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イミテーション・ヘブン  作者: 鷹峯和乃
3/5

高原

1995年 7月


良く晴れた昼下がり、爽やかな初夏の風で木々が揺れる。


高原へと向かう道には、そんな柔らかな木漏れ日がチラチラと降り注いでいた。


静かな森の中をバスが行く。


バスは緩やかな上りの一本道を、ゆっくりと進んでいた。


車内は最後部座席に青年が2人、あとは運転手のみという貸切状態だった。


「…おぃ。」


仏頂面で、青年の1人が口を開いた。


「何だよ?」


「拓海お前、高原の避暑地っつったよな?」


「そーだよ。 ホレ、このパンフレットにも書いてあんだろが。 現代の別天地ぃー、高原での素敵な思い出をあなたにーってよ。」


そう言って拓海と呼ばれたもう1人の青年は、隣の仏頂面の目の前でパンフレットをピラピラと動かした。


「…高原の避暑地っつったら、軽井沢だろが。」


パンフレットを奪い取る仏頂面。


「誰も軽井沢なんて言ってねぇだろ。お前が勝手に勘違いかましたんじゃねぇかよ。」


「長野の避暑地っつったら、そんだけでフツー軽井沢だって思うだろ!? お前も来る前に言っとけよ!」


「あー、あー、わぁーった。わぁーった。 そらぁ、すんませんしたぁー。」


拓海の適当な態度に、仏頂面は益々ぶうたれた。


「お前、ケンカ売ってんのか? …百歩譲ってここが軽井沢じゃないとしてもよ、何だこれ?」


「何って、何がよ?」


「ギャルやコギャルが1人もいねぇじゃねぇか! つーか、それどころかこのバスにはそもそもオンナが1人も乗ってねぇっ! もっと言えば、俺らしか乗ってねぇっ!」


静かな車内に、仏頂面の声はむなしく響いた。


「おいおい、そう興奮すんなって。 一生懸命運転してくれてる運転手さんの迷惑になるだろが。 俺ら、もういい大人なんだからよ。」


そう言って、拓海はなだめるように続けた。


「だいたいなぁ、お前今日何曜日だと思ってんだよ? 週の真ん中水曜日よ? 平日の昼間に、高原にバスで向かうヤツなんてそうそういねぇっつーんだよ。今やシニアの方々でさえ、小粋なマイカーで宿泊地までひとっ飛びだ。それにな、時期的に夏休み前だぞ? ギャルやコギャルがいるわけねぇだろが、タコ。」


「じゃあ、せめて土日に予約しろよ…!」


拓海の淡々とした言葉に、仏頂面のテンションが、みるみる下がっていく。


「ムリムリ。お前の休みと俺の休みが合って、なおかつ宿泊期限内なのは、今日と明日だけなんだよ、タコ。」

「…それじゃあ、軽井沢でギャルやコギャルとひと夏のアバンチュールでキャッキャウフフするっつー俺の 計画はどうなるんだよ〜…。」


テンションが下がりきって、うなだれている仏頂面を横目に、拓海はため息をついた。


「諦めろ、端っからそんな予定はどこにもねぇ。俺だってお前なんかじゃなく、フカキョンみたいな可愛いオンナと来たかったっつーの、タコが。」


「…お前、モテねぇもんな…。」


うなだれていた頭をおこすと、仏頂面は哀れむような目で拓海を見た。


「おぃ…、何自分はモテてるみたいな物言いしてんだ? お前も同類だろが。認めたくねぇけど、そこに関して俺らは完全な類友なんだよ! このタコ!」


拓海の中に、苛立ちが沸々と湧き上がってくる。

 

「類友じゃねぇよ! 一緒にすんな! 少なくともお前よりはぜってぇモテてるから。 つーかさっきからタコタコうるせぇんだよ! 3回目だろが? ちゃんとカウントしてんぞ、コノヤロー!」


言われた言葉にカチンときたのか、拓海をじろりと睨みつけ、熱くなる仏頂面。


「ぁあー!!  うるっせぇえ!! いい加減にしろよ? 運転手さんの迷惑になるっつってんだろが!! 3回じゃねぇよ、4回だよ!! 数も数えられねぇのか、てめぇは!! だからモテねぇんだよ!! この馬鹿!!」


