で僕はソファから立ち上がる。
そして少しだけ前に出て理事長に視線を合わす。
即座に理事長の頭上に出現するステータス。
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NAME シン
LV 1
HP 18/18
AP 14/14
MP 9/9
ARTS -
MAGIC -
SKILL 『教育』
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僕はいつものように瞬きをする。
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JOB 教学士
WEAPON(R) -
WEAPON(L) -
BODY 黒い上質なスーツ
WAIST 黒い上質なスーツ
SHOES 黒い上質な革靴
ACCESSORIES 眼鏡のチェーン
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「これは……? 『知識』が頭の中に……?」
頭を抱えた理事長は動揺した素振りを見せながら僕に視線を向け直す。
「申し訳ありません、理事長。こうしたほうが早いと思いましたので……」
僕の代わりに楠先生が代弁してくれる。
大輝や里香のケースと同じく、僕が『見た』瞬間、自身の能力についてはある程度の知識が注ぎ込まれるみたいだった。
どういう仕組みなのかは分からないが、説明するよりも手っ取り早いことは確かだ。
「なるほど……。私は『教学士』という訳ですか……。とうことは、先程の説明のとおり、個々における職業や特技、趣味や性格などがこの世界ではJOBとして与えられるということなのですね」
「? この世界では、とはどういう意味でしょう?」
理事長が漏らした言葉に、楠先生は反応する。
『この世界』?
やはり理事長は何かを掴んでいるのだろうか……?
「……分かりました。今度は私の番ですね……」
椅子から立ち上がった理事長は僕らに背を向け、窓に視線を向け語りだした。
「君たちは、空を見ましたか?」
「空?」
理事長の言葉の真意をつかめずにそのまま同じ言葉を繰り返した里香。
他のみんなも首を傾げている。
でも、僕は――。
「……それは、あの『音が無くなった瞬間』のときの事を言っているのでしょうか」
「優斗……?」
皆の代わりにそう答えた僕。
「君は見たんだね、あの空を。まるで鋏で切り取られるようにして、この学園は空ごと別の世界に飛ばされてしまったのだと、私は考えています」
理事長の言葉に息を呑む。
誰も笑ったり、発言したりはしなかった。
もうすでに、僕らは経験している。
普通じゃない現実を――。
「あらゆる手段を使ったのですが、外部と連絡が取れません。警察も自衛隊も駄目……。それどころか電気、ガス、水道、それら全ての供給が遮断されています。なんとか校内の備蓄電気で校内放送だけは続けていますが……」
「マジかよ……。じゃあ、俺らは本当に別の世界に……?」
頭を抱えて蹲ってしまった大輝。
「あ、あの……! 学園以外のことは分からないのでしょうか……! お父さんとかお母さんのこととか……!」
震えた声で瞳が質問する。
「……はい。残念ですが、校舎の敷地外のことは一切分かりません。ここが何処なのか、私達の元いた世界がどうなっているのか……」
「そんな……」
今にも泣き出しそうな顔でそう答えた瞳。
里香が優しく彼女の頭を撫でている。
「理事長は、これから私達はどうしたら良いとお考えですか?」
楠先生が真剣な面持ちで質問する。
「そうですね……。幸いにも、藍田くんのおかげで今のところ我が校に死傷者は出ていません。先程の話ですと、一匹だけ敷地内に紛れ込んだとのことですが、正門を閉じる際に侵入を許してしまったと用務員からは報告を受けています。混乱を防ぐ為に『教室から出ないように』とだけ放送したのですが……」
「その一匹が私達の教室に侵入してしまったのですね……。もしも別の教室だったらと思うと……」
里香の言葉に皆が生唾を飲み込んだ。
これは不幸中の幸いということなのだろうか。
戦う力を得た僕らだったからこそ、窮地を乗り切ることが出来たのだから。
「恐らくこの場所は、あの『グランドビースト』という魔獣の巣かなにかだったのでしょう。その場所に校舎の敷地ごと私達が転移をしてきた、と考えるほうが自然かもしれませんね」
「転移……。学園ごと、別の世界に……」
僕はあの切り取られた空を思い出す。
まるで誰かが悪戯をしたみたいに。
真四角に切り取られた空に、ぽっかりと空いた、何も無い空間――。
ここは別の世界――『異世界』なのだろうか。
僕らはここで電気もガスも水道もない生活を強いられる……?
元の世界に戻る方法は?
食料は? 飲み水は?
まさか正門を抜けて、あの魔獣の大群の中を探しにいくとでも?
窓に視線を向けていた理事長はこちらを振り返り、大きく息を吐いた。
そして再び口を開く。
「――全校集会を開きましょう。中等部、高等部、各教員、用務員。全982名を体育館に集めてください」
〇藍田楓
主人公の妹。
伊ノ浦学園中等部の2年生。
軽音部に所属する活発な女の子。
〇伊ノ浦深
私立伊ノ浦学園の理事長。
全身黒のスーツに身を包んだオールバックの男性。
〇『教育』
教学士のユニークスキル。
一時的に相手に強制力のある任意行動をとらせることが出来る。
レベルアップにより強制力、任意行動の種類が増えていく。