回想 その3
純也が高校二年に上がった頃だろうか。街に奇妙な噂が流れ始めた。
人を集めてデスゲームに興じさせ、それを観戦して楽しむクラブが日本にあるというのだ。
都市伝説。誰かがどこかで見た映画の内容を、実際にあったこととして面白半分に流布しているのだろう。
だが純也はその噂を信じてなどいなかった。もしそんなゲームが開催されているのだとして、消えた人間はどうなる。相次ぐ行方不明者として、ニュースに取り上げられていてもおかしくないだろう。しかしテレビはおろか、新聞にさえ、そんなクラブがあることも、行方不明者が増加していることも書かれてはいないのだ。
もちろんマスコミを完全に信用しているわけではない。だが、実際に起こっていることならば、もっと騒ぎになっていてもおかしくはないはずだ。そういうのはきっと日本ではない、どこか別の国で行われているのだろう。
純也はそう信じていた。ある事件が起きるまでは。
それは夏も半ばに差し掛かった頃に起きた。
学校の下級生が一人姿を消したのだ。生徒だけではない。一家全員が忽然と姿を消していた。
聞いた話では、彼の家は相当の負債を抱え込んでいたという。闇金に追われ、一家揃って夜逃げでもしたのだろうと、学校では噂されていた。
だがその噂には妙な尾びれがついていた。それは彼があるサイトから都市伝説と噂されているクラブの痕跡を見つけたというのだ。彼が消える前日に、彼は友人の一人にだけそれを語っていたという。
彼の証言は退屈に飽きた生徒たちを大いに刺激した。生徒たちは彼が失踪した理由を、クラブによる誘拐と決めつけ、躍起になってそのサイトを探し始めたのだ。
そして的に挙げられたのが、自殺予防幇助の会というサイトだった。
さすがのこれには純也も驚きを隠せなかった。このサイトはかつて、兄である拓哉が増加する自殺者を救済すべく立ち上げたものだった。
久しぶりに見るそのサイトは、あの頃と何も変わっていない。そういえば、純也の考えた知的ゲームは実際に行われたのだろうか。拓哉は個人のプライベートに関わることだからと、純也に何も教えてはくれなかった。しかし月日が経つごとに、拓哉の顔からは感情が消えていき、いつしか機械のような冷たい無表情が顔を覆うようになっていた。
事業が上手くいっていないのだろうか。しかしそれを口に出すことも出来ず、純也はただ兄が変わっていくのを眺めていることしか出来ない。家での会話も次第に減っていき、拓哉は自室に篭って仕事をしていることが多くなった。
家族としての溝が深くなっていく日々。しかしそれでも純也にとって、拓哉は今でも崇敬の対象なのだ。
自分をここまで育ててくれた。そして学校にも通わせてくれている。友達も出来た。たくさんの思い出を作ることが出来た。それらはすべて拓哉のおかげなのだ。
その拓哉が作ったサイトが、殺人クラブの入り口として扱われている。
その事実に純也はカッとなった。
そんなはずはない。ただそれだけを念じ、純也はサイトを検証し始めた。
と言ってもそれほど見るところもない。サイトにあるのは事業理念、そして相談受付の電話番号やメールアドレス。各種リンクは借金、いじめ、家庭内暴力――様々な悩みに対応する企業へと繋がっている。
どこにもおかしなところはなかった。そもそもそんなにすぐに見つかるようなら、生徒たちがとっくの昔に発見しているだろうし、それよりも前に話題になっていたはずだ。
やはりこのサイトにおかしなところはない。
安堵した純也はサイトを閉じようとして、ある一文に目が留まった。
『貴方はまだ死にたいと思っていますか? はい/いいえ』
それはサイトの下部に目立たないように書かれていた。
「こんなの昔はあったっけ……?」
不審に思いながら、『いいえ』を選択する。すると、画面はブラウザ画面へ切り替わった。
サイトへ戻ると、次に『はい』を選択してみる。
『それでも希望はあります。諦めてはいけません。
貴方はそれでも死にたいと思っていますか? はい/いいえ』
次に表示されたのは、そんな質問文だった。真っ白の画面に黒いフォントで、ただそれだけが書かれている。
『いいえ』を選択すれば、やはりブラウザ画面へと戻る仕組みになっている。
しかし『はい』を選択しても、再び同じ画面に飛び、同じ質問を受けるようになっていた。
きっと、自殺志願者を踏み止まらせるための措置なのだろう。『いいえ』を選択するまで、何度でも繰り返す問いかけ。
しかし何故こんなことをするのだろうか。本来ならば『はい』を選択しても諦めてはいけません的な文字が出て、終わりなのではないだろうか? 何故こんな回りくどいことをする必要がある。
脳裏をかすめた疑念は、純也にあるイメージを思い浮かばせた。
「カモフラージュ?」
何かを偽装、もしくは隠すための仕掛け。それがこのリンクに存在するというのか?