今まで冷静を保っていた拓海も、仏頂面に煽られて熱くなる。


「言いやがったな!? 上等だ!! てめぇ、相変わらずチマチマチマチマこまけぇ男だな!! だからモテねぇんだよっ!! 表出ろ!! タコ4回プラス馬鹿1回で、合計5回だ!! 回し蹴りでノしてやんよ!!」


「上等だ、コラ!! すぐにでも降りてやる!! てめぇ、返り討ちにしてやるから覚悟しとけよ!!」


2人が顔を近づけて睨み合った時、機械的なアナウンスが流れた。


『次は、霧の森ー。霧の森ー。お降りの方はボタンを押して下さい。』


「…押せよ。次なんだろ?」


仏頂面は睨みつけたまま、拓海の手前にある停車ボタンを押せと言わんばかりに、アゴで促してみせた。


「…てめぇが押せ。」


拓海も睨みつけたまま、仏頂面の手前にあるボタンをアゴで促す。


「ざけんな、てめぇが押せ!」


「ふざけてんのはお前だ、てめぇが押せ!」


そんなやり取りを何度か繰り返しているうちに、バスは速度をみるみる落として停車した。


「お客さーん、ここで降りるんですよねー?」


一番前の運転席から、運転手がひょこっと顔を出した。


困り顔で、こちらを振り返っている。


「すんませんっ!! 降ります、降りますっ!!」


拓海は慌てて足元にあった旅行カバンを持つと、 バスの昇降口へと向かった。


仏頂面も後に続く。


「せっかくの旅行に、喧嘩なんてしていたら勿体無いですよ。」


運賃箱の前で慌てて財布を取り出そうとしている2人に、白髪混じりの優しそうな運転手はそう言った。


「ご迷惑をおかけしました…。」


拓海は軽く頭を下げて、運賃箱に小銭を落とした。


「すんませんでした。」


仏頂面も、小銭を落として頭を下げる。


「いやいや、若い人は元気があっていいね。それでは良い旅を。」


「ありがとうございました。」


拓海はかけられた言葉にお礼を言うと、仏頂面と共にバスを降りた。


久しぶりにのんびりとハネを伸ばすつもりで来た旅行だったのに、早速やってしまった。


この一泊旅行が当たって、傘を盗まれてスーパーの入口で途方に暮れていたあの日、拓海のケータイが鳴った。


相手は先程まで睨み合っていた仏頂面こと、鴻上龍成だった。


彼らは、高校からの友人同士だった。


高校では3年間机を並べ、進学先の大学も同じ。


大学を卒業してお互いが社会人となった今も、交流は続いている。


電話の内容は、飲みの誘いだった。


拓海は旅行が当たった事と、傘が盗まれてスーパーで立ち往生している事を鴻上に伝えた。


すると、鴻上は迎えに行ってやる代わりに、その旅行に自分も連れて行けと言い出したのだ。


他に一緒に行く相手も思い浮かばなかったので、拓海は軽い気持ちで鴻上の申し出を承諾したのだった。


場所が高原の避暑地ということもあり、古くからの腐れ縁である鴻上などではなく、可愛らしい女のコと来たかったのだが、拓海には彼女も、ましてや彼女予備軍と言えるようなコもおらず、哀しいかな、鴻上と行くという選択肢しかなかったのだ。


拓海には、もう何年も彼女がいなかった。


それどころか、浮いた話も全くない。


拓海はモテないのだ。


先程鴻上にイラついたのは、図星をつかれたからだった。


ルックスが悪い訳ではない。


高身長で痩せ型、透けるような白い肌に、程良くついた筋肉、スラッとのびた手足。


顔は、大半の女性に好印象を与える事ができる程綺麗で整っていた。


では、拓海は何故モテないのか。


理由は簡単。


阿呆で、デリカシーの欠片もない男だったからだ。


これは腐れ縁である鴻上にも、同じ事が言える。


ルックスが良い分、最初だけはチヤホヤされるのだが、ほとんどが初めてのデートで終了してしまうのだ。


どうデリカシーがないのかというと、ある時は、デートのためにバッチリメイクをして、グロスを塗った女のコに満面の笑みで『揚げ物でも食べてきた? 付いてんぞ!』とポケットティッシュを差し出し、またある時は、少しふくよかな女性に対して、これまた満面の笑みで『お前、太ってて本当にかわいいな!』とさらりと言えてしまえるほどの猛者だった。


