第四ゲーム 『ジャッジ』 その11
言われるままに引き出しを開けると、そこには一丁の拳銃が入っていた。
偽物だろうか。指先で触れてみると、ひんやりとして堅い感触が返ってくる。
「本物ですよ」
目の前の女は、表情を変えることなく淡々と告げる。
過去の記憶を取り戻し、精神を摩耗させた美耶子には、もはや女の言葉が真実か嘘かを疑う余裕はなく、
「手にお取りください。そこには弾丸が一発だけ入っています。それを何に使うのも自由です」
つまりこれで自決しろということか。
片手では持てそうになかったので、両手でグリップを持ち上げる。
「セーフティは解除してあります。トリガーを引くだけで弾は出ますよ」
引き金を引く。それだけで死ぬ。死ねる。
美耶子は自身の手にある銃をまじまじと見つめた。
怖い。無性に恐ろしかった。どうすればいいのだろうか。撃つ。どこを?
弾は一発と女は言っていた。ならば、もしその一発で命を絶てなかったらどうなるのか。
痛いだろう。血はたくさん出るだろう。そんなのは嫌だ。
「痛みのない死に方を教えましょうか?」
女の問いかけ。それは甘い誘惑だった。痛みもなく死ねるのなら、それはなんと素晴らしいことか。
美耶子は銃から視線を外すと、女の指を凝視した。
女は口を開き、銃を模して立てた人差し指を口の前へと持っていき。
「銃口を口の中に入れ、頭の方へと向けます。あとは引き金を引くだけです。あなたは痛みを感じる時間もなく、死ぬことが出来ますよ」
銃口を口に入れる。
こんな恐ろしいものを口に入れろと言うのか。
「どうするかはあなた次第。私はただ見届けるだけです」
どうしよう。どうしたらいいのか。
怖い。しかしどこか安らぎのようなものも感じていた。
死にたくない。死にたい。助けてほしい。しかし誰も助けてはくれない。
それはきっと元の世界に戻ったとしても同じこと。あの世界に美耶子の味方は誰一人としていないのだ。それならば、もう。
手は震えていた。それでも両手でしっかりとグリップを握りしめる。
かちかち、と歯の根が鳴っていた。漆黒の銃。その黒はまるで死後の闇を体現しているかのようで。
美耶子は、ゆっくりと銃口を自分の顔の前まで持っていく。
女は何も言わず、冷たい視線をこちらへ投げかけるのみ。
何かを忘れている気がした。とても大事な何か。
しかし目の前にある死という物体に、美耶子の思考はほぼ麻痺していた。頭が上手く回らない。何も考えられなくなる。いつしか女の姿も気にならなくなった。
自分と銃。美耶子の世界にはそれだけしか存在しない。
「……っ」
口を開け、銃口をその中に――
ガチャリ
「っ!」
トリガーに指を添えようとしたとき、不意に新たな音が美耶子の耳に飛び込んできた。
何だ、今の音は。
そう、扉を開ける音だ。
美耶子の世界に色が、物が、蘇る。
自分がいるのは『審判の間』と呼ばれる部屋の中だ。部屋の中央にはガラス板。向かいには女の姿。
そして、
「撃っちゃダメだ!」
部屋に飛び込んできたのは、
「純也、さん……?」
何故、彼がここにいる。あちら側にいる。
そうか、彼はゲームをクリアーしたのか。だからあちら側にいる。
美耶子は安堵した。彼は生きることを選択したのか。
だが、自分は。
「お前、どうやって!?」
目の前の女が狼狽しているのが分かった。それは女が初めて見せた感情だった。
「美耶子さん、俺の話を聞いてくれ! だからまずは銃を下すんだ!」
話。何を聞くというのか。
生きろと彼は言うだろう。しかしすべてを思い出した美耶子には、もはや生きるということは、死ぬまで苦しみ続けるということと同義だ。
美耶子は首を振った。その瞳からは自然と涙が溢れ、頬を伝い落ちていく。
「私、やっぱり純也さんみたいに強くなれませんでした……」
彼はそれでも生きていくことを選択したのだろう。だが、自分には無理だ。そんな強さはない。
「……どうしても死にたいのか?」
説得は無理と悟ったのか、純也が肩を落とす。
それでいい。彼には生き続けてほしい。傲慢だが、それが美耶子の願いだった。
「そうか……なら、もう止めない」
純也は部屋を出ていくだろうか。出ていってほしいと思う。自分が死ぬところを彼には見てほしくなかった。
しかし純也は美耶子の想像もしない行動に出た。
懐から取り出した銃を自らのこめかみに当てた。
「君が死ぬのなら、俺も死のう」
「……え?」
彼が何を言ったのか、美耶子には理解できなかった。
自分も死ぬ? せっかく助かったのに。せっかく元の世界に戻れるのに、どうして死ぬのだ。
