表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ブレインキラー  作者:
72/80

第四ゲーム 『ジャッジ』 その11

 言われるままに引き出しを開けると、そこには一丁の拳銃が入っていた。

 偽物だろうか。指先で触れてみると、ひんやりとして堅い感触が返ってくる。


「本物ですよ」


 目の前の女は、表情を変えることなく淡々と告げる。

 過去の記憶を取り戻し、精神を摩耗させた美耶子には、もはや女の言葉が真実か嘘かを疑う余裕はなく、


「手にお取りください。そこには弾丸が一発だけ入っています。それを何に使うのも自由です」


 つまりこれで自決しろということか。

 片手では持てそうになかったので、両手でグリップを持ち上げる。


「セーフティは解除してあります。トリガーを引くだけで弾は出ますよ」


 引き金を引く。それだけで死ぬ。死ねる。

 美耶子は自身の手にある銃をまじまじと見つめた。

 怖い。無性に恐ろしかった。どうすればいいのだろうか。撃つ。どこを?

 弾は一発と女は言っていた。ならば、もしその一発で命を絶てなかったらどうなるのか。

 痛いだろう。血はたくさん出るだろう。そんなのは嫌だ。


「痛みのない死に方を教えましょうか?」


 女の問いかけ。それは甘い誘惑だった。痛みもなく死ねるのなら、それはなんと素晴らしいことか。

 美耶子は銃から視線を外すと、女の指を凝視した。

 女は口を開き、銃を模して立てた人差し指を口の前へと持っていき。


「銃口を口の中に入れ、頭の方へと向けます。あとは引き金を引くだけです。あなたは痛みを感じる時間もなく、死ぬことが出来ますよ」


 銃口を口に入れる。

 こんな恐ろしいものを口に入れろと言うのか。


「どうするかはあなた次第。私はただ見届けるだけです」


 どうしよう。どうしたらいいのか。

 怖い。しかしどこか安らぎのようなものも感じていた。

 死にたくない。死にたい。助けてほしい。しかし誰も助けてはくれない。

 それはきっと元の世界に戻ったとしても同じこと。あの世界に美耶子の味方は誰一人としていないのだ。それならば、もう。

 手は震えていた。それでも両手でしっかりとグリップを握りしめる。

 かちかち、と歯の根が鳴っていた。漆黒の銃。その黒はまるで死後の闇を体現しているかのようで。

 美耶子は、ゆっくりと銃口を自分の顔の前まで持っていく。

 女は何も言わず、冷たい視線をこちらへ投げかけるのみ。

 何かを忘れている気がした。とても大事な何か。

 しかし目の前にある死という物体に、美耶子の思考はほぼ麻痺していた。頭が上手く回らない。何も考えられなくなる。いつしか女の姿も気にならなくなった。

 自分と銃。美耶子の世界にはそれだけしか存在しない。


「……っ」


 口を開け、銃口をその中に――


 ガチャリ


「っ!」


 トリガーに指を添えようとしたとき、不意に新たな音が美耶子の耳に飛び込んできた。

 何だ、今の音は。

 そう、扉を開ける音だ。

 美耶子の世界に色が、物が、蘇る。

 自分がいるのは『審判の間』と呼ばれる部屋の中だ。部屋の中央にはガラス板。向かいには女の姿。

 そして、


「撃っちゃダメだ!」


 部屋に飛び込んできたのは、


「純也、さん……?」


 何故、彼がここにいる。あちら側にいる。

 そうか、彼はゲームをクリアーしたのか。だからあちら側にいる。

 美耶子は安堵した。彼は生きることを選択したのか。

 だが、自分は。


「お前、どうやって!?」


 目の前の女が狼狽しているのが分かった。それは女が初めて見せた感情だった。


「美耶子さん、俺の話を聞いてくれ! だからまずは銃を下すんだ!」


 話。何を聞くというのか。

 生きろと彼は言うだろう。しかしすべてを思い出した美耶子には、もはや生きるということは、死ぬまで苦しみ続けるということと同義だ。

 美耶子は首を振った。その瞳からは自然と涙が溢れ、頬を伝い落ちていく。


「私、やっぱり純也さんみたいに強くなれませんでした……」


 彼はそれでも生きていくことを選択したのだろう。だが、自分には無理だ。そんな強さはない。


「……どうしても死にたいのか?」


 説得は無理と悟ったのか、純也が肩を落とす。

 それでいい。彼には生き続けてほしい。傲慢だが、それが美耶子の願いだった。


「そうか……なら、もう止めない」


 純也は部屋を出ていくだろうか。出ていってほしいと思う。自分が死ぬところを彼には見てほしくなかった。

 しかし純也は美耶子の想像もしない行動に出た。

 懐から取り出した銃を自らのこめかみに当てた。


「君が死ぬのなら、俺も死のう」


「……え?」


 彼が何を言ったのか、美耶子には理解できなかった。

