エピローグ 『光』
ブレインキラーから生還して、三か月が過ぎた。
全員と合流した純也たちは長い廊下を抜け、階段を上がり、ついに地上へとたどり着いた。
地下にあるだろうとは予測していたが、まさか山奥の山荘をカモフラージュにして作られているとは思わなかった。
地上へ上がったときは既に夜遅く。
純也たちは山荘で一夜を過ごし、翌朝山道を通って人里まで下りたのだった。
生還してからの三か月。実に色々なことがあった。
最も大きなニュースとなり、世間は騒がせたのは、神原拓哉、神原幹雄の両名が行方不明となっているということだ。ニュースでは、何らかの事件に巻き込まれたとして捜索が続けられているらしい。
純也も兄の携帯に電話をかけてみたが、当然繋がることはない。
玲子はどうしているだろうか。彼女ならば、兄の行方を知っているかもしれないが、玲子の連絡先など知る由もない。
兄は生きているのだろうか。
『お前は俺の誇りだ。強く生きろ。そして、もうこのゲームに関わるな』
最後に交わした兄との会話。
まるでもう二度と会うことがないかのような口調だった。
まさか兄は、もう生きていないのか。
分からない。ただ純也には兄が生きていることを祈ることしか出来ない。
そう、純也は兄に生きていて欲しかった。唯一血の繋がった家族であるということを差し引いても、兄にはきちんと生きて、罪を償ってほしかった。
彼が何のためにブレインキラーというゲームを行ったのか。その理由も聞きたい。彼が何を考え、何をしようとしたのか。それを純也は知りたいと思った。
電車を降り、ホームに降り立つ。暑い日差しが降り注ぎ、じりじりと肌を焼く感触。セミの大合唱は声を張り上げなければ、会話も出来ないほどで。
線路脇には、こちらの腰ほどもある雑草が覆い茂り、色彩豊かな緑の絨毯を視界の端まで広げている。
どこから見ても田舎の風景がそこにはあった。
「暑いなぁ……」
思わず呟いた言葉に、隣に降り立った彼女が小さく笑う。
「今日は今年最高の気温らしいですよ」
「うへぇ……日にちをずらせばよかったかな」
純也はそんな冗談を返しながら、隣に立つ美耶子へと笑い返す。
膝丈までの白のワンピースに麦わら帽子。質素ながら、ハッと息を呑む可憐な美しさを感じさせるその出で立ちは、彼女にとてもよく似合っていた。
「あ、純也さーん! こっちこっちーっ」
セミにも負けない大きな声。声のした方へ視線を向けると、デニムのショートパンツに、青と白のストライプ柄シャツを着た美里が、ぶんぶんと大きく手を振っていた。そのたびに、彼女のトレードマークであるくくった髪がぴょこぴょこと揺れ踊る。
「ほらー、留美さんも向こうで待ってるんですから、早く行きましょうよー」
こちらへと駆け寄ってきた美里は純也の手を取り、改札の方へと引っ張っていく。
手を引かれるままに歩いていると、美耶子がじっと美里とつないでいる手を見つめてきた。
何か言おうとするが、そのまま口を噤み、視線を逸らす。
純也は苦笑し、空いている方の手で美耶子の手を握った。
「えっ、あ、あの……」
目を白黒させる美耶子に、純也は微笑み、
「ほら、行こう」
と、手を引いて歩き出す。
いつしか美里は手を離し、手を繋いで歩く純也と美耶子をにまにまと眺め始めた。
美耶子は顔を赤くしながら、それでも繋いだ手を離そうとはしない。麦わら帽子を目深に被り、表情を隠そうとしているが、その口元が緩んでいるのが純也の位置からは丸わかりで、そこにどうしようもない心地よさを感じてしまう。
右手に触れる温もりに、純也も知らず口元が緩む。
そんな二人を冷やかしながら、美里が笑う。
元の世界へと戻った純也たちは様々な手続きに追われた。
ジャッジで得た報酬金。それと同じく、最後の引き出しには彼女たちの現状を解決するために必要な企業への紹介状などが入っていた。
まず、純也はこの企業に掛け合い、報酬金を使い、美里の借金を完済した。これにより、美里は借金取りに追われる心配はなくなった。そして家族を失い、一人きりとなった美里を、彼女の親戚の家へと連れて行った。
彼らは行方が分からないとされていた美里のことをとても心配しており、美里を引き取ることを快く承諾してくれた。
地方へ引っ越してしまい、気軽に会うことは難しくなってしまったが、美里は向こうでも明るい性格を発揮し、多くの友達を作っているようだ。
「ねぇねぇ、二人は付き合ってるんでしょ? もうキスとかしました?」
「わ、私たちは、そんな……」
美里のからかいに、いちいち反応する美耶子が可愛らしい。
美里の言葉通り、美耶子は純也の恋人になった。どちらから告白したのか。気が付けば、互いに気持ちを確かめ合い、二人は恋人の関係になっていた。
同じ都内に住んでいることもあり、美耶子とは同じ時間を過ごすことが多い。それはとても安らかな幸福の時間だった。