こんな調子なので、高校、大学と何度か彼女がいたこともあったが、どれもすぐにダメになってしまっていた。


社会に出てからは、誰とも付き合っていない。


ここまで来ると、自分が恋愛に不向きなことは判っていたし、それに関しては半分以上諦めていた。


鴻上はまだ諦めていないようだったが、諦めていようがいまいが、彼らが全くモテないという事実に変わりはなかった。


「お、やっぱ涼しいなー。」


バスを降りると、ヒンヤリとした心地良い風が彼らの頬を撫でた。


バスでは終始仏頂面だった鴻上も、高原に吹く清々しく爽やかな風に撫でられて、その表情はすっかり柔らかくなっていた。


「お前のそういう単純なとこ、ある意味俺は尊敬するよ。」


拓海はその場に旅行カバンを下ろして、ため息をついた。


「心が広いからな、俺は! 細かい事は気にしねぇんだよ。さて、迎えが来るまで一服すっかな〜。」


鴻上は旅行カバンを拓海の隣に下ろすと、パンツのポケットからライターと煙草をいそいそと取り出した。


「お前、こんな空気の綺麗な所で煙草って…。マジかよ…?」


「うるせ。こんな空気の綺麗な場所だからこそなんだよ。うまいぞ〜、お前も吸うか?」


煙草に火をつけ、深くそれを鴻上は吸い込んだ。


「お前、俺が今禁煙中なの知ってて言ってんだろ?」


「え? あ、マジで? いや〜、知らなかった知らなかった。それは残念だなぁ〜。」


そうわざとらしく言って、先程吸い込んだ煙を拓海の眼前に吐き出してみせた。


「ケムい! 言っとくけどな、俺は誰かみてぇにそんな分かりやすい嫌がらせに熱くなるような単純じゃねえからな。つーか、消せ。来たぞ。」


拓海は煙を片手でぱたぱたと扇ぐと、反対の手でカバンを持った。


現れたのは、白いバンだった。 7、8人程が乗り込める大きさのもので、車体には“霧の森レイクサイドホテル”と印刷されている。


バンは2人の目の前で停まると、運転席からひとりの男性が降りてきた。


「お待たせ致しました。佐久間様ですね? さ、どうぞお乗り下さい。」


そう言って男性は、 後部座席のドアを開けた。


佐久間とは、拓海の名字である。


鴻上はパンツのポケットから携帯灰皿を取り出すと、慌てて火を消した。


拓海が最初に、次に鴻上が乗り込む。


「良く俺らだってわかりましたね?」


「今日の送迎は、佐久間様だけで御座いますので。それに平日のこの時間、このバス停の前に人がいることはめったにないんですよ。」


男性はにこにこと微笑みながら拓海の問いに答えると、後部座席のドアを閉めて運転席に乗り込んだ。


「それでは、出発致します。」


車は声を合図に、みるみるスピードを増していく。


新緑の中を車は進んだ。


数分程行くと、その中に白樺の木がぽつぽつと増え始めた。


車が進む程に白樺の木は増えていき、あっという間に白樺の林になった。


その林の間から、キラキラと光が覗いている。


「あれは…。」


拓海が何なのか聞こうとした時、車は林を抜け、同時に大きな湖が現れた。


湖は日の光を受けて輝いていた。


先程林の中から見た光はこれだったのだろう。


「こちらは霧神湖と言います。あと少しで到着いたしますよ。」


車は、湖に沿って進んだ。


進むにつれて、旅館やホテルといった宿泊施設が目につくようになってきた。


どうやら、この辺りが温泉地のようだ。


様々な施設の中でも、一際大きく綺麗な建物の前で車は停車した。


木々が優しく揺れる湖のほとりに、それは建っていた。


白で統一された外壁に、神殿のような造りの洒落た外観。入り口付近にはしっかりと手入れが施された色とりどりの夏花が、彼らを出迎えた。


