第四ゲーム 『ジャッジ』 その10
首輪の爆弾はもうなく、プレイヤー同士で殺し合うことももうない。
なるほど、確かにこれはボーナスステージだ。競い合う相手もいない、負けるはずのないゲーム。
そんなゲームとも呼べないゲームにおいて、プレイヤーを敗北させるには、どうすればいいのか。
そう、リタイアさせればいいのだ。
自ら負けを認め、ゲーム盤から降りる。それこそが第四ゲームにおける、クラブ側の勝利条件。
では、そのためにはどうするのか。
「兄さん……あんた……」
引き出しの中に収められていたもの。それを見て、純也は唖然と拓哉を見る。
「手に取ってみるといい」
純也は震える手で引き出しの中身を手に取った。
ざらりとしたグリップ。重い。これが今、この場における純也の命そのものの重さ。
純也が手にしたもの、それは一丁の拳銃だった。
「……っ」
生唾を飲み込む。
ひんやりとした手触りが、そして重さが、これを本物だと証明していた。
「弾は一発だけ装填されている。何に使おうと自由だ」
拓哉はまっすぐに純也を見つめてくる。まるでこちらの行動を見定めようとしているかのように。
一発だけの弾丸。プレイヤーの好きなように使える拳銃。
これは毒だ。それも猛毒だった。
純也はまだいい。だが、現実での辛い過去を思い出し、死への渇望を思い起こされた美耶子たちがこれを手に取ればどうなる。半ば衝動的に引き金を引くかもしれない。誰に向けて? そんなのは決まっている。自分自身に向けて、だ。
「もちろん、他のプレイヤーのところにも同じものが入っている。彼女らはこれでどうするだろうな」
頭にカッと血が上った。純也は拳銃を握りしめると、その場に立ち上がり、銃口をガラスの向こうにいる拓哉へと向ける。
「拓哉っ」
背後で玲子が声を張り上げる。
玲子が拳銃をこちらへ向けようとするのを、拓哉は手で制止し、
「構わん。言っただろう。この拳銃で何をするのも自由だ、とな」
「でもっ」
「純也よ、お前は俺を撃つか? それとも自分を撃つか?」
なるほど、これがジャッジか。プレイヤー自身に死の有無を選択させる。
そして純也は、兄を撃つか、自分を撃つかを選択させられる。それが観客とやらの賭けの対象になっているのだろう。
拓哉に銃を向けたまま、純也は隣の壁を一瞥する。
美耶子たちはどうしているだろうか。
馬鹿なことは考えるな。約束を思い出してくれ。
そう願いながら、純也は トリガーに指を添える。
「なぁ、兄さん。このゲーム、俺に挑ませたのは間違いだったな」
「そうか?」
銃口を向けられているにも関わらず、拓哉はどこ吹く風といった態度を崩さない。
撃たないと思っているのか。自分は死なないと信じているのか。
「ヒントをべらべらと言いすぎだよ。おかげでこのゲームの攻略法が分かった。さっさと、こんな下らないゲームは終わらせるぜ」
純也の言葉に、拓哉は口元をふっと緩めた。
「そうだな、こんなくだらないゲームはさっさと終わらせよう。撃つがいい、純也」
銃を構える手に力を込める。
照準が震えるので、両手でしっかりと構える。
この至近距離だ。外すことはないだろう。
唯一の心配は純也が発砲したあとに、玲子に撃たれないかということだ。
しかしそれは杞憂に終わった。拓哉は玲子へと視線を向け、
「お前は撃つなよ、玲子。お前が撃っていいのは、プレイヤーの誰かが死亡したときのみだ。そしてまだ、誰も死亡はしていない」
ああ、まったく。
純也は声に出して笑いそうになった。
どうして兄はこれほどまでにこちらに有利な情報を与えてくれるのか。
まだ誰も死んでいない。それはまだ美耶子たちを助ける見込みがあるということだ。早くこのゲームを終わらせて、彼女たちの元へ向かわなければ。
そのための攻略法。それは拓哉が何度も口に出している。
「なぁ、兄さん。あんたは誰の味方なんだ?」
純也の問いに、拓哉は目を閉じ、
「俺は誰の味方でもないさ。だが、今ここに立っているのは、お前の兄、拓哉だ。それが答えではダメか?」
小さく微笑んだ。
「いや、その言葉だけで十分だよ」
マズルフラッシュ。鼓膜を揺さぶる火薬の破裂音と共に、部屋の右側のガラスが粉々に砕け散る。
砕け散ったガラスの後には、人が通るには十分な大きさの穴が開いていた。拓哉は健在。椅子に座ったまま、少しばかり意外そうな顔をして純也を見つめていた。
「……どうして俺を撃たなかった?」
拓哉の質問に純也は適切な言葉を探す。どれもしっくりこない。敢えて言うならばと、先ほどの拓哉の言葉を借りることにした。
「あんたが、俺の兄さんだったからだよ」
おそらく拓哉は故意に純也へヒントを流していた。そしてこのゲームを早期に攻略するよう誘導していた。本来ならば、話を長引かせ、他の部屋にいるプレイヤーがトリガーを引くのを待っていればいいのだ。それで純也は玲子に撃ち殺される。
だが拓哉はそれを良しとしなかった。どういう風の吹き回しか、拓哉は純也を助けようとしていた。
だから純也は拓哉を撃たなかった。
仮に撃ったところで、このゲームが終わるわけではない。第二の拓哉に代わる人物が、ゲームを取り仕切るだけだろう。
「純也。最後に一番下の引き出しを開けていけ」
壁に出来た穴をくぐろうとしていた純也に向けて、拓哉が言う。
拓哉は既にこちらに背を向け、部屋を出ていこうとしていた。
「兄さん、今からでも遅くない。もうこんなゲームは――」
「純也」
純也の呼びかけを遮るようにして、拓哉は言葉を発する。
「やっと俺の戦いも終わりそうだ」
こちらに一瞬だけ視線を向けてくる。そのとき拓哉の顔に浮かんでいた表情は、安堵だった。
「お前は俺の誇りだ。強く生きろ。そして、もうこのゲームに関わるな」
「兄さんっ!」
呼び止める。しかしもう振り返ることなく、拓哉は部屋を出て行った。
まるで今生の別れのような台詞だった。
拓哉は二度と純也の前に姿を見せないということか。それとも――
純也は最後に残った引き出しを開ける。
そこには通帳とカードが入っていた。通帳には目を疑うほどの桁の金額が記帳されている。
「ゲームクリアー、おめでとう。でも急いだ方がいいわ。早くしないと、手遅れになるかもしれない」
後ろでは玲子が銃をしまいながら、笑っていた。
「玲子さん。どうしてあなたは、このゲームに……」
「私はね、拓哉の秘書なのよ。だから彼の望むことをやってあげたい。ただ、それだけよ」
ただ、それだけ。しかしその短い言葉で純也には二人の関係が分かってしまった。
何か言いたかった。しかし言葉を交わすには、もう時間がない。
純也は未練を振り切り、穴をくぐり、部屋の向こう側へと抜けた。
扉を開け、部屋を出るとき、一度だけ後ろを振り返った。
「兄さんを、よろしくお願いします」
恐らく拓哉を止められるのは彼女だけだ。純也は玲子に軽く頭を下げ、部屋を飛び出した。