福引き
1995年 6月
朝から降っていた雨が小雨に変わり始めた昼下がり、彼は玄関先に立てかけてあった傘を持って、アパートを後にした。
雨は嫌いではないけれど、雨降りに出歩くのは少し面倒くさい。
こんな日はアパートから一歩も出ず、ゲームしたり借りてきたビデオを見たりしながら、ウトウトと昼寝という名の惰眠を貪るのが一番だと決め込んでいたのに、腹が鳴って何か食べようと物色した結果、肝心の食料が何にもなかったのだ。
冷蔵庫は空っぽ、インスタント食品類のストックもない。
鳴り続ける腹…。
仕方がないので、食料を調達するため外出する事にしたのだった。
向かった先は、アパートから徒歩五分程行った先にある大型スーパーだった。
コンビニよりも近くにあり、食料品だけでなく、衣料品、日用品なども数多く取り揃えられていたため、そのスーパーを彼は良く利用していた。
スーパーに着くと、備え付けの傘立てにさしてきた傘を押し込んで、レジカゴを持って食料品コーナーへと進んだ。
お茶と水とカップめんと、あとは惣菜やスナック菓子なんかを適当にカゴへ入れていく。
そういえば、トイレットペーパーがなくなりそうだったっけ…。
カゴとは反対 の手で、トイレットペーパーの包みを持ってレジへと向かう。
「2560円になります。」
店員に言われ、それとピッタリの金額を出した。
「あ、レシートはいいっす」
レシートをもらってもかさばるだけなので、いつも断ることにしていた。
「それでは、こちらをお持ちください。あちらの特設会場で、今日まで行っておりますので。」
そう言って渡されたのは、一枚の紙切れだった。
福引きねぇ…。
こうゆうの、俺当たったためしがないんだよなぁ。
彼はどちらかというと、運がある方ではなかった。
学生時代、席替えや班分けなどでくじ引きをしても、自分の理想通りになったことは一度もなかったし、応募した抽選などに当選する事もやはり一度もなかった。
今渡された福引きの類も同様で、末等が当たり前だった。
急ぐ用事も特にないし、当たらなくても残念賞でティッシュくらいはもらえるかもしれない。
彼はそんなことをぼんやりと思いながら、店員に指定された特設会場へ向かった。
福引きまでは、彼の前に4人程が並んでいた。
手前に張り出されていた各等の商品を見る。
特賞は、五万円分の商品券か…。
五万円もあったら、結構色々と使い道があるよなー…。
こういった類で一度も良い目にあったことがなくても、ついつい期待してしまうのは、人間の性だと言える。
五万円で何を買うかを妄想しているうちに、あっという間に彼の番になった。
「福引き券はございますか?」
「これです。」
福引きの箱が置いてある台の上に、先程レジで渡された一枚を置いた。
「それでは、こちらから一枚引いて渡してください。」
店員は、ボール紙でできた簡素な箱を彼の方へ傾けた。
丸い穴に手を入れて探ること数秒。
一枚を選びとる。
店員に渡すと、三角を丁寧にひらいて中を見た。
「…おめでとう御座います! アタリです! 2等が当たりました~!」
そう言って、店員は箱の隣に置いてあった大きなハンドベルをガラガラと鳴らした。
彼の後ろに並んでいた客達からは、小さなどよめきが起こり、ハンドベルの音に周りの客達も彼に注目する。
「えーと、2等って…?」
確か、どこかの旅行…。
もう一度目録に目をやろうとした時、前にいた店員が長細い封筒を差し出して言う。
「はい! 白樺温泉、一泊湯けむりペア宿泊チケットで御座います~!」
「あ、どうも」
とりあえず彼は差し出された封筒を受け取った。
「こちらのチケットですが、今月から向こう3ヶ月以内であればいつでもご利用可能となっております! ただし、ご利用される最低3日前までにはホテル側へご予約のお電話をお願い致します。空室状況や、準備なども御座いますので…。」
「そうっすか、わかりました。」
次に、店員は一枚の紙を取り出した。
「それでは、申し訳ありませんがこちらの紙にお名前、おところなど必要な項目に記入をお願い致します!」
「はぁ。」
言われるがまま紙を受け取ると、渡されたボールペンで名前や住所などを記入欄へ記入した。
「これでいいっすか?」
「…はいっ! 結構で御座います~。こちら確認の為にホテル側へあらかじめFAXさせていただきますが、よろしいでしょうか?」
「あぁ、大丈夫 ですよ。」
「それでは、これでオッケーです。楽しんで行ってらしてくださいね! 本日はおめでとう御座いました~!」
そう言って、店員はまたハンドベルを鳴らした。
ハンドベルの音につられて、後ろに並んでいた客達がパラパラと拍手をする。
気づくと、10数人程が並んでいた。
やべ~、なんか超恥ずかしい…。
彼は顔が熱くなるのを感じると、急いでその場をあとにした。
しかし、まさか旅行が当たるとは思わなかった。
今まであまり運がなかった自分を哀れに思った神様がくれた、ささやかなプレゼントなのだと彼は思うことにした。
やっと俺にも、運がまわってきたのかもしれないな。
「…宝くじでも買ってみるか?」
ヘラッと笑って呟いてみる。
そのままニヤニヤしながら入り口の傘立てまで戻ってきたが、どうもおかしい。
無いのだ。
右端から左端までゆっくりしっかり確かめてみたが、見当たらない。
探しているのは、黒い杖に紺色の傘。
やっぱり無い。
「マジかよ…。」
ここまでさして来た筈の彼の傘は、どこにも見あたらなかった。
入り口の自動ドアの外を見ると、来た時よりも雨足は激しくなっている。
まるで、空がそんなにうまくは行かないよと彼に言っているようだった。
ため息をひとつして、彼はそんな空を呆然と見上げた。