「到着で御座います。足元の方、お気をつけてお降り下さい。」


男性は運転席から降りると、そう言って後部座席のドアを開けた。


2人が車から降りると、入り口に立っていた若いベルボーイがすぐさま近づく。


「佐久間様、お疲れ様で御座いました。お荷物、お持ち致しますね。」


2人から荷物を預かると、こちらで御座いますと言ってベルボーイは歩き出した。


彼らもその後に続く。


入り口を抜けると、そこは広くてモダンな雰囲気のあるロビーだった。


革張りのソファーに綺麗に生けられた生花、大きな古時計に厳選された絵画や調度品。


フロントの横では、ピアノの生演奏が行われている。


軽快なジャズが、耳に心地良く入り込んできた。


「すげぇー…。」


ホテルの雰囲気に圧倒され、自然と声が出る鴻上。


2人がフロントへ向かうと、フロントマンが満面の笑みでこちらを見た。


「長旅、ご苦労様でした。こちらへ御記帳をお願い致します。」


言われた通りに、拓海は差し出された宿帳の項目を埋める。


「これでいいですかね?」


「はい、結構で御座います。では、そちらの者がお部屋までご案内致しますので、よろしくお願い致します。」


そちらの者とは、荷物を持ってくれていたベルボーイだった。


「それでは佐久間様、こちらで御座います。」


2人は、ベルボーイの後に続いた。


部屋に入ると、そこは2人で泊まるにはとても広く、そして豪華だった。


純白なシーツと清潔感溢れる寝具がしっかりとベッドメイキングされているベッドが2つ並び、ベッドの隣には大きなテーブルに黒革のソファーが置かれていた。


壁際には70インチの薄型テレビが置かれており、壁づたいに視線を右に移すと、十段程の階段が見える。


階段の先の天井からは、外の日の光が差し込んできていた。その部分だけ、天窓になっているようだ。 


「すごいっすね…。」


拓海が部屋を見渡しながらポツリと言う。


「はい。当ホテル自慢のメゾネットスイートで御座います。何か御座いましたら、フロントへ何なりとお申しつけ下さい。…それでは、失礼致します。」


ベルボーイはそう答えると、爽やかな微笑みを残して部屋を去っていった。


「拓海ぃ…。」


「何だよ…?」


「やっぱすげぇわ、お前! 俺、昔っからお前には他とは違う引きがあると思ってたんだよ! いや〜、さすがっすよ拓海サン!」


大袈裟に拓海の方に向けて右手の親指を立てた鴻上の目は、らんらんと輝いているように見えた。


バスで見せていたモノとは全く違う。


「龍、お前超ゲンキン。さっきまでと態度が全然違うじゃねぇかよ?」


「だから細かい事は気にすんなって! 見ろよこのベッド、フツーのシングルより超デカい! 俺が寝てもまだ余裕あるぜ?」


鴻上はそう言って、2つのうちの片方に寝そべって見せた。


確かに大きい。


鴻上の身長は180センチ程の筈だ。


「足、飛び出ねぇな。フツーのシングルじゃねぇのかも。」


拓海も隣のベッドに寝そべってみる。


鴻上ほどではないが、拓海自身も178センチと高さはある方だ。


「チェックイン済んだし、外行かね?」


鴻上はガバッと上体を起こすと、まるで今から探検に出る少年のように、目をキラキラさせて言った。


「外って、湖?」


つられて拓海も上体を起こす。


「アホかお前、湖以外に何があんだよ? せっかく来たんだし、満喫しなきゃもったいねえだろ?」


「よっしゃ、行くか! さっき、車からボートらしきモノが見えたんだよ。…乗るか?」


「ヤロー2人でボート…。」