だが、そこに至るまでに彼女はいくつもの心の傷を乗り越えた。それをすぐそばで見てきた純也は、彼女の心の強さを知っている。
美耶子の抱えていた問題。それはクラスメイトである、田村良子の自殺における冤罪だった。そこから周囲の人間関係が崩れ、彼女は自分の居場所を失ったのだ。
彼女の居場所を作ると約束したこともあり、純也は美耶子の問題解決に尽力した。それでもダメだったならば、自分のところへ来るといい。そんな約束までしたものだ。
問題解決に向けて、まず純也は弁護士を頼り、田村良子の自殺の真相を正式に発表しようとした。しかしその必要はなく、世間には学校が美耶子ひとりに責任を押し付けていたことが明るみとなっていた。
美耶子が行方不明となり、罪の意識に苛まれた生徒が匿名で学校の掲示板に書き込んだり、マスコミに事件の真相を説明したのだ。
これにより、美耶子の冤罪は晴れた。だが不仲になった両親の溝だけは回復できず、彼女の両親は結局離婚することになった。どちらについて行くか。そう問われた美耶子は、意外にも一人で生きていくことを決意した。戸籍上は母親の性を名乗ることにし、美耶子は一人暮らしを始めることにしたのだ。
美耶子の親たちは、彼女が成人を迎えるまで毎月仕送りをすることを約束し、美耶子の元を去っていった。
こうして美耶子は都内のアパートを借りて一人暮らしを始めている。
野道を歩いていく。
緑に包まれた道。そこをずっと進んでいくと、やがて大きな木が見えてきた。
周りにちらほら見える家々より高くそびえたつ大樹。悠然として、堂と構えたその様子は、とても神聖な雰囲気を発している。
そしてそんな木の根元には一人の女性の姿があった。
「あ、留美さーん」
美里が手を振り、駆け出す。
こちらに気付いた水色のワンピースを着た女性、桃山留美は小さく微笑みながら、手を振りかえした。髪を切ったのだろう。長かった髪は肩口で切り揃えられていた。
桃山留美は暗示により、自身の望む理想の性格を本来のものと思い込んでいた。だが暗示が解け、本来の臆病で内気な性格に戻った。留美はそのことをひどく気にしていた。
だがそれも美里の一言で見事に吹き飛ぶこととなる。
「きっと、いつか変われますよ!」
楽観的なセリフだった。しかし美里に言われると、本当にそうなのではないかと思えてしまう。
留美は自身が引きこもることになった事件の全てを両親に話し、引っ越すことにしたようだ。留美からは時折メールが届く。それを読んでいる限りだと、向こうでの生活は上手く行っているようだった。
「ごめん、待たせたかな」
「あ、いえ……その、あたしも今来たので」
彼女の手には、懐かしいものが握られていた。
携帯ゲーム機ほどの大きさの黒い端末。そう、ブレインキラーで使われた端末だ。
『ここで亡くなった人の供養をしたいです』
エレベーターの中で美耶子がかつて言った言葉だ。
時間はかかってしまったが、今日がその日だった。そのためにこうして皆集まって来たのだ。
世間では行方不明となっている彼らの家族に真相を話すわけにはいかないし、到底信じてはもらえないだろう。ましてや遺骨などもなく、ちゃんとした供養は出来ない。
そこで、彼らが使っていた端末を埋めて供養しようということになった。と言ってもすべてのプレイヤーの端末があるわけではない。手元にあった伊月の端末。そして生き残った自分たちの端末。それらを使うことにした。
場所は伊月の故郷の近く。のどかな場所だった。ここならば彼らもきっと喜んでくれるに違いない。
根を傷付けないように、スコップで慎重に穴を掘っていく。
ざくっ、ざくっ
土を掘り返す音と共に、あの地下施設で経験した様々な光景が蘇ってくる。
死と隣り合わせだった世界。だがあそこでの経験が、今純也たちにこれ以上ない生の実感を与えてくれている。
純也は地上に戻ってから、自殺予防幇助の会へアクセスしたことがある。だがサイトは閉鎖され、裏サイトへも行けなくなっていた。
ブレインキラーは終わった。この世から消滅したのだ。
だが、純也は自殺予防幇助の会を探し続けていた。
本当はどこかにあるのでは。またこちらの知らないところで、殺人ゲームが行われているのでは。
そう思い、恐怖し、探し続ける。そしてそんなサイトはどこにも存在しないことを確認し、安堵する。
これは純也だけではなく、美耶子たちも同じらしい。ブレインキラーという言葉を忘れることが出来たそのときこそ、きっと自分たちは本当の意味で解放されるのだ。
残念ながら、それはまだ先のようだが。
それでも構わない。隣にいる美耶子の温もり。美里の明るい笑顔。留美の控えめな微笑み。
彼女たちがいる限り、純也は自分のことを少し許せる気がした。
今や彼女たちこそが、純也の希望となっている。
純也は空を見上げた。
頭上には太陽。青い空。流れる白い雲。揺れる緑の草花。
美しい風景だった。今はただ、この美しさを感じていたい。
生きることは、これほどまでに素晴らしいものだったのだ。