リセット
自転車の錆び付いた車輪のきしむ音が聞こえる。
どうやら、またあの夢を見ているようだ。
真っ暗なでこぼこの夜道を走るにはこれぐらい錆び付いている自転車がちょうどいいかもしれない。
勢いよく走ったら窪みにはまり自転車ごと横転するのがオチだ。
ペダルを回すたびに出てくる、猫が産気づいたような軋み音には少し閉口するが。
ふと、浩二は思った。
またあの男に会うのだろうか。
もし奴がいたら、いったい誰なのか、今度こそ見極めてやろう。
もし三億円犯人なら、とっ捕まえて分け前をふんだくってやろうか。
という、セコイ考えも湧いてきた。
そんな思いで神部は小屋に向かった。
今まで見た夢よりも、もっと慎重に小屋に近づいた。
自転車を地面に置きドアノブに手をかけた。
ユックリと回す。
案の定 鍵がかかっていない。
なんて不用心な奴だ、って思う浩二だった。
夢の中だと分り切っているのに緊張が頂点に達している。
そうだ、
何か武器を持って入ろう。そう思ってみても
周りは伸び放題の草ばかり。
ユックリとドアを開け中を見渡す。
男はしゃがんで刷毛を必死に動かしている。
塗っているのはバイクだ。
しかも白いペンキで。
これはもう間違いない。
三億円犯人だ。
ふと右を見れば作業机の上に長い金属の棒が置いてある。
「これだ」
俺は思わず声が出てしまった。
しかし、相手は気づかず夢中でペンキをバイクに塗りたくっている。
俺はその鉄の棒を握りしめた。
今日こそお前の正体を突き止めてやる。
そっと、男の背後に近づいた。
「おい!お前そこで何をしている」
神部は大声を出しながら鉄の棒を振り上げた。
刷毛を持った男は手を止めた。
声が聞こえた。叫びのような声だ。
男は思わず刷毛を落とし、慌てて後ろを振り向いた。
突然、ドスンという鈍い音が床を響かせた。
男は腰を抜かし、周りを何度も見渡した。
床には金属棒が転がっている。
しかもドアが開いている。
男は立ち上がり、まずドアの方に向かった。
風もない、外を見渡せば誰もいない。
人の気配がない。
男はユックリとドアを閉めた。
「どうして、開いたんだ?」
男は一人呟き、床に落ちている鉄の棒を机に置いた。
「なぜ…落ちたんだ?」
男は今までの作業を止め、道具類を片づけ始めた。
「今日はここまでにしよう」
そう呟き、男は椅子に座り天井を見上げた。
腕を組みながら考えた。
白木爺さんからもらった『予言の書』の第一行目には、こう書かれてあった。
昭和43年12月10日午前9時半三億円事件が起こる、
今まで自分が練りに練った構想があと、数か月で起こるというのだ。
実行日、時間、場所まで正確に、あの藁半紙に記されている。
俺の頭の中で描いていた計画と同じだ。
信じられない。
決行すれば成功するかもしれないという気持ちガ沸々と男の心に湧いてきた。
バイクを盗んだのは一週間前。このバイクを白バイに衣替えする、白バイの警官服を作り上げるのにある程度時間がかかる。
当分これから徹夜が続くかもしれないナ。
そう思いながら男は目を瞑った。
男の脳裏に、昨日起きた気になる出来事が浮かんだ。
「コウちゃん、私、もうすぐこのアパートを出るの」
突然、アキは俺に言った。
「出るって、引っ越すってことかい?」
アキは頷いた。
「どこへ引っ越すの?…ああ、そうか実家に行くのか」
アキは首を横に振り、寂しそうな顔で言った。
「コウちゃん、長い間ありがとう。いろいろ世話になって、迷惑ばかりかけちゃって」
「なに言ってるんだ、世話したなんて思っちゃいないよ。引っ越した後もいつでもいいからこのぼろアパートに来なよ。歓迎するぜ」
「うん、じゃあ、さようなら」
アキは、踵を返した。
最近、アキと会う機会がなかった。同じアパートにいながらすれ違う毎日が多くなった。
たまに会っても、他人行儀の挨拶だけの時がある。
まるで俺を避けているかのようだった。
俺も積極的に話しかけなかったのが悪かったのかもしれない、しかし、どうもそんな雰囲気にはなれないアキの素振りなのだ。
ヒョッとすると、終わったのかな。
いや、それはないか。もともと、始まりはないから…。
そんな自虐じみた気持ちが心をよぎった。
そしてついにその日が来た。
アキの引っ越しの日に、俺は全てを悟った。
やはり終わったのだ。
俺は、アキの事が気になり、引越しの当日その後を距離を置いて尾行した。
遠くの方で、シルバーカラーの車が止まっていた。
スポーツカーだ。外車だろうか?
アキはその車の助手席にに乗り込んだ。
遠目のため運転手の顔がはっきりしない。
前に見た老人ではなさそうだ。
スポーツカーを乗り回す男だから俺とそう齢は変わらないかもしれない。
新しいパトロンか、それとも恋人なのだろうか。
浩二は走り去って行く車を視界から消えるまで見送っていた。