クラッシュ
浩二は目をユックリ開いて天井のシミを再び眺めた。
人の顔のように見えるそのシミに呟いた。
「さようなら、アキ」
浩二は椅子から立ち上がり、小屋を後にした。
アキが自動車事故で入院したという話を聞かされたのはそれから一ヶ月ほど経った頃だった。
情報源は、同じアパートの住民、スーさんこと鈴木からだった。
それより前、たまたま鈴木はトラックの運転中、銀色に輝くスポーツカーを発見した。
人目を引くめったに見ない高級車だ、しかもオープンカー。昭和四十年代の初めの話だ。
こんな車を運転するのは、芸能人か、あの男しかいない。と、鈴木は思った。
その助手席にどこかで見たような女性が乗っていた。後姿だけだから判然としないが、でもあの女性は俺の知っている人物だと、鈴木は確信した。
アキの今度の相手は運送会社の社長だった。
年齢は二十代後半、父親の会社を引き継いだ若社長だ。会社の運営は、専務や役員達 にまかせっきり。
ただ社長という肩書きを引き継いだだけの遊び人だ。
その若社長が、最近高級ホステスに入れ込んでいるとの噂が立った。
従業員の内の数人がそのホステスは何者なのかと詮索し始めた。
詮索好きの鈴木も興味を持った。
鈴木にとって相手がアキだと分かったのは一週間もかからなかった。
アキは確か浩二といい仲なのに、まさか、アキの奴、乗り換えたのか。
信じられねえ。
浩二は知っているのだろうか?
そう思いながら、浩二にこの事を知らせようか知らせまいか迷っている間に、
アキが引越しの挨拶に来た。
その後の憔悴しきった浩二の姿に鈴木は憐れみを感じた。
いつものように砂利トラックを走らせていた鈴木は再び、目の前にシルバーのスポーツカーが走っているのを見た。
そして、その車の助手席にアキがいるのを確認した。
「でね、その銀ピカのスポーツカーが前のタクシーを追い越そうとしたとき、運悪く対向車線からトラックが来ちまったのさ。ガッシャーンさ。すごい音だったよ、火花が散ったね。ひどかったねえ。あっという間に車は火だるまよ」
鈴木は事故の様子を浩二に事細かに教えようとしていた。
浩二は鈴木の話を黙って聞き入った。
「運転席の男は、幸か不幸か衝突の衝撃で車の外に投げ出されてね、肋骨二本折っただけで済んだんだ。でも、…」
鈴木は浩二の暗い表情を見て、シマッタと思った。
こんな話するんじゃなかった。と、一瞬後悔した。
いくら振られた相手と言っても、元カノが事故で大やけどを負ったという事を話そうとするなんて、しかも人一倍思いやりの強いこの男にこんな話をしたらもっと、落ち込むんじゃないかと心配になった。
「まあ、二人とも命は助かったんだ。めでたしめでたしさ」
鈴木は、話をそらすため別の話題に切り替えようとした。
「ところで、今度、本町にできたソープランド、いい子いるよ。良美ちゃんって言う子でさ…」
「スーさん、アキはどこの病院に入院してるんだ?」
「えっ?病院。ああ、アキの入院先ね」
「一度見舞いに行きたい」
「ああ、そうだな。たしか、新町の宝病院だったはずだ。一命は取り留めたがひどい火傷を負っているらしい。特に顔なんか相当ひどいらしいよ。そっとしておいた方がいいんじゃないかと俺は思うんだが」
「でも、行ってやらないと。俺に何かできることがあればしてやりたい」
その返答に鈴木はこう言おうとしたが押し黙った。
何もする必要はないよ、お前、アキに捨てられたんだろ?アキは自業自得なのさ。