「ど、どうして……?」
思わず口に出た言葉に、純也は視線を逸らし、
「俺も全部思い出した。このゲームを作ったのは俺なんだよ……」
驚愕の事実を口にした。
「え……そ、それって、どういう……」
瞠目し、思わず銃を下してしまう。
純也はそのことに一瞬だけ表情に安堵をにじませた。
「このゲームを主催しているのは俺の兄さんだ。そしてゲームを考えたのが俺だったんだよ。兄さんが何を考えて、こんなことを始めたのかは分からない。でもこのゲームで死んで行った人たち。彼らを殺したのは、俺ということになる」
言葉を失った。
そんなはずはない。そう否定したかった。嘘に違いない。そう決めつけたかった。
しかし純也の暗く沈んだ表情は、それを真実だと告げているようで。
「もちろん俺だってこんな殺し合いに、自分の考えたゲームが使われるなんて思いもしなかったよ。しかしもうこれは現実に起きてしまったことだ。俺も今は、主催者側の人間と何も変わりやしないんだよ」
もし彼の言うことが本当だとすれば。
主催者側に激しい怒りを抱いていた純也。その怒りが今は自分自身にも向けられているということだ。彼は決して自分を許そうとしないだろう。
「俺はこれ以上、このゲームを続けさせたくない。これ以上このゲームで人を死なせたくない。エゴかもしれない。君たちに生きろと言うのは傲慢かもしれない。でも俺は、やっぱり君たちに死んでほしくないんだ」
生と死の天秤。死へと大きく傾いていた天秤が、ぐらりと揺れた。
それはここにきて、初めての迷い。
純也には死んでほしくない。生きてほしい。
美耶子は死にたい。死なせてほしい。
しかし美耶子が死ねば、純也も死ぬという。
それはダメだ。純也は死んではダメだ。
どうしたらいい。どうしたらいいのか。
「美耶子さん、君はどうして死にたいんだ」
純也の質問。どうして死にたいのか。
「あの世界に……私の居場所は、もうないんです」
帰っても、犯罪者扱いされるだけだ。両親も自分を見捨てた。友達もいなくなった。一人きりで苦しみ続け、どうやって生きていけと言うのか。
「それは、クラスメイトの自殺のことだよね」
「っ?!」
心臓がドキリと跳ねた。どうして彼がそのことを知っているのか。
「君たちのことは全部知っている。兄さんが教えてくれたんだ。君が冤罪を受けたのだということも俺は知っている。君はクラスメイトを殺してはいない。それを俺は知っているんだよ」
「あ……あぁ……」
心に浮かんだのは歓喜。
誰も味方などいないと思っていた。だがちゃんと自分のことを理解してくれる人が、こうして目の前にいる。そのことが無性に美耶子には嬉しかった。
しかし、
「でも……向こうに、私の居場所は、やっぱりないんです」
彼が真実を知ってくれたからといって、どうなのだ。
向こうで何かが変わるとは、到底思えない。
何も変わりはしないのだ。美耶子は殺人者として向こうで生きていかなければならない。
「それなら、俺が君の居場所になる」
「えっ?」
「俺が君を守る。君の居場所を作る。ここに来る前に言っただろ。君を助けたいんだ。それは今も変わらない」
エレベーターの中での会話を思い出す。
ああ、純也の表情はあのときとまったく同じだ。
美耶子の持つ優しさこそが、美耶子の強さだと言い、それを認めてくれた。そしてみんなを助けたい、と生きてここを出ようと約束したあのときと同じ顔だった。
「俺を信じてくれるなら、俺の言うようにしてくれないか」
向こうの世界はきっと、辛く苦しいものだろう。あのとき死んでいれば、と後悔する日も来るのかもしれない。
でも……
「…………」
まだ諦めるには早い。彼は生きようとしている。そればかりかみんなの過去を背負い、みんなを助けようとしている。
それこそが美耶子の憧れた純也の強さ。
彼を支えたい。いつしか感じるようになった、その想い。それはきっと本物だから。
この想いを持ち続けていたい。彼のために生きたい。
だから――
「……はい」
美耶子は彼の言葉に頷いた。途端、様々な感情が心を通り過ぎて行った。そして通り過ぎていくたびに、美耶子の心に息吹を吹きかけるのだ。生の息吹を。
生きたい。心の奥から沸き起こってくる衝動。
生きたい。生き続けていたい。それは今までに感じたこともないような生への渇望だった。
「自分の口から言うんだ。君はどうしたい」
純也の言葉に、美耶子は何の迷いもなく続ける。心の奥の感情を外に向けて解き放つように。宣言するように。
「私は、生きたいですっ」
美耶子は生を選択した。