第四ゲーム 『ジャッジ』 その8
桃山留美は昔から臆病だった。決して人には逆らわず、常に人の顔色を窺ってばかりいるような気弱な性格。
留美は自分の感情や意見を表に出すことが苦手だった。自分から何かを表現することが出来ない彼女は、常に友達や家族の後ろをついて回っていた。家族はもっとしっかりしなさいと留美を窘める。クラスメイトは従順な彼女を鬱陶しがりながらも、小間使いのように扱っていた。
留美に不満はない。例えどれだけ見下されようと、粗暴に扱われようと、集団の中にいるだけで安心出来るのだ。集団の中に入れるのならば、どんなことにも耐えられる。
そんな彼女の生活に変化が起きたのは、新たな学年に上がった頃だった。
隣のクラスの男子が留美に告白してきた。その生徒とはまったく面識がなく、留美は大いに戸惑った。
あり得るはずがない。自分なんかに告白してくるなど正気の沙汰じゃない。
そうは思うものの、初めての告白に留美の心は弾んだ。男子生徒は人のよさそうな顔をしていた。
「どうして、私なんかを……?」
恐る恐る尋ねた留美の問いに、彼は照れくさげな笑顔を浮かべ、
「ずっと見てたんだよ。可愛いなってさ。今朝は星座占い、俺一位でさ。これならいけるかなって、思い切って告白してみたんだ」
可愛い。そんなことを言われたのは生まれて初めてだ。
少し話をしてみたが、彼はとても優しく、面白い人だった。
「もし付き合ってる人がいないなら、俺と付き合ってよ」
彼の言葉に、留美は思わず頷いていた。
そうして彼、新山信吾と留美は付き合うことになった。
それからの生活の変化はめまぐるしかった。
集団の中にいるという留美のスタイルは変わらないものの、少しずつ彼と過ごす二人だけの時間というものが増えていった。なかなか自分の感情や言葉を表に出せずふさぎ込む留美を、新山は焦ることないと穏やかに笑い、包み込んでくれた。
いつしか、留美の中に彼にもっと可愛いと思われたい。もっと好きになってほしい。
そんな欲求が芽生え始め、化粧やおしゃれというものにも手を出し始めた。
クラスは留美の変化に目を見張っていた。
かく言う自分でも驚いている。まさかこれほどまでに積極的な一面が自分にあったのかと。夢でも見ている気分だった。
そうして留美と新山の関係は続いていき、学校は夏休みに入った。
何回ものデートを重ね、ついに留美は新山と肉体関係を結んだ。
だが、これが悲劇の始まりでもあったのだ。
夏休み明け。学校へ登校した留美は、クラスの男子たちが向けてくるおかしな笑みにすぐ気付いた。不快だった。まるで観賞魚でも見るかのような視線。
そしてその正体はすぐにはっきりとすることとなった。
休み時間。男子生徒の一人が留美に話しかけてきた。
「ねぇ、桃山さん。お願いしたら、一発やらせてくれるって本当?」
何のことだろうと、留美は小首を傾げる。
すると、男子生徒は携帯電話を取り出し、そこに収められていた一枚の画像を留美に見せた。
「――っ」
それは新山と関係を持ったときの画像だった。
どこで。いつ。誰に。
留美は青ざめていく自分を知覚しながら、携帯電話を奪い取ると、慌てて画像を消去した。
「あー、消さなくてもいいじゃん。まぁ、またもらえばいいんだけどさ」
もらう? 誰に?
何が起きているのか分からない。ただ、あのときの画像がクラス中に広まっているということだけは分かった。
留美は教室を飛び出し、新山のいる教室へと向かった。
もし彼がこの画像を見ていたら。
心臓が早鐘を打っていた。震える手で彼の教室のドアを開ける。
彼はいた。数人の男子生徒に囲まれて談笑している。
やがて留美の姿に気付いたその中の一人が新山に耳打ちする。
新山は留美へと視線を向け、いつも留美に向けていた穏やかな笑みを浮かべ、
「ごめんよ、留美ちゃん」
と言ってきた。
「……え?」
留美には彼の言葉の意味が分からない。彼の周りにいる男子たちも、留美のクラスの男子たちと同じ視線を留美へと向けてきた。
「新学期にね、みんなと賭けをしたんだよ。留美ちゃんを何日で落とせるかって」
「ど、どういうこと?」
彼はネタ晴らしをする手品師のような顔で真実を語った。
新学期の初日、彼はクラスで行われていた賭けトランプで大負けをしたということ。そしてその負けた分の金額を支払う代わりに、罰ゲームを負わされたこと。それが桃山留美を何日で落とせるかというものだったこと。
彼の口から語られる真実は、留美の心を粉々に砕くには十分すぎるほどだった。
「ごめんね、そういうわけなんだ。写真を撮ったのは俺。写真を見せないと、こいつら信じようとしないからさ」
彼はさらに言葉を続けるが、もはやそれは留美の耳に入ってくることはなかった。
留美はふらつく足取りで教室を出て、そのまま荷物も持たずに、学校を抜け出した。
「はは……」
笑ってしまう。今までの日々は何だったのか。
浮かれていた自分をはたき倒してやりたい気分だった。
あんな画像が出回ってしまった以上、留美はもう学校へは行けないだろう。
親に何て言えばいいのだろうか。いや、親に言うべきなのだろうか。
家へと戻った留美は自分の部屋に閉じこもった。
もう外には出たくない。外の世界は自分を傷付けるものばかりだ。
しかし閉じこもったいたところで、事態が好転するわけではない。
扉の向こうで、理由を問うてくる両親。担任の見舞い。そして携帯には何人もの男子生徒からからかいのメール。
この狭い自分だけの領土にいたとしても、外の世界はじわじわとこの中にまで浸食してくる。
いつしかこの留美の部屋も留美を傷付ける場所へと変わっていくのだろう。
それはもはや留美にとって自分の居場所が失われることに等しい。
「死のう」
そう思った。生きていても傷付いていくだけだ。
それならば死んで、楽になろう。そうすれば、もう心の痛みに苦しむことはない。
しかしどうやって死ねばいいのか。
出来るのならば、誰の迷惑にもならないように死にたい。
そうしてネットで検索をかけていると、不思議なサイトを見つけた。
『自殺予防幇助の会』
自殺者を踏み止まらせようと警告するサイトだった。
何故自分はこんなサイトを開いているのか。
まさか、まだ生きていたいと心の底で願っているとでもいうのか。
サイトを閉じようとして、サイト下部にある不思議なリンクに目が留まった。
それはまだ死を望んでいるのかという、選択式のリンク。
留美は迷うことなく、『はい』を選択した。
しかし飛んだ画面では、再び死を望むのか尋ねてくる。
留美は半ば意地のように、『はい』を選び続けた。
きっとこれは『いいえ』を選ぶまで、ずっと繰り返されるのだろう。
そこまでして生きろと言うのか。傷付いて、嗤われて、晒し者になってまで生きろというのか。
留美はこのサイトに憎悪にも近い感情を抱き始めていた。
何も知らないくせに。何も知らないくせに。
負の感情を叩きつける。絶対に『いいえ』など押してやるものか。
何度も、何度も、何度も『はい』を選び続ける。
やがて画面は留美の意思を認めたかのように、別のサイトへと移動していた。
『自殺幇助の会』
やった。ついに認めさせた。
留美はサイトの変化に気付くと、口元を釣り上げて笑ったのだった。