第二ゲーム 『フラッグ』 その11
田嶋を襲う。そして彼からカードを奪う。
そのためには彼を待ち伏せる必要があった。しかしそれには彼がどの道を通るかを事前に知っておかなければならない。
純也たちが田嶋を襲う場所として選んだのは、試験を受ける会場となる二階へ上がる階段の前だ。
既に田嶋が試験をクリアーし、二階へ上がってしまっていれば、この作戦は成り立たない。そこは賭けでもあったが、純也たちは二階へ上がる階段まで駆けた。
そして試験の会場となる場所まで辿り着いたとき、そこには三人の人間がいた。
池沢と荻野、そして間宮だ。
「お前たちは……」
最初に純也たちに気付いたのは池沢だった。神経質そうな瞳を鋭く尖らせて、純也たちを見つめてくる。
そして荻野と間宮も純也たちに気付いた。間宮は美耶子や美里、留美の姿を見つけると、その顔に下心見え見えの粘着質そうな笑みを浮かべた。
それに対し、美耶子は純也の後ろに隠れ、玲子や美里、留美は不快感に顔をしかめながら間宮を睨み返している。
荻野はそんな微妙な場の空気を無視して、明るい笑顔を浮かべた。
「おうおう、あんたたちも無事だったか。ここへ来たということは、みんな試験を受けに来たんだな?」
「ああ、お前たちはどうしてこんなところに集まっているんだ?」
伊月の言葉に荻野は不安と恐怖のない交ぜになった表情で、彼らの目の前にあるドアを見上げた。
それは白く大きなドアだった。両開きの形になっており、今は閉じられている。
「試験を受けに来たんだよ、見れば分かるだろ? 今は渡辺っておっさんが受けてるよ」
小さく鼻を鳴らして池沢が呟いた。どうやら彼は伊月のことを快く思っていないようだった。というよりも、自分より年上の大人を見下している。そんな印象を純也は感じた。
試験会場へ続くドアはロックがかかっており、外側から開けることは出来ない。
見ると、ドアノブの上にセンサーのようなものがついている。どうやらここで五枚のカードを集めた端末を読み込ませるようだった。
「試験の内容がどんなものか分かる人っているのか?」
「いや、中に入るまで分からないな」
池沢は小さく首を振った。
「どんな内容か分からないから、みんな尻込みしてるんだよ。失敗すれば終わりだし。でもこのままだと拉致があかないだろ? だからじゃんけんで順番を決めたのさ」
荻野が言う。つまり渡辺は最初の受験者ということだ。
彼がゲームをクリアーすれば、次の人が部屋に入ることになる。だが失敗すれば……。
いや、今はそれより先にするべきことがあった。純也は何気ない風を装って、荻野へと話しかけた。
「あっ、そうだ。一つ聞きたいことがあるんだけど、田嶋ってもうここへ来た?」
美耶子たちは緊張に思わず息を呑む。
荻野は首を傾げて唸り声を上げる。ついで池沢と間宮を一瞥する。
彼らは揃って首を振っていた。
「俺らはずっとここにいたんだけどよ。俺たち以外にここへ来たのはあんたらが初めてだよ」
「そうか」
つまり田嶋はまだ試験を受けていない。
純也は伊月に向かって頷き、一人そっとその場を離れた。去り際に美耶子が心配そうに見つめてきたが、純也は大丈夫と声をかけ、微笑んだ。
マップを確認する。試験会場へと繋がる道は二本ある。
内一本は純也たちが通ってきた道だ。庄之助を襲った後、田嶋が去っていった道から考えると、この道を通ることはなさそうだった。
だからもう一つの道を田嶋は通るはず。純也は田嶋を見つけ、彼をある場所まで引き付ける役を追っていた。
体力があり、かつ庄之助を殺された恨みから田嶋を襲ったとしてもおかしくはない人物。それには純也が適任だろうと伊月は言った。
美耶子は反対したが、純也自身も自分が適任だろうと思っていた。
しばらく歩くと、通路の奥から誰かが歩いてくる足音が聞こえてきた。
純也は近くの部屋に隠れ、機を窺う。
庄之助と羽山は死んだ。田嶋を除く他のメンバーは全員会場の前にいた。だからこそ、この足音の正体は田嶋であることが明確だ。
純也は部屋の中をさっと見回した。木箱がいくつも置いてある。
武器になるもの。角材があった。それを手に取る。
ずっしりと来る重さ。当たり所が悪ければ、死んでしまうかもしれない凶器。
純也は迷いを振り払うように、ぐっと木材を握り締めた。
コツ、コツ、コツ……
扉越しに足音が近づいてくるのが分かった。
その足取りは慎重とは言いがたく、周囲を気にせずに普通に歩いている様にも感じられた。
純也は角材をグッと握り締めた。
(さぁ、来い!)
コツ、コツ、コツ……
聞こえてくる足音は次第に大きくなっていく。
あと何メートルだろうか?
