まだ見ぬ未来へ
今日は決行の日だ。
うまくいくだろうか、失敗すれば臭い飯を食う羽目になる。
しかし成功すれば三億円という大金が手に入る。
流れ星に願いもかけた。
急に震えが起き、体中に悪寒が走った。極度の緊張が解け,気が緩んだのか。
歯と歯がかち合わない状態になっている。
これは武者震いだ。
神部は自分に言い聞かせた。
神部に決心をつけさせたのはあの予言の書だった。
白木爺さん、いや正確に言えば酒井という男が書いたあの文章だ。
最初の一ページの文章。
日付、時間、場所、方法、全て俺が計画を立てたものと同じだ。
まるで俺の頭を覗き込んだように正確に書かれてある。
あれが本当なら間違いなく成功する。心配する事はないわけだ。
しかも、未解決で時効を迎える事になる。、と言う事だ。
神部は腕を組み椅子の背もたれに体を預けた。
天井を見上げれば黒ずんだ木の梁から蛍光灯が一本ぶら下がっている。
蛍光管の両ふちが黒く変色し、光がわずかに震えている。
以前、酒井が言った言葉を思い出した。
俺は世界一の企業家になる・・・・。
未来の自分をもう少し知ろうと思ったがその酒井は三日前に心臓発作で倒れ、あっけなくこの世を去ってしまった。
死んだ酒井に、後数年たったらまた会えるのだ。
不思議な話だ。
神部は使い古した木作りの机に呑みかけの缶コーヒーを置いた。
「帰ったら、また飲もう」そう言って椅子から立ち上がった。
机の上においてある桜の紋章がついたヘルメットをかぶった。
時間が来た。
神部は完璧に白バイの警察官に変身した。
これが成功すればアキ達姉妹に、金の苦労をかけずに済む。
当分の間だけだが。
後は俺の運次第だ。
今日手に入れる金を元手に予言の書に賭けてみよう。
神部は慎重に周りを確かめバイクを小屋の外に出した。
チッチッチッチッチ、クアークアー、その泣き声の方に目をやると烏が雀を追っているのが目に入った。
思わず、、神部は呟いた。
「逃げろ!」
必死に逃げる雀とそれを追いかける烏、一分ほど続いたその追跡劇は、結局力尽きた雀によってあっけなく幕を閉じた。
「弱肉強食・・・・か」
気を取り直しバイクにまたがりエンジンをかけた。
心地よい振動が体に伝わる。
助監督の森信さんの言葉を思い出した。
「そのうち銀幕に出られるかもしれないよ」
シナリオとセリフは頭に入っている。
小道具、大道具もすべて揃った。主人公はこの俺。銀幕じゃないが俺にとって一世一代の大舞台だ。
神部は白いマフラーで口と鼻を覆った。
「さあ、全国の観客が俺を待っている」
マフラーに隠れた口元は不敵な笑みに変わっていた。
白バイはゆっくり、目的の場所へと動き出した。
「ショウちゃん、お願い」
アキは昭子に言った。
「チョッと外の新鮮な空気を味わいたいの。屋上に連れてってくれない」
「屋上?外は寒いわよ」
昭子は心配そうに言った。
「大丈夫。直ぐ戻るから。ここにいつまでもいると息が詰まるの」
少し元気が出た姉には、外の空気は気分転換になるだろうと昭子は考えた。
アキはまだ、しっかりと歩く事はできない。足のケロイドが酷く皮膚が突っ張り思うように歩けないのだった。
昭子は車椅子をもって来て、アキを座らせた。
「男の人があんなに涙を流して泣くのを始めて見たわ」
昭子は、浩二が大粒の涙を流す姿を思い出した。
「私も始めて見たわ。涙もろいところがあることは分っていたけどね。あれは酷かったわね」
そう言いながらアキは、顔面に包帯を巻き始めた。
包帯の留め金を付けるのを手助けした昭子は、車椅子を押しエレベーターに向かった。
「お金のことは心配するなって浩二さん言ってたわね」
「そうね」
「何かお金が入る予定でもあるのかしら、宝くじに当ったとか」
「たぶん、予言の書の事言ってるんだわ」
「予言の書?」
「未来の事が事細かく書いてある本を渡されたらしいの。その本を信じきっているようなの」
「そんな本をもらったの?誰から」
「でたらめに決まってるじゃない。そんな本あるわけないわ。あの人お人好しなのよ。そんな本でお金持ちになれるわけないのに」
「そうかしら、私は浩二さんの自信に満ちた目に嘘はないと信じるわ。困った事があったら俺に何でも相談してくれってそう私達に言った時、すごいオーラーを感じたわ」
「世の中はそんなに単純じゃない。頭のおかしい人が書いた本で夢や希望を抱いて食べていけれるなら世話はないわ。人を押しのけ、踏み台にするぐらいの気迫がなければ駄目なのよ。あの人にはそれがない」
「だから、浩二さんを捨てたって言うの」
昭子は、アキの冷たい言葉に一瞬眼が雲った。
二人は屋上に出た。
冷気でひんやりとするが、風がないので寒気はさほど感じない。
「あそこの手摺まで押して行って」
昭子はアキの指差す方へ車椅子を押した。
雲ひとつなく青空が広がっている。
「暖かい缶コーヒーを飲みたい。買ってきてくれる」
「全く人使いが荒いわね」
「病人なのよ、いいじゃないそれぐらい」
昭子は苦笑交じりで仕方なく一階の自販機へと、屋上を後にした。
アキは周りに誰もいない事を確認し車椅子から立ち上がった。
スリッパをきれいに揃え手摺に手を伸ばした。
「ショウちゃん、今までありがとうね」
そう言いながら、アキは手摺を跨ぎ始めた。
はるか下はコンクリートの地面。
誰もいない。
アキは朝日を見つめながら呟いた。
「コウちゃん、ごめんね。でも、…本当に好きだったのは、…」
アキはぎこちなく何もない空間へ一歩足を踏み出した。