第六話「風の鬼ごっこ」・2
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その頃水恋はというと、複雑な道をずっと進んだ先にある突き当りの角に隠れていた。
「はぁはぁ。ここなら、あの子にも見つからないはずですよね」
水恋が昂る胸の鼓動を抑えようと胸を押さえていると、何処からか声が聞こえてきた。
「ふふふ。見つかりっこないって? それはないね! だって、この場所は何度も僕が来たことのある場所だから、完全に道くらい覚えてる……。無論、隠れそうな場所もね。お姉ちゃんに逃げる場所も隠れる場所もないってことだよ!」
「げ、月牙さんはどうしたんですか?」
何処からか聞こえてくる風浮の声に水恋は言った。
「お兄ちゃんは、僕との鬼ごっこ対決をしないって放棄したから、僕の分身と戦わせているんだ。でも、勝てないと思うよ? 僕の分身には――」
風浮の何を根拠にしているのか分からない自信に、水恋は唇を噛み締めて言った。
「月牙さんは君になんて負けません!!」
「かもね? でも、お姉ちゃんはもう負けだよ!」
「ど、どうしてですか?」
風浮の突然の勝利宣言に水恋は動揺した。
「そんなこと簡単だよ! 僕がお姉ちゃんを捕まえるから」
そう言って風浮は水恋のもたれかかっていた壁からヌッとまるで幽霊のように現れて、水恋の両肩に小さな両手をポンと置いた。
「なっ!? ど、どういうことですか? 壁を……すり抜けた!?」
自分の身の回りに何が起きているのか、いまいち状況把握を行えていない水恋は驚愕の表情を浮かべていた。
「ふふふ。随分と驚いているみたいだね? こんなこと、僕の手にかかれば簡単なことだよ!」
風浮は自信満々に言ってニヤリと笑みを浮かべた。その体は未だに宙に浮かび続けている。
「そ、そんな……」
水恋はこの場から逃げ出そうと走り出した。しかし、風浮に感づかれ片方の足首を掴まれてしまい体勢を崩してしまった。
ドタンッ!!
思いっきり床に顔をぶつけてしまった水恋は痛みのあまり、その場にうずくまってしまった。
「ムダムダ。そんなことしたって意味ないよ、お姉ちゃん? 逆にお姉ちゃんおとなげないと思わないの? 相手は僕みたいな子供なのにさ。勝負は勝負……でしょ?」
「そ、そうですが」
水恋は月牙のことが心配でたまらなかった。
「じゃあ約束通り、お姉ちゃんの命は貰うね?」
そう言って風浮は口元に笑みを浮かべながら両手を振りかざし、水恋に襲い掛かろうと彼女の腕を掴んだ。
「きゃ、だ……誰かあああぁ~っ!!」
心の底から必死に声を出す水恋。
と、その時、「その手を放せッ!!」と、何者かが風浮の小さな細い腕をガシッと掴んだ。
――そう、それは月牙だった。
「お、お兄ちゃん!?」
「げ、月牙さん!? ど、どうして……。だって、この子の分身と戦っていたのでは?」
「ああ。あんなの簡単だったさ! 分身って言ったって所詮は偽物。実際この世にはない!だったら、例え相手が子供だろうと分身なんだから手加減する必要はねぇ!! だから、ギタギタに切り刻んでやったさ。見るも無残な姿に……な」
きょとんとした顔で訊く水恋のふとした質問に、月牙は風浮に向けて剣を構えたまま答えた。
「す、凄いねお兄ちゃん。まさか、僕の分身をいとも簡単に倒すなんて。でも、負けは負けだよ! 約束通り、お姉ちゃんの命は貰うからね?」
分身を倒すことは出来ないと高を括っていた風浮にとって、月牙の登場は予想外だったのだろう。驚愕の表情を浮かべて宙に浮かんだまま少しばかり後退している。
「て、てめぇ……」
月牙は、そんな風浮に対して怒りが頂点に達していた。鋭い目つきで、まだ幼い風浮を睨み付ける。
「でも――お兄ちゃんは僕の分身相手に負けることなく倒すことが出来たし……いいよ?追加ルールを加える事にするよ! まず、残り時間は約十分。その間に、僕を捕まえる事が出来ればクリア! でも、もしも捕まえることが出来なかった場合は、二人の命は僕の物だからね?」