純也は扉の向こうに耳を澄ませ、田嶋が部屋を通り過ぎるのを待った。
田嶋が純也の隠れている部屋を通り過ぎたあと、純也は部屋を飛び出して田嶋を後ろから攻撃する。
それで田嶋が動けなくなれば、カードを奪って美耶子たちのところへ戻ればよかった。
失敗しても、それはそれで次の作戦がある。
純也はグッと力を込めて、目を閉じた。
田嶋に殺された庄之助。
優しい人だった。その命を容易く奪い、挙げ句には笑ってみせた。
純也の心に耐え難い怒りの炎が燃え上がった。
今はそれを抑えはしまい。ただ全力で田嶋にぶつかっていけばいいのだ。
コツ、コツ……
純也は目を開けた。
田嶋はすぐ近くまで来ている。
(もうすぐ、もうすぐだ)
高鳴る心臓。角材を握る手にはびっしりと汗が浮かんでいた。
もう田嶋との距離まで一メートルもないだろう。
すぐそばに田嶋の気配を感じる。
コツ、コツ、コ――
それはあまりに唐突。純也の隠れている部屋の数歩手前の距離で、田嶋は足を止めた。
(ばれた!?)
背中に冷たい汗が流れる。
田嶋は動かない。まるでドアを通して、部屋に隠れている純也を見つめているかのように。
(どうした……何故動かない……)
いっそのこと、今から飛び出してもいいのではないのか。
そんな誘惑に駆られるが、純也はなんとかそれを押さえ込んだ。
まだ田嶋が純也に気付いたとは限らないのだ。
それからどれぐらいの時間が流れただろうか。
一分とも一時間とも思える長い対峙の果て。
コツ、コツ……
やがて田嶋が歩みを再開する音が聞こえてきた。
(ばれてなかった……)
安堵からその場に座り込みそうになるが、気力でなんとか耐える。
田嶋が部屋の前を通り過ぎた。
(今だ!)
ドアを蹴破る勢いで外へ飛び出す。
そして無防備に背中を見せているであろう田嶋目掛けて角材を振り下ろした。
田嶋。目が合った。嗤っている。
田嶋は純也が思っていたよりも遠くに移動していた。おそらく田嶋は純也の存在に最初から気付いており、純也がドアを開けると同時に跳んで距離を離したのだろう。
空振り。角材が地面を激しく叩き、その衝撃で純也は思わず角材を落としてしまった。
「まだまだ甘いな、ガキがっ!」
田嶋が踏み込むと同時に薙いだ鉄パイプが、純也のわき腹にめり込んだ。
「うっ!」
重たい衝撃が身体の芯を駆け抜け、純也はその場にうずくまる。
点滅する視界、呼吸が定まらない。激しい痛みに脂汗が額にびっしりと浮かんだ。
「おいおい、純也ちゃん。いきなり襲い掛かってくるとは、危ない奴だなぁ」
ニヤニヤと口元に笑みを浮かべながら、田嶋が言う。だが、その目はぞっとするほどに冷たく、暗い。
「どうして、分かった?」
必死に呼吸を整えながら、純也は言葉を返した。
「さぁ、どうしてだろうなぁ?」
田嶋は笑みを崩さぬまま、鉄パイプで何度も地面を軽く小突いている。
通路に響く甲高い音が、純也の心に恐怖となって覆いかぶさってくる。
「さて、純也ちゃんが欲しいのはこれかなぁ?」
田嶋は懐から四枚のカードを出してみせた。
四枚。その全てがあれば、純也も美耶子も伊月も試験を受けることが出来る。
「それを、渡せ……」
なんとか立ち上がり、純也は田嶋と向かい合う。
「おいおい、素直に渡すと思うか?」
「お前にはもう無用なカードのはずだ」
「ほぅ、何故だ?」
田嶋の眉がピクリと動いた。しかし表情は変わらない。相変わらず、口元に薄い笑みを浮かべながら、その冷たい瞳で純也を見つめている。
「お前は金本さんの端末を奪った。金本さんは端末にカードを五枚読み込ませていた。だから奪った端末にカードを読み込ませる必要はなくなったはずだ」
「はは、その通りだ。だけどな、こうは考えられないのか? 俺が端末を三つ持っていると」
「なん、だと……?」
純也の脳裏に首を絞められて殺されていた羽山の姿が浮かんで消えた。彼も端末を奪われていた。つまり誰かが羽山の端末を所持していることになる。
「お前、まさか!」
「おいおい、冗談だよ。本気にするなって。俺が持っている端末は二つだよ」
肩をすくめて、田嶋は乾いた笑い声をあげる。
信じられない。しかし田嶋の言葉が本当だとしたら、羽山を殺した人物は他にいることになる。
「しかし、このゲームを開いた誰かさんは本気で素晴らしいな」
何の躊躇いもなく、再び鉄パイプが純也の腹を打った。思わず地面に倒れる純也に、田嶋は楽しくて仕方がないという風に高らかに嗤う。
「だって、そうだろう? 十三人もの人間の記憶を消して、こんな場所で命をかけたゲームをやらせてるんだ。主催者はきっと凄い権力を持っているんだろうぜ? 警察や法律の介入を許さないほどにな」
田嶋の言うことは道理でもあった。これほど大掛かりなイベントを起こすには、ただの権力者では到底不可能だろう。金、地位、人。多くのものを持ったごく一部の人間にしか、このゲームは開催できない。
そして彼らがこのゲームを開く目的。
このゲームは主催者の道楽によるものなのか?