試しに何度も『はい』を選択してみる。画面に変化はない。延々と繰り返される死の否定文。
だが、何度も何度も『はい』をクリックするうちに、純也はおかしな気分になってきた。
『それでも希望はあります。諦めてはいけません。
貴方はそれでも死にたいと思っていますか? はい/いいえ』
希望はある。生きていればいいことはある。だから死んではいけません。
『それでも希望はあります。諦めてはいけません。
貴方はそれでも死にたいと思っていますか? はい/いいえ』
例え今が苦しくとも、いつか救われる日が来ます。希望はあるのです。だから死んではいけません。
『それでも希望はあります。諦めてはいけません。
貴方はそれでも死にたいと思っていますか? はい/いいえ』
それほどまでにあなたは死にたいのですか? 死んではいけません。
『それでも希望はあります。諦めてはいけません。
貴方はそれでも死にたいと思っていますか? はい/いいえ』
生きるということに希望はなく、死ぬことでしか救いはない。そうなのですね?
『それでも希望はあります。諦めてはいけません。
貴方はそれでも死にたいと思っていますか? はい/いいえ』
何十、何百の生への呼びかけを否定し続け、死を選択し続ける。
まるでそれはこの世のしがらみを一つ一つ切り離していくような、そんな不思議な感覚へと変わっていく。
『それでも希望はあります。諦めてはいけません。
貴方はそれでも死にたいと思っていますか? はい/いいえ』
純也は何かに憑かれたかのように『はい』を選択し続ける。
純也の脳裏にはかつての施設での暮らしが蘇っていた。
みんなが傷付いていた。体だけでなく、心もだ。痛みをごまかすように、誰かが誰かを傷付けていた。負の感情に支配された子どもたちだけの領土。時には死んでしまう子供もいた。彼らは無念だっただろう。理不尽な死を受け入れるためだけに生きていたというのか。そのために苦痛を味わい、今までの日々を耐えてきたというのか。
『それでも希望はあります。諦めてはいけません。
貴方はそれでも死にたいと思っていますか? はい/いいえ』
施設にいるとき、可愛いなと思っていた子もいた。しかし彼女もまたあの領土では生き残ることは出来なかった。ゴミ捨て場で冷たくなっている彼女を見つけたのは、純也だった。後から聞いた話では、彼女は自分の容姿を利用し、一部の男子に取り入って安寧を手に入れていたという。だが、それも別勢力の子供たちに淘汰され、彼女は骸となった。
『それでも希望はあります。諦めてはいけません。
貴方はそれでも死にたいと思っていますか? はい/いいえ』
いつしか外は赤くなっていた。夕焼け。太陽が沈もうとしている。
真っ赤なその光は、死んで行った彼らの無念を表しているようで、胸が詰まる。
『それでも希望はあります。諦めてはいけません。
貴方はそれでも死にたいと思っていますか? はい/いいえ』
太陽は沈み、外は闇に包まれていた。電気も点けず、純也はひたすらパソコンと向かい合う。
『それでも希望はあります。諦めてはいけません。
貴方はそれでも死にたいと思っていますか? はい/いいえ』
思い返す記憶もなくなり、純也はただ機械的に指を動かし続ける。
そして――
「あ……」
画面は唐突に切り替わる。
真っ白の画面から、まるで死の淵に叩き落されたかのように深淵の黒へと画面は色を変えていた。
『そこまでして死を望むあなたに提案があります。
どうせ死ぬのなら、その命をチップにゲームに興じませんか?』
そこに開かれていたのは、噂されていたクラブへの入り口。
「見つけてしまったのか」
パチリと電灯の点く音。
慌てて振り返ると、部屋の入り口には無感情に立ち尽くす拓哉の姿があった。