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ブレインキラー  作者:
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第四ゲーム 『ジャッジ』 その7

 福山美里の暮らしは別段裕福というわけでもなければ、貧しいというわけでもない、ごくありふれた中級家庭のものだった。両親は共働き。二つ年下の妹がおり、美里は妹の世話をしつつ、母親の代わりに家事をこなす日々を送っていた。

 日々の暮らしに何の不満もなく、生来の明るい性格から美里には友達も多かった。

 別段これといった刺激もなく、代わり映えのしない生活。少しばかり退屈ではあったけど、このまま平穏な毎日が続いていくのだと、美里は何の疑いもなく信じていた。

 そんな福山美里の家庭がおかしくなったのは、彼女の父親が親戚の連帯保証人を引き受けた頃からだった。

 その数日後、親戚は姿をくらまし、父親の元には彼が負っていた多額の借金だけが残された。

 それでも両親は恨み言の一つもこぼさず、生活を切り詰め、借金の返済に励んできた。

 押しかけてくる借金取りに頭を下げ続け、周囲からは白い目を向けられようとも、両親は諦めずに頑張っていた。

 しかし返せど返せど、減ることのない借金の山は、次第に両親から生気を奪っていく。いつしか家庭からは笑顔が消え、会話さえなくなっていた。

 美里はせめて自分だけはみんなを励まそうと、いつも明るく振る舞っていたが、そんな美里を見て、両親はただ謝罪するばかり。

 自分たちが馬鹿だったから、娘のお前たちに迷惑をかけてしまっている。

 彼らは何度もそのことを悔いていた。




「家族みんなでハイキングに行こう」


 ある夏の日、両親は美里にそう言ってきた。その日は両親共に仕事が休みだったらしい。妹は久しぶりに過ごす家族との時間に大喜びしていた。久しぶりに見る両親の笑顔。頬がやつれ、疲れ切ったその笑み。