必死に生きようとするプレイヤーたちを、モニター越しに笑いながら観戦しているというのか。
もしくは、このゲーム自体が何らかの賭けに使用されている可能性もある。
どちらにせよ、胸糞の悪くなる話だと純也は心の中で唾を吐きかけた。
「法律も警察も介入しないってことは、何をしてもいいってことだ。殺人も、強姦も、強奪も、何でも出来るってことなんだよ。純也ちゃん、これがどれほど凄いことか分かるか?」
「はん、知りたくもないな」
「ちっ、つまらない男だな」
露骨に舌打ちをし、田嶋は鉄パイプを持ち上げる。
反射的に身を硬くする純也に、田嶋はニヤリと口元を吊り上げた。
「なぁ、純也ちゃんよぅ。お前んとこのお嬢ちゃん、俺に譲ってくれねぇかな? 譲ってくれるんなら、このカードをあげてもいいんだぜ?」
「な!?」
純也は思わず言葉を詰まらせた。
田嶋の言う人物とは、間違いなく美耶子のことだろう。
「俺を襲いに来たってことはカードが足りてないんだろう? お前だって自分の命が何よりも大事なはずだよな? なら、簡単な取引じゃないか」
純也は湧き上がってくる激しい怒りに身体を震わせた。
田嶋はそれを迷いと勘違いしたのか、さらに言葉を続ける。
「なに、殺しはしないさ。ただ、少し可愛がってやりたいだけでさ。何だったら、後で純也ちゃんにも回してやるからよ」
「っ!」
頭の中で血管の切れる音がした。
恐怖に震える自分の手を優しく握ってくれた美耶子。あのとき彼女が浮かべた笑顔が、純也には何よりも美しく見えた。
美耶子は絶対に死んではいけない。美耶子だけは何があっても守り抜く。そう、あのときに心に決めた。
そしてこの男は美耶子にとって害をなす敵。
純也は田嶋が鉄パイプを持っていることも忘れ、田嶋へと飛び掛った。
頭の中は真っ白だった。
嗤っている田嶋。許せなかった。
鉄パイプが肩を打つ。しかしあまりにも激しい怒りは純也から痛みを忘れさせた。
構わず、田嶋へ突進し、田嶋を押し倒す。マウントポジション。
鉄パイプが転がった。驚愕に見開かれた瞳が純也を見上げている。
猛り声。純也は田嶋の顔面を殴りつけた。
拳にジンとした痺れが走るが、気にしなかった。
純也はもう一度拳を振り上げる。
「調子に乗んじゃねぇぞ、ガキがぁっ!」
頬に衝撃。よろめく純也を跳ね除け、田嶋は狂気の光をたぎらせた瞳で純也は睨みつける。
「人が少し親切にしてやりゃ、調子に乗りやがって。ああ、いいぜ。そんなに死にたいなら、今すぐ殺してやるよ!」
「黙れっ! お前だけは絶対に許さない!」
緊迫した空気。武器はなく、互いに徒手空拳だった。
田嶋に殴られたとき、頭の中がガツンと揺れた。今もまだ身体に力がうまく入らない。
恐らく田嶋は何らかの格闘技を習っていたのだろう。それに対し、純也はあまりに非力。だが負けるわけにはいかなかった。
拳に力を込め、踏み込みと同時に右のストレートを放つ。
しかしなんなく田嶋に払いのけられ、お返しとばかりに膝が純也の腹を打つ。
「ぐっ!」
胃液が上がってくるのをなんとか堪え、純也はがむしゃらに殴りかかった。
「おいおい、子供のお遊戯か?」
余裕の笑みを浮かべ、田嶋はステップを踏むように純也の拳を避けていく。
「拳ってのはな、こうやって使うんだよ!」
衝撃。頭が揺れた。
殴られたと認識できたのは、思わず膝をついた後だった。
「はぁはぁ、くそっ!」
まったく相手にされていない。力量が段違いだった。
息を激しく乱す純也に対し、田嶋は息一つ乱してはいなかった。
「もうおしまいか? もっと楽しませてくれよ」
いたぶるように、何度も何度も蹴りを打ち込んでくる。
せめて声だけは漏らすまい。
純也は歯を食いしばり、必死に痛みに耐えた。
何をしているんだ?
心の中から問いかけてくる自分の声。
自分の役目は田嶋はおびき寄せることではなかったのか?
そんなことは分かっていた。だけど許してはいけないこともある。
ならば、お前はここで死ぬのか? お前が死ねば、美耶子も、伊月もみんなが死んでしまうというのに。
純也はハッとなった。
そうだ。ここで自分が死ねば、自分を信じてくれた美耶子や伊月たちを裏切り、死なせることになる。
「くっ!」
蹴りの合間を縫って、純也は倒れるようにして横に転がった。
「ちっ! 避けんじゃねぇ!」
純也は立ち上がると、田嶋に背を向けて走り出した。