「お前勝手に――」
「じゃあ十秒数えてね? その間に、僕はこの場から消えるよ……」
説明を終えた風浮は、月牙の言葉を完全無視で準備を整えるとその場から姿を消した。
「よし、水恋! 手を抜くなよ? 相手は子供でも、鬼ごっこでは最強の子供だ! それに、子供だろうと俺達と同じ様な力を持ってるみたいだしな……。恐らく、伝説の戦士だろう……。気を抜けばこっちが殺られる!」
「えっ? 風浮くんって伝説の戦士なのですか?」
伝説の戦士という言葉を聴いて水恋が首を傾げながら月牙に訊いた。
「ああ……。風の里に来る前に遭遇したあの旋風。元々あれもあいつの物だ! しかも、あいつのあの技……相当な力を持ってると見て間違いねぇ!! 特に、大量に食料が入った荷物を風に乗せて運ぶなんて並大抵の奴でも出来ないらしいからな」
剣を鞘に直しながら周囲を警戒する月牙が言った。確かに、あの時の風浮の起こした旋風は相当な大きさで、月牙を軽々と浮かばせていた。その上、食料だけを奪い取ると言う荒業。風の里に住む長老でも、ああいうことは出来ないらしい。そのため、月牙も風浮は伝説の戦士に違いないと確信したのだ。だが、あくまでもこれは推測。正真正銘、旋斬風浮が伝説の戦士とは限らない。それを確認するためにも、風浮に勝たなければ――そう思っていた。
「そうなのですか。では、どうあってでも風浮くんを捕まえないといけませんね!」
「おう!」
互いに頷き合った二人は、準備を整え十分間の鬼ごっこを開始した。今度は月牙と水恋が追いかける側、風浮が逃げる側だ。そして、月牙と水恋はさっそく標的である風浮を見つけて、後を追い掛けていた。
「お~にさんこ~ちら、てぇのな~るほうへ~♪」
鬼である二人を挑発する風浮は楽しそうに逃げていた。その一方で、追い掛ける月牙と水恋はなかなか風浮を捕まえることが出来ずにいた。まるで彼自身が風であるかのように、捕まえる度にヒョイヒョイと躱されてしまっていた。そのため、月牙と水恋の体力は限界に達しようとしていた。
「くそ、相手は俺達よりも若い。ただのガキだってのに! 何で捕まらないんだ!?」
呼吸を乱し、肩で息をしながら膝に手を突く月牙。額からは汗が垂れており、その汗が頬を伝って顎から滴となって落ちる。すると、水恋がふといいアイデアを思い付いた。
「そうだ! 相手は子供ですよね? でしたら、食べ物で釣るというのはどうでしょう?」
「どういうことだ?」
疲れた表情で月牙が水恋に訊いた。
「要するに、あの子は子供なのですよね? しかも、私達を襲撃した時にも食べ物を奪って行った。つまりそれは、相手がただお腹を空かせているからなのでは――と思ったのですけれど……」
水恋がだんだんと声を小さくしていると時間が迫っていることに危機感を感じたのか、月牙が口を開いた。
「よしッ! いいアイデアも思いつかねぇし、それでいこう!!」
親指を突き立てOKサインを送る月牙に水恋は思わずきょとんとなる。
「えっ、いいのですか!?」
自分で言っておきながら驚きの声をあげる水恋。恐らくダメもとで言ってみたのだろう。
「それに、いい物もある!」
「いい物?」
ポケットから何かを取り出す月牙を後ろから水恋が覗き込む。その手には棒付きキャンディーが握られていた。
「ああ。さっき長老に風浮の好物を聴いておいたからな。それを大至急用意したんだ!!」
月牙はそう言って、少し離れた位置に立って二人を未だに挑発している風浮に向かって先程の棒付きキャンディーを目の前に突き出し、左右に小刻みに揺らした。
「ほ~れほれほれ!」
「そんな、動物じゃないのですから……」
水恋がそんな物で来るわけがないと高を括って見ていると、風浮が目を輝かせながらその棒付きキャンディーに飛びついた。