「言うな…。ヤロー2人でスイートに一泊する時点ですでにしょっぺーんだからよ……。」


2人を何とも言えない沈黙が包む。


「あっ!」


「何だよ、いきなり?」


「拓海、さいしょはグーっ…!」


鴻上が発したかけ声に、条件反射で反応してしまう。


じゃんけんの結果は、グーとパーで拓海の勝ちだった。


「勝ったけど、これ何のじゃんけんだ?」


「くっそー、負けたぁあ! 仕方ねぇなぁ…。そんじゃ、行きますか!」


「おい! だから、これ何のじゃんけんなんだよ?」


「そのうちわかるって! 行くぞー。」


そう言って、鴻上はさっさと部屋を出て行ってしまった。


「あっ、おい待てって!」


ワケがわからないまま拓海は部屋のカードキーを持つと、急いで鴻上の後を追った。


2人は湖のほとりの遊歩道を、のんびりと歩く。


遠目にはボート乗り場が見え、普通のものからアヒル型や自転車型など多種多様な形のボートが、プカプカと浮かんでいた。


自然と2人のテンションも上がる。


「あそこだな、乗り場。つうかすげぇいっぱいあるぞ、ボート!」


「やべー、何乗る? あっ! 確認だけどよ、乗り場付近にギャルが万が一いた場合は、ナンパしても大丈夫っすか?」


「当たり前だろが! 付近のみならず、この旅行中は若い女見たらソッコー声かけだ! 判ったな? 鴻上特攻隊長!!」


「イエッサァア! 佐久間司令官!!」



2人共、はやる気持ちが抑えきれず駆け足になる。


学生時代、ナンパや合コン時には拓海が作戦をたて、鴻上が盛り上げ実働部隊となってあまたの戦を2人で乗り越えてきた。


しかし、その戦歴は殆どがドローだった。


いくらノリが良くてルックスが良くても、それだけでは女性はなかなかなびかない。


彼らはそのデリカシーのなさ故に、個人戦になると滅法弱かった。


拓海も恋愛については諦めているものの、鴻上といるとついついノリで動いてしまうのだ。


これも腐れ縁から来る、体に染み付いた条件反射のようなものだった。


「はい、2人で1500円ね〜。どれにしますか〜?」


「アヒルで…。」


乗り場には、簡単なプレハブで造られた料金所があった。


その隣には小さな売店と、イートインを兼ねた簡単な休憩スペースが設けられている。


「はい? 申し訳ないね、もう一度教えてもらえるかな?」 


料金所内にいた初老の男性が拓海に聞く。


「アヒルでお願いしまっすっ!!」


ヤケクソ混じりに、拓海は声を張った。


料金所までダッシュした彼ら。


そこまでは良かった。


着いてみると、若い女性も数人いることにはいたのだが、みんな男付きだった。


あとは熟年カップルや、明らかに老人会などの昔はギャルだった方々の団体のみ。


それを見た彼らが、一気に落胆したのは言うまでもない。


料金を払ってそこを抜けると、既にアヒル型のボートが用意されていた。


アヒル型ボートに乗り込む成人男性2人。


彼らの顔は冴えない。


「30分したら戻ってきてくださいね。それ以上は、延長で10分毎に1人200円ずつ頂きますので。」


料金所にいた男性とはまた別の男性が、乗り込んだ2人にそう声をかけた。


湖に漕ぎ出したアヒル。


「どーするよ…。」


「どーするって、漕ぐしかねぇよ…。」


「仕方ねぇ…。最後の切り札出すか!」


「何だよ?」


「さっきじゃんけんしただろうが。」


「したけど、ワケわかんねぇもん。」


「だぁかぁらぁあ、佐久間サンが勝ったでしょお? ヤロー2人でボートなんてサムいじゃない。そんな時の為にこ・れ・よ。」


鴻上はいきなり裏声になると、不自然にしなって見せた。


