♯3 あれから3年後
あれから3年の月日が流れた。
17歳になった善次は、この3年で一気に身長が伸びて体格もがっちりとした。町の八百屋の娘ことが好きらしく、玲司に助言を求めてきたりしていた。
玲司といえば、大きく体調を崩すことが何度もあった。真夜中から朝方にかけて絶え間無く咳をし、昼にはやっと浅い眠りにつけるが夕方には熱がでる。2週間前もそんな日々が続いていたが、最近になってだいぶ落ち着いてきていた。
1年前、 物語を書いて作家デビューをした玲司は、起き上がるのもきつい日以外は、少しずつ筆を進めていた。勇気ある女の子が主人公の、穏やかで優しい物語。そして、匿名で書いているものがもうひとつ。玲司は、この国の独裁政治に対する批判的な文章を書き続けていた。
何かを変えることを、他人任せにしてはならない。
誰かがどうにかしてくれると思うのは楽だが、そんな責任逃れはしたくなかった。百合は今も頑張っているだろう。ならば、自分も、自分の出来ることをするまでだ。
開けていた窓から、冬の終わりを告げる暖かな風が吹いてきた。
今日は天気が良い。
玲司は上着を羽織り、体力作りのための散歩をするため家を出た。
散歩コースは決まっている。距離はさほど遠くはないが、ゆっくりと時間をかけて、町を出たところの野原に行くのだ。そして、そこの大きな木の下で少し休み、家に戻る。
散歩は好きだった。
季節ごとの風が髪を撫でていく。花や草がそれぞれの色を付ける。ボロボロの服を着て、しかしそれでも楽しげに、子供たちが走っていく。少しの身体の疲れを心地よく感じながら、土の感触を踏みしめる。全て、生きているから分かることだ。
玲司が、ゆったりとした歩調で町を出ようとした時だった。
「あの、玲司さんですよね?」
振り向くと、百合がいた孤児院の院長が立っていた。
「ちょうどお見かけしたものですから、から、もともと家へお訪ねしようと思っていましたので、声を掛けさせて頂きました」
歳をとっても愛嬌のある笑顔で、院長は上品にそう言った。玲司の家の古い椅子には不釣り合いなほど優雅な動作で座り、玲司のいれた茶を一口飲む。百合を孤児院まで見送りに行くとき、何度も見かけたことはあったが、こんな雰囲気をもった人だとは知らなかった。
「今日は……どのような」
玲司が尋ねる。院長は、柔らかな笑顔で、しかし声を落として言った。
「百合のことです。……倉羽の方から昨日連絡があって、百合の嫁ぎ先がきまったようです」
「……どこへ?」
「竜門です」
玲司は、ドクドクと波打つ自分の鼓動を鎮めるように左胸を抑えた。
竜門。
軍部の最高司令を世襲制で継いでいる家。独裁政治をひく花折家直属の部下を輩出する家といってもいい。
そんなところへ、嫁に行くのか、百合。
「じきに公に発表があるとのことですが、それまでは秘密に」
「はい。……分かっています」
玲司は頷いた。百合が倉羽の家へ養子に行ったことを、この町で知っている者自体少ない。孤児院と、その事を知っている玲司や善次が言わない限り知る由もないし、第一、この町の人たちは他人にかまっていられるほど甘い生活をしていないのだ。
「あの子は、とても賢く優しい子でしたが、まさか竜門にいくなんて。……凄い子ね」
院長は、自分のことのように嬉しそうに笑った。
「本当に……」
本当に凄い。いや、そんな簡単な言葉では表せない。百合……、たいしたものだ。
深く息を吐くと、それにつられて咳が出た。ハンカチを口元に当て、ゲホゲホと咳をする玲司を心配そうに見る院長を手で制し、なんとか声を出す。
「……大、丈夫です。……胸を病んでいまして……咳には慣れていますから」
そうだ。こんなのには慣れている。この程度の咳はなんてことない。
百合……。
お前ならば、この世の中を変えられるよ。
だから俺は、自分の出来ることを精一杯する。
胸の痛みに耐えながら、玲司は固く、そう誓った。