 自分も死ぬ? せっかく助かったのに。せっかく元の世界に戻れるのに、どうして死ぬのだ。


「ど、どうして……?」


 思わず口に出た言葉に、純也は視線を逸らし、


「俺も全部思い出した。このゲームを作ったのは俺なんだよ……」


 驚愕の事実を口にした。


「え……そ、それって、どういう……」


 瞠目し、思わず銃を下してしまう。

 純也はそのことに一瞬だけ表情に安堵をにじませた。


「このゲームを主催しているのは俺の兄さんだ。そしてゲームを考えたのが俺だったんだよ。兄さんが何を考えて、こんなことを始めたのかは分からない。でもこのゲームで死んで行った人たち。彼らを殺したのは、俺ということになる」


 言葉を失った。

 そんなはずはない。そう否定したかった。嘘に違いない。そう決めつけたかった。

 しかし純也の暗く沈んだ表情は、それを真実だと告げているようで。


「もちろん俺だってこんな殺し合いに、自分の考えたゲームが使われるなんて思いもしなかったよ。しかしもうこれは現実に起きてしまったことだ。俺も今は、主催者側の人間と何も変わりやしないんだよ」


 もし彼の言うことが本当だとすれば。

 主催者側に激しい怒りを抱いていた純也。その怒りが今は自分自身にも向けられているということだ。彼は決して自分を許そうとしないだろう。


「俺はこれ以上、このゲームを続けさせたくない。これ以上このゲームで人を死なせたくない。エゴかもしれない。君たちに生きろと言うのは傲慢かもしれない。でも俺は、やっぱり君たちに死んでほしくないんだ」


 生と死の天秤。死へと大きく傾いていた天秤が、ぐらりと揺れた。

 それはここにきて、初めての迷い。

 純也には死んでほしくない。生きてほしい。

 美耶子は死にたい。死なせてほしい。

 しかし美耶子が死ねば、純也も死ぬという。

 それはダメだ。純也は死んではダメだ。

 どうしたらいい。どうしたらいいのか。


「美耶子さん、君はどうして死にたいんだ」


 純也の質問。どうして死にたいのか。


「あの世界に……私の居場所は、もうないんです」


 帰っても、犯罪者扱いされるだけだ。両親も自分を見捨てた。友達もいなくなった。一人きりで苦しみ続け、どうやって生きていけと言うのか。


「それは、クラスメイトの自殺のことだよね」


「っ?!」


 心臓がドキリと跳ねた。どうして彼がそのことを知っているのか。


「君たちのことは全部知っている。兄さんが教えてくれたんだ。君が冤罪を受けたのだということも俺は知っている。君はクラスメイトを殺してはいない。それを俺は知っているんだよ」


「あ……あぁ……」


 心に浮かんだのは歓喜。

 誰も味方などいないと思っていた。だがちゃんと自分のことを理解してくれる人が、こうして目の前にいる。そのことが無性に美耶子には嬉しかった。

 しかし、


「でも……向こうに、私の居場所は、やっぱりないんです」


 彼が真実を知ってくれたからといって、どうなのだ。

 向こうで何かが変わるとは、到底思えない。

 何も変わりはしないのだ。美耶子は殺人者として向こうで生きていかなければならない。


「それなら、俺が君の居場所になる」


「えっ?」


「俺が君を守る。君の居場所を作る。ここに来る前に言っただろ。君を助けたいんだ。それは今も変わらない」


 エレベーターの中での会話を思い出す。

 ああ、純也の表情はあのときとまったく同じだ。

 美耶子の持つ優しさこそが、美耶子の強さだと言い、それを認めてくれた。そしてみんなを助けたい、と生きてここを出ようと約束したあのときと同じ顔だった。


「俺を信じてくれるなら、俺の言うようにしてくれないか」


 向こうの世界はきっと、辛く苦しいものだろう。あのとき死んでいれば、と後悔する日も来るのかもしれない。

 でも……


「…………」


 まだ諦めるには早い。彼は生きようとしている。そればかりかみんなの過去を背負い、みんなを助けようとしている。

 それこそが美耶子の憧れた純也の強さ。

 彼を支えたい。いつしか感じるようになった、その想い。それはきっと本物だから。

 この想いを持ち続けていたい。彼のために生きたい。

 だから――


「……はい」


 美耶子は彼の言葉に頷いた。途端、様々な感情が心を通り過ぎて行った。そして通り過ぎていくたびに、美耶子の心に息吹を吹きかけるのだ。生の息吹を。

 生きたい。心の奥から沸き起こってくる衝動。

 生きたい。生き続けていたい。それは今までに感じたこともないような生への渇望だった。


「自分の口から言うんだ。君はどうしたい」


 純也の言葉に、美耶子は何の迷いもなく続ける。心の奥の感情を外に向けて解き放つように。宣言するように。


「私は、生きたいですっ」


 美耶子は生を選択した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