♯5 再会
「奥様、頼まれていたものをご用意致しましたよ」
その声に、百合は勢い良く振り向いた。自室に入ってきたメイドに駆け寄る。
「ありがとうサヤ!」
サヤと呼ばれたメイドは、照れたように頬を赤らめて笑った。百合と同じ18歳で、身の回りの世話をしてくれている。竜門家に来て、色々な人間に囲まれているが、サヤは百合とまともに向き合ってくれる数少ない人間のうちの一人だった。
「しかし、こんな服をどうするのですか?」
百合は、サヤが手に持っていたワンピースを受け取って言った。
「どうするかって、着るにきまっているわ、服だもの」
サヤは怪訝そうに小首を傾げたけれど、懐かしい、簡素で薄っぺらい安物の生地の感触に嬉しくなってしまう。
「あ、あと、咳止めのお薬とクッキーでございます」
「本当に感謝しているわサヤ。ありがとう」
「奥様、一体何をするおつもりなのですか?」
百合は、ふっと深呼吸した。胸が踊っている。いや、胸というよりは心だ。
「私は、寝込まなくちゃいけないくらい急に具合が悪くなったので午後の4時まで部屋に閉じこもるわ。決して誰も部屋の中へ入れないようにしてね」
サヤは、はっと気がついたように目を大きくした。
「えっ、奥様……」
微笑んで、口の前で人差し指を立てる。
「サヤ、何かを知ってしまうということは、もう無関係ではいられないということよ。サヤは、ただ服や薬やお菓子を用意してくれただけで、何も知らないわ」
「はぁ……奥様、お気を付けて下さいよ。竜門の奥様の身に何かあっては困りますからね」
分かっているわ、と頷いて、百合は早々に着ていた服を脱ぎワンピースに着替えた。サファイアが散りばめられた髪飾りを取って、結い上げていた長い髪を下ろす。
「さぁ、私はもう寝るわ」
昼下がりに本を読んでいると、善次が手前のイスに座り咳払いをした。
「兄ちゃん、報告があるんだけど」
弟は、恥ずかしそうに俯いて、珍しくもじもじしていた。その格好がなんだか面白くて、玲司は顔を緩めた。
「どうしたんだ?」
「俺さ、カレンと、付き合うことになったんだ」
カレンとは、町の八百屋の娘だった。善次とは同い年で、美女というほどではないが愛嬌があって優しい女の子だ。
「それは良かった!ずっと好きだったもんな!やっと、告白したのか?」
「ああ。まあな!」
胸を張って、善次が嬉しそうに笑った。兄としても、とても嬉しいことだ。しかし、すぐに影のある表情になった善次は、小さな声で呟いた。
「……百合ねえ、結婚しちまったんだもんな。俺さ、百合ねえは将来、兄ちゃんと……」
そこで言葉を切り、顔を上げて声を荒げる。
「兄ちゃんもさっさといい人見つけろよな!」
「ああ。……そうだな」
百合、今どうしているだろうか。無理をしすぎてはいないだろうか。竜門の家で、孤立していなければいいな。ちゃんと、幸せに暮らしていてほしい。
ーーードンドンドン。
勢い良く、ドアが叩かれた。
善次が驚いて、テーブルの上に置いていたコップの水をこぼしてしまった。
「俺がでるよ」
玲司は、ゆっくりと立ち上がり、ドアを開けた。
「どなたです……か……」
前にも知っているような 暖かな風が髪を撫でて、どこかへ消えていった。
玲司は、立ち尽くしたまま、自分の目に映る光景が信じられないでいた。
「……百合、なのか?」
記憶の中の彼女より背が伸びて、髪が伸びて、より美しく、人を魅了する妖艶さを身につけ、大人びた百合がそこに立っていた。
「百合以外の誰に見える?玲司兄さん」
「……百合。ははっ、百合‼︎」
「えっ?百合ねえっ!?」
「善、とっても元気そうね!2人とも会いたかったわ!」
百合は、部屋の中へ入りイスへ座ると、善次に出されたお茶を一気に飲み干した。
「倉羽の家に行ってからも顔を出すつもりだったんだけど、色々なレッスンがあって時間が無くて。1日の半分以上が淑女になるための個別指導だったのよ。話し方、食べ方、歩き方、ダンスにピアノにヴァイオリン‼︎死ぬかと思ったわ!でも、竜門に嫁いで、自由な時間が出来たから会いに来たの。4時までに戻らなくてはならないけど」
弾丸のような言葉の嵐を聞いているのは面白くて、懐かしくて、心地良い。
「百合ねえ、どうやってここまで来たわけ?」
「良い質問ね善。屋敷を1人で抜け出して来たの。屋敷を出てからは町のタクシーに乗ってここまで来たのよ。1人で行動するのなんて久びさだったから、ドキドキしたわ。これ、お土産!」
百合は、ワンピースの両方のポケットから薬とクッキーの袋を取り出した。
「玲司兄さんと善に。この薬は、腕の良い薬剤師が調合したものらしいから、きっと良く効くわ。そして、このクッキー、とっても美味しいのよ。あとね」
一度言葉を切って、百合は微笑んだ。澄んだ瞳に、穏やかだけれど強い光が宿る。
「政府では、まだ作れていないんだけれど、竜門家で全国に150の孤児院を作ることになったの」
「それは、凄いことだ」
「でも、治療費や薬代を安くするっていう目標はまだ掛け合っている途中」
「素晴らしい進歩だよ、百合」
「そう言ってもらえるとありがたいわ。でも、私も少しは嬉しかったのよ。だから、ちゃんとこの口で伝えたかった」
本当は、小さい頃みたいに百合のさらさらの髪を撫でてやりかった。
「ああ」
しかし、それだけ言って頷くことしか、もう出来ない。
また来るわ。そう残して、3時になる少し前に、百合は笑顔で帰っていった。
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