「うわぁ~い! 僕の大好きな棒付きキャンディーだぁ~♪」
満面の笑みを浮かべて子供の様に月牙の持つ棒付きキャンディーに飛びつく風浮。
「す、凄い! 本当に来たっ!?」
「よし、捕まえたぜ!! 水恋、時間は?」
月牙が風浮を抱きかかえて水恋に訊いた。
「え~っと、九分五十秒。ギリギリですね……」
「よしッ!」
片手で風浮を抱きかかえ、もう片方でガッツポーズを決める月牙。その表情には勝ち誇った表情が見て取れた。
「ところで、その食べ物何て言うのですか?」
水恋が風浮が口にくわえている棒付きキャンディーを見て訊いてきた。
「これか? これは、パチパチキャンディーというらしい。何でも、表面にパチパチと弾けるビーズがついていて、それが唾液と反応するらしい。その食感がどうも小さな子供に人気らしくてな」
「へぇ~。美味しいのですか?」
月牙に味を訊ねてみる水恋。しかし、月牙は失笑しながら言った。
「いや食べたことが無いから知るわけないだろ! 訊くならこいつに訊け!!」
と言って、服の襟部分を掴んで水恋の目の前に風浮を突きだした。まるで猫の様に扱われる風浮だが、本人はそのことを何とも思っていないように無邪気にはしゃいでキャンディーの味を楽しんでいる。
「ねぇ、これ美味しいの?」
珍しくあの丁寧なです・ます口調だった水恋が、兄妹と話すような感覚で風浮に喋りかける。
「うん! お姉ちゃんも舐めてみる?」
「いいの?」
さっきまで戦っていた際の雰囲気は何処へやら。今の風浮はただの幼い少年のようだった。更に、水恋は風浮の了解を得て嬉しそうな表情を浮かべる。
「おい水恋……」
ふと水恋の様子を確認しようと、顔を覗き込むと水恋は口にめいいっぱいパチパチキャンディーを含んで舐めていた。
「何やってんだお前!」
「ひは、ほへほってほほひひひへふほ?」
口にくわえたまま喋るため少しばかり言葉が理解しにくかったが、どうやら味の評価をしているらしい。その顔を見ても、とても美味しそうに見えた。
「はぁ~、お前は子供かッ!?」
嘆息をついて呆れ顔で水恋を一瞥する月牙。その言葉を聴いて、急にションボリ顔になった水恋は、口からキャンディーを取り出した。その際、唾液がキャンディーと銀色の架け橋を作り出したのが妙に月牙をドキッとさせた。そして、それを風浮に返すと水恋は申し訳なさそうに月牙にペコリと謝った。
「す、すみません」
「もういい。てか、お前よかったのか?」
「えっ?」
「一応あのキャンディー食べかけだったんだから、風浮との間接なんたらとかになるんじゃねぇのか?」
「なっ!?」
顔を真っ赤にして硬直状態に陥る水恋。どうやら、少しばかりショックが大きすぎたようだ。
「まぁいい。それよりも長老の所に戻るぞ! そのガキ、命をもらうだとか何とか言って全く命の尊さってのを学んでねぇ!! そこんとこちゃんと理解させるためにも、長老にたっぷり説教かましてもらわねぇとな!!」
「そ、そんな。あまりにも可哀そうではないですか?」
硬直状態から意識を取り戻した水恋が少し慈悲を持った眼差しで月牙に言う。あまりにも幼い風浮に対してそれはあまりにもひどいと感じたのだろう。しかし、月牙は言う事を聴く気はないらしく、さらに続けた。
「お前だって命を狙われたんだぞ? 例え相手が子供だろうと、そんなことされちゃ命が幾つあっても足りやしねぇ!!」
腕組みをして、月牙はフンッとそっぽを向いた。
事が収まって長老の部屋に戻ってきた月牙二人は、長老に今までの経緯を説明した。
「長老。約束通り風浮を連れて来たぜ?」
「おお、月牙さん水恋さん。この度はどうもありがとうございましたですじゃ」
長老がよぼよぼの手で杖をつきながら丁寧にお辞儀する。
「いいえ。私達はやれるだけのことをやっただけですから」