 何故だろうか、嫌な予感がした。

 妹は持っている服の中でお気に入りのものを着て、両親に出発をせがんでいる。

 美里、早くしなさい。

 父親の言葉。心臓がバクバクと鳴っていた。

 どうしてだろう。久しぶりの家族の時間は、美里にとっても大事なもので。本当なら妹と同じように大はしゃぎしているはずなのに。

 どうしてこんなに不安になるのだろうか。


「あの……私、留守番してるよ」


 そう口にした美里の頬を父親は張り飛ばした。

 呆然と目を見開く美里に、父親は目玉がせり出したかのように目を見開くと、


「ダメだ! 家族みんなと一緒じゃないとダメなんだ!」


 と、唾を飛ばす勢いで叫んだ。


「そうよ、美里。家族みんなで過ごすなんて久しぶりじゃない。ほら、支度して。大丈夫よ、何も怖いことなんてないから」


 美里の頭を撫で、微笑む母親。

 このとき美里には両親が何か別の生き物のように見えてしまった。

 そして美里は両親に引っ張り出されるように、家を出て、ハイキングへと向かうこととなった。

 向かった先は電車で数駅行ったところにある山だった。

 電車を降り、山の入り口に立つ。

 いまだに心の中では嫌な感覚が消えずに、警鐘を発している。

 この山はハイキングコースに使われるような山ではないことを美里は知っていた。登山家が相応の道具を持って登る、危険な山だと聞いていた。

 両親の荷物は少なかった。そのことが、ますます美里の不安を大きくさせた。




 両親は無言だった。妹はどうしたのだろうか、と不思議そうな顔で両親を見上げていた。

 急勾配な坂道をいくつも登り、時折休憩を挟みつつ、両親は黙々と山を登って行く。

 やがてこっちの方が近道だと、父親が脇の藪道に入っていった。妹は母親に手を引かれ、その後をついて行く。

 美里は思わずそこで立ち止まってしまった。まるで両親のいる方へ一歩でも足を踏み出せば、もう二度と戻って来れないような、そんな恐怖を感じてしまう。


「どうした、早く来い」


 父親が呼ぶ。母親も呼んでいた。妹はきょとんとした視線を美里に向けている。

 両親のところへ行かなければならない。そう分かっていても、体は美里の意思に反してぴくりとも動こうとはしなかった。

 どれぐらい立ち尽くしていただろうか。業を煮やした父親は、顔を赤黒く染め、


「もうお前なんか知らん! どこにでも勝手に行け!」


 そう叫び、藪道をさらに奥深くへと入っていった。

 母親も妹の手を引き、それに続く。


「お姉ちゃん、一緒に行こうよ」


 妹がこちらに手を伸ばしてくる。

 その目はまるで美里に助けを求めているようで。

 妹もまた両親の不審な態度に不安を感じていたのだろう。揺れる瞳。懸命に伸ばされる手。

 しかし美里は一歩も動くことが出来ず。

 妹は母親と共に藪の向こうへと消えていった。

 山道に一人取り残された美里は、その場に立ちすくんで、両親と妹が消えていった藪道を見つめ続けていた。

 やがて、枝が折れ、何かが滑り落ちるような大きな音と共に、妹の悲鳴が聞こえてきて。

 それが合図となったかのように、美里は無我夢中で山道を駆け下りた。

 そこからのことはあまり覚えていない。気が付くと、美里は自分の家の近くに立っていた。

 すべては悪い夢で、家に戻れば両親や妹が自分を温かく迎えてくれる。そんな夢にでも縋ったのか。

 家に近づこうと足を踏み出す。だが、家の前に集まっている数人の男の姿に気付き、美里は進みかけていたその足を止めた。

 黒いスーツを着た、人相の悪い男が三人。彼らには見覚えがあった。借金の取り立てに、いつも来ていた男たちだ。

 男たちは携帯でどこかと連絡を取っているようだ。きっと両親たちを探しているのだろう。

 見つかることは出来ない。見つかれば、何をされるか分からない。

 美里は家に背を向け、走り出した。




 それから美里は今でもまだ交流のある友達の家を訪ねた。

 数日泊めてほしいと頼み込み、友達の家に置いてもらえることになった。

 しかしやはり友達の両親は良い顔をしなかった。美里の家系が借金に苦しんでいることは、既に近隣住民のみならず、学校中に知れ渡っている。あまり長居は出来ないだろうと予感していた。

 そして美里の予感は思いのほか早く的中することになる。

 山中から美里の両親と妹の遺体が見つかったと、ニュースで報道されたのだ。

 偶然、このニュースを耳にした美里は荷物をまとめ、すぐに友達の家を飛び出した。

 友達の家を転々と渡り歩けばいいと、そう思っていた。しかし現実はそう甘くはない。

 両親の死が知られてしまった今、誰も美里を置いてはくれないだろう。

 呆然自失となった美里は、ネットカフェへと入った。特に目的があったわけではない。ただ、どうすればいいのか分からなかった。どこへ行けばいいのか。何をすればいいのか。自分も家族の後を追うべきなのか。

 あてもなく、ただネットサーフィンを続ける。

 そして気が付くと、美里はあるサイトにたどり着いていた。


『自殺幇助の会』


 その名は甘い果実のような響きを持っていた。

 そこには自殺志願者を手助けするプランが用意されてある旨が書かれてあり、費用は一切かからないという。

 自殺――するべきなのか。

 死ぬべきか。それを考えると、いつも耳元に妹の悲鳴が蘇ってくる。

 どうしてお前一人が生きている。どうしてお前だけ逃げた。

 そんな悪魔の囁きまで聞こえてくる。


「どうした、早く来い」


 父が呼んでいた。


「お姉ちゃん、一緒に行こうよ」


 妹も呼んでいた。

 美里は家族の声に導かれるように、サイトの入力フォームに必要な情報を打ち込んでいった。

 それが美里の忘れていた真実。




 真実を思い出した美里は最初こそ泣きわめき、何度も救いを求めていたが、今では糸の切れた人形のように動きを止め、椅子に座り込んだまま呆然と天井を見つめている。いや、その視点は定まっていない。気が触れたか、あるいは心が砕けたか。

 部屋の中央を仕切るガラスを挟み、美里の向かいに座る若い男は冷静に美里の様子の変化を観察していた。

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