一九六八
場面は過去に移る。全ての始まりの発端はその時代そしてその場所からだった。
流れ星が夜空を駆けた。
一人の若者が偶然それを見つけ立ち止まった。若者は何かを呟きながら光芒を眼で追った。
昭和四十三年、今より舗装された道路が少なく、夜道が暗い時代、しかし今より未来に夢と希望が満ち溢れていた時代、そんなある暑い夏の夜。
そこは下町の裏通り。
午前二時。
薄暗いその通りを若者は一人口笛を吹きながら再び歩き始めた。
カッ、カッ、カッとヒールの音が遠くから聞こえてきた。
若者は立ち止まりその音のするほうに目を向けた。
花柄のワンピースの女性が長い髪を振り乱し走り寄ってくる。
暗闇に慣れた目はその女性が誰かすぐに識別できた。
「アキ」若者は呟いた。
女性の後ろを数人の男が追いかけている。
「アキ、どうした。血相を変えて」
「あっ、コウちゃん、助けて」アキと呼ばれた女は、若者の太い腕にしがみついた。
「わかった。任せておけ」
若者は状況を全て読み取った。
女は若者の背中に隠れた。
四人の強面の男達が若者の周りを囲んだ。
「姉ちゃん、何も逃げなくてもいいだろう。家まで送ってやろうといってるんだ。人の行為は素直に受けるもんだよ」
背の高い顎がしゃくれた男が女の顔を覗き込んだ。
そのしゃくれ顎は、女の腕を掴み引き寄せようとした。
と、同時にその男の顔が急に苦痛にゆがんだ。
若者がその男の指を捻ったのだ。
人差し指を折れんばかり反らされた,男はその場に両膝をついた。
目にも留まらぬ鮮やかな動きに他の男たちはたじろいだ。
「な、なんだ、お、おまえ!」
少し小太りの男がドモリ口調で啖呵を切った。
「こういうもんだ」
若者は背広の内ポケットから分厚い黒手帳を出した。
その見慣れた一連の動作が男たちの動きを止めた。
「この紋所見りゃあわかるだろう。警視庁の者だ。今、張り込みの最中だ。邪魔すると公務執行妨害でしょっ引くぞ。なんだったら、お前等の上の者を代わりに署に呼んでもいいんだぜ。どこの組のモンだ」
若者のそのドスの効いた低い声は、四人のチンピラを一瞬に震え上がらせた。
「夜中の女性の一人歩きは物騒だと思い、チョッと声を掛けただけで…」男達の態度が一変した。
「お前等の方が物騒なんだよ、さっさとうせろ」若者は大声で怒鳴った。
チンピラは腰をかがめ、逃げるように走り去った。
チンピラが見えなくなったのを確認し若者は女の方に体を向け言った。
「ざっとこんなもんさ」
女は助けてもらったお礼もそっちのけで
「いつから刑事になったの?」と、上目遣いで問いただした。
若者は警察手帳を内ポケットにしまい女性に敬礼した。
「はい、本日、先ほどより任務に就きそしてたった今、任を解かれました」若者は笑顔で答えた。
街灯の光に照らされた女性は若者の透き通る白い歯を見つめた。
「こんな夜遅く一人で歩くから、あんなチンピラに絡まれるんだ」
「…」
「もうやめたらどうだ。…夜の仕事…なんか」
「…」女は黙ったまま若者の胸元を見つめた。
分かってるさ。そんなこと分かってる。
やめれるんだったらとっくの昔にやめてるよな。若者は女の心を読み取っていた。
そして自分の今言った浅はかな言葉に腹が立った。
「さあ、豪華マンションまで送ってやるよ。お嬢さん」
「豪華マンションって、同じボロアパートじゃない」
「おい、ボロはよけいだろ… 」
「ボロは着てても心は錦って言わないでね」
「ハハハハ、言われちまった。案外するどいね」
女は、いつもの優しい笑顔を取り戻していた。
若い男女は少し遠慮がちに間合いを取って歩きはじめた。