謙遜するかのように水恋は両手でまぁまぁと言った。すると、長老がふと顔を上げてふっと笑みを浮かべたかと思うと口を開く。
「一つ言いたかったんですじゃが、お二人とも風浮と一緒にいるとまるで家族のようですじゃのう」
「そ、そんな……家族だなんて。ということは、私がママで月牙さんがパパ――きゃっ」
「なっ、ば……バカ! 何言ってんだよジジイ!!」
月牙は思わず口の悪い人になってしまった。しかし、思わぬ言葉に我を忘れてしまったのだ。隣にいる水恋も長老の言葉を再度口にしながら理解して顔を赤らめ、口元に手を運び言葉を忘れている。そんな二人の近くにいる風浮はというと、きょとんとした顔でどうかしたの? と不思議な顔をしている。
「そ、それよりも……実はこの風浮が俺達の命を狙ってきて――」
「えっ、本当ですかな!?」
急に表情を一変して問い詰めてくる長老。こめかみ辺りにはうっすらとだが、一筋の汗が見える。
――本当にこの人は表情がコロコロ変わって忙しい人だな。
と、ふと心に思う月牙。
「ああ。それで、こいつに命の尊さってのを教えてくれねぇか?」
「分かりましたですじゃ。風浮にはきつ~く言っておきますですじゃ!」
長老はそう言って月牙たちの手から風浮の手を引き離した。
刹那――ほぼ同時に水恋が突然体をふらつかせ倒れ掛かった。その姿を視界に捉え、月牙は反射的に体を支えていた。
「おっと! おい水恋、大丈夫か?」
抱きかかえながら水恋の容体を心配する月牙。
「ああ……すみません。ちょっと安心したら、眠く、なってしまって……」
「そういえば、まだちゃんと寝てなかったな」
水恋のコクリコクリ頭を垂れる動作を見て、苦笑しながら月牙は温かい眼差しで水恋を見つめた。そして、一旦水恋を座らせて背を向けるとゆっくりと彼女をおぶった。
ふと背中に当たる二つの柔らかくて大きな感触にドキリとするが、オレンジ髪の少女が鬼の形相を浮かべているのがふと頭をよぎり首を横に振る。
「げ、月牙さんの背中……温かい………です」
ボソリそう口にした水恋は、安堵したのか、はたまた心が落ち着く体温を肌に感じ取ったのか、眠りについてしまった。
「水恋さんは大丈夫なのですかな?」
「ああ、心配ない。迷惑かけたな……」
「いいえ」
長老は首を横に振って応えた。ふと長老が風浮を見ると、風浮も長老の椅子に座ってスヤスヤと眠っていた。
「全く、この子にも困ったものですじゃ。この子には、後で起きた時に言っておきますので、月牙さん達は用意してある寝室で寝て来てくだされ」
「ああ、そうさせてもらうぜ」
落ちそうになる水恋の体を軽くジャンプして調整し位置を整える。そして、それを終えると長老の部屋の扉を開けて寝室へと向かった……。
「ったく、手間のかかる女の子だ。まぁいい、今回はこいつも十分頑張ったからな……」
そう言って月牙は、寝ている水恋をおぶったまま寝室へ歩いて行った。
その時、既に時刻は日の出を迎えている頃だった……。
というわけで、無事風浮を確保しました。いや~にしても、名前の通り風で空中に浮いてる風浮ですが、彼の力は結構強いですよ。風の里の長老を凌駕するほどの力をお持ちなのですから。まぁ、正体は何を隠そう伝説の戦士なのですから無理ありません。そして、捕まった彼はその後、お説教だそうです。
とはいえ、ジジイ――もとい長老にそのお説教を頼んだわけですが、このジジイロクなこと言いませんね。月牙と水恋と風浮が並んでいると家族に見えるとか。そんな若い家族ありえませんよ。第一、もしもそうなら水恋は五歳で子供生んでることになっちゃうじゃないですか! それ、犯罪ですよ!
これはもうジジ――長老にもお仕置きが必要ですね。まぁ、それやってぽっくり――という可能性も無きにしも非ずですが(笑)
しかし、水恋もまんざら嫌そうではなさそうでしたね。むしろ、嬉しがってた?
てなわけで、次回はオレンジ髪で鬼の形相を浮かべてたあの人のサイドに移ります。