「ちょっと待て! 何で裏声になる?」


「じゃんけんに負けたワタシがぁ、女役をぉ、かってあげてるんじゃないのぉ。あ、ワタシ龍子でぇ〜す。」


「……マジか?」


「マジどぇっす!」


「怖っぇええ〜。それ、負けてたら俺がやるコトになってたワケ?」


「当たり前でしょ? たぁ子の誕生よ。」


クネクネしながらも、声はしっかり男に戻っている。


「龍子サン、一瞬のうちに声変わりされたようなんですけど…。」


「漕ぎながら女声出すのってしんどいのよ。あ、あっちの方行ってみようぜ〜。」


最早、龍子でもなんでもない。


「おい、キャラ崩れるの早ぇえだろ? あっちってあの小島?」


「そう。運転ヨロシク〜。」


湖は思いのほか広く、岸に沿って一周するだけでも、かなりの時間を消費できそうだった。


湖の真ん中にはポツンと小さな小島があった。


2人は、小島に向かってボートを漕ぎ進める。


「結構距離あるぞ?」


「あら、ワタシ達ならヨユーよ。」


「あぁ…。龍子サン、立派な太ももしてらっしゃいますもんね…。」


「空手を少々嗜んでるのよぉ。得意技は回し蹴りと、う・ら・け・ん。」


「へぇー…。」


「つうかお前、気合い入れて漕げよ! 全然進んでねえじゃん。」


「おい、龍子どこ行ったんだコラ。ハンドル操作しながらって、結構難しいんだよ。車とはちょっと勝手が違うから。」


くだらない会話を交わしている間に、小島付近までやってきた。


なんとか岸に付けようとするが、うまくいかない。


島には、小さな祠と立て看板2つのみがあった。


「もうっ、下手くそっ! 龍子幻滅っ!」


口を尖らせて、プリプリ怒るふりをする鴻上。


地声のままなので、もうただのオネエにしか見えない。


「うるせぇ! そのキャラ、やるならやるで貫き通せよ! …つうか、ここ上陸禁止じゃん。」


「あ、マジだ。」


2つある看板のうち、1つは危険な為、上陸禁止を促すものだった。


「霧神湖の天女の涙…。」


拓海が声に出したもう1つには、この湖にまつわる出来事を、観光客向けに簡単にまとめたものが書かれていた。 


看板には、1人の女の話が書かれていた。


ある日、村の外れに1人の女が現れる。


見目麗しい若い女だった。


女は村人が何を訊ねても、指を天に向けて帰りたいと呟いて泣くばかりで、名前すら答えようとはしなかった。


女はその場を離れず、昼夜問わず泣き続けた。


いつしか女の周りには水溜まりができ、それはどんどんと広がって池となった。


女はそれでも泣くのを止めず、どんどん増していく水かさと共に、そのまま池の中に消えていってしまう。


女が消えた頃からその地域では雨が降り続き、池はいつしか湖となった。


しかし湖になった後も雨は降りやまず、困った村人達は湖の中にできた小島に、女への鎮魂の意味を込めて祠を建てて、雨が止むように祈ったのだという。


祈りを捧げたところ雨は止み、この湖はその女の涙で生まれたとされていた。


「…あ、ムリムリムリ。俺、こーゆう怖い系の昔話マジ無理。」


拓海が立て札を読み終わる前に、鴻上が声を上げた。




「別に怖くねぇじゃん。こんなの良くあるヤツだって。」


「ねぇよ! 3枚のお札レベルの怖さだぞ?」


拓海がははっと笑うと、鴻上は少し青ざめた顔でまくしたてた。


「デカい図体してるくせに、相変わらず怖がりなんだな、お前。3枚のお札って…。」


「お前、3枚のお札なめてんじゃねぇぞ? 鬼婆マジハンパねぇから。もう戻るぞ! ここはヤバい。」


「ヤバくねぇよ。ヤバいのはお前の頭だろ。」 

 

「いいから行くぞ! Uターンしろって。」


拓海は仕方なくボートをUターンさせると、乗り場に向かってハンドルをきった。


行きとは違い、凄いスピードでボートは乗り場へと戻って来てしまった。


小島からは拓海が漕がずとも、鴻上が物凄い速さで一人ボートを漕いだからである。


陸に戻った後、乗り場の隣にある売店で2人は缶ビールを買った。


「結構おもしろかったなー。あ〜、ビールがうめぇっ!」


「看板見ただけで青くなってた奴が良く言うよ。つーかおい、戻ったらビール代返せよな!?」


買ったといっても、払いは何故か二本とも拓海持ちだった。


「セコいこと言ってんじゃねぇよ。男が女に奢るのは、大自然のセツリだろ? このビールは龍子とのデート代だと思って諦めろ。」


鴻上はそう言って、股を直しながらビールをまた一口飲んだ。


「ち○ポジ直しながら、ビールグビグビ飲み歩くヤツを女とは言わねぇよ。」


悪態をついてみるが、鴻上の耳には届かない。


夕暮れに近づくほどに、湖は西日を浴びて目が眩む程に輝いていた。


風もバスから降りた時とはまた違って、少しヒンヤリと冷たい気がする。


いつもの喧騒とは違う、風で揺れる木々の葉音や、水面の波音を聞きながら ゆっくりと歩く。


綺麗な景色の中で、しかも平日の昼間から飲むビールは格別だった。


「お帰りなさいませ。」


ベルボーイの挨拶を横目に、フロントへ向かう。


ビールを飲みながら湖周辺を散策して、2人はホテルへと戻って来ていたのだった。


「503の佐久間です。」


「お帰りなさいませ、佐久間様。お預かりしていた鍵で御座います。」


フロントマンが、拓海にカードキーを渡す。


「あ、すみません。レンタカーの手配をお願いしたいんですけど。」


「はい、承ります。本日で御座いますか?」


「いや、明日なんですけど…。」


ホテルへの帰り道、どうせならレンタカーを借りて、ドライブしていこうという話になったのだ。


「承知致しました。それでは…」


「すいません、これって明日の朝とか予約できんの?」


拓海とフロントマンとの会話に、鴻上はいきなり割って入った。


「お前、いきなり…。」


「大丈夫ですよ。ご予約なさいますか?」


フロントマンは鴻上の不躾な質問にも、丁寧に笑顔で返す。


「やった! 拓海、予約しようぜ!」


鴻上が言った“これ”とは、ホテルで行っている“朝日を見に行こうツアー”というものだった。


「何ですか? これ。」


「こちらは当ホテル宿泊者様限定の、早朝トレッキングツアーで御座います。ツアー料金、トレッキングを行う為の靴や衣類などの貸し出しは全て無料となって御座いますが、午前4時からの出発と、少々お早くなっております。いかが致しますか?」


「4時かぁ〜…。予約するのは良いけど、お前起きれんの?」


拓海は、鴻上をちらりと見た。


「おう! 任せとけ!」


「それじゃ、2名予約でお願いします。」


内心大丈夫かと疑問に思いながらも、拓海は溜め息混じりに予約をとった。


「かしこまりました。それでは、お貸しする靴と衣類を後ほどお部屋の方に届けさせていただきますので、こちらの用紙にお2人の足と、洋服のサイズをお書き下さい。」


用紙の記入が済んで行こうとする2人に、フロントマンは提案をした。


「あの、もし宜しければモーニングコールも承らせて頂きますが、いかがなさいますか?」


「あぁ、お願いします。俺らだけじゃ起きれるか不安なんで。」


「そーかぁ? 大丈夫じゃねえ?」


またもや会話に割って入る鴻上。


「これからしこたま酒飲むんだろうが。俺は起きれる自信ねぇぞ。」


「いや。だから、4時まで飲んでそのまま行けば良くねぇ?」


「あぁ、それもそうだな。そうなる可能性はかなり高いだろうし。」


2人はかなりの酒飲みだった。


ビールに始まり焼酎に日本酒、果てはワインにシャンパンとありとあらゆる種類の酒をギブアップするまで飲み続ける。


そんな調子なので、朝まで飲み続ける事もザラだった。


「あの…、それではこちらから3時頃にコールするのはいかがでしょうか? その時の状況で、参加するかしないかを決めて頂ければ結構ですので。」


「それいいっすね〜。じゃあもしそのコールに出なかった時は、欠席ってコトにしてもらっても大丈夫ですか?」


「はい、大丈夫ですよ。」



拓海はフロントマンが出した案に便乗すると、3時のコールに出なかった時は9時に再度モーニングコールを掛けてもらうように予約をとった。


チェックアウトまで寝過ごす訳にはいかないからだ。


一通りフロントでの用事を済ませた彼らは、部屋に戻ると早速風呂の準備を行った。


大浴場で汗を流した後の一杯。


最高の料理に舌鼓をうちながらの一杯。


考えただけで、拓海の喉が鳴った。


ホテル置きの浴衣に着替え、2人は大浴場に向かう。


自然と鼻歌が出る。


2人の鼻歌の調子外れなハミングは、もちろん“いい湯だな”だった。


拓海も鴻上も、一時の至福を楽しんでいた。


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