もう一つの過去2
神部は気を取り直し、両手をしっかり握りそのコブシを見つめた。
「受け入れるしかない。これが現実なんだ」神部はそう自分に呟き、言い聞かせた。
神部は、『予言の書』を手に取りもう一度その中身を見直した。
「俺が今まで事業者として成功できたのはこの予言書のおかげだ。土地の高騰が始まるという予言から、まず不動産会社を立ち上げることに着手した」
神部は一人呟きながら、それを確認するように頷いた。
当時、金に縁のなかった神部に金を恵んでくれる人物や、銀行などありはしない。
神部が不動産会社を立ち上げるのに得た軍資金は、酒井が記した競馬の予言からだ。
酒井は正確に記していた。
どこの競馬場で、その開催年月日、何レースでそして勝ち馬の名前が、こと細かく書いてあった。
酒井は自分が参加した競馬場のレース全てを記したのだった。
半信半疑で、神部は持ち金全部はたいて最初に書かれていた競馬場に出向き。予言書に記されていた馬に賭けてみた。
ものの見事に当たった。
元手が少なかったために、手に入れた金は大金とまではいかなかったが、しかし勝ったことは確かだ。
神部は、それに味を占めた。
仕事で稼いだ金を持って次から次へと競馬場に通うことになった。
アキにも金を融通してもらった。
どのレースも勝った。
そうやって軍資金は順調に貯まりはじめた。貯まった金を銀行に預け信用を作っていく。
神部の軍資金は競馬の馬券によって得たカネだったのだ。
ところが、今、持っている『予言の書』には競馬の勝ち馬の情報が載っていない。
「なぜ載っていないのだ。俺はどうやって軍資金を稼いだのだ?」
神部はそんな素朴な疑問を抱いた。
そんな思いで何気なく予言の書の最後の行をめくった。
神部はその行で目が留まった。
「そんな…嘘だろう」
神部はその書かれている言葉を復唱した。
「私はその日の午前零時に、風呂場で意識不明となる。
それが私のタイム・アウトということだ」
神部は『予言の書』の最後の行を何度も何度も繰り返し読み直した。
この行には自動車事故に遭ったという事が書かれてあったのに…。
いつの間にか風呂場で意識不明と書かれてある。
通夜から帰ってきた昭子に俺は聞いてみた。
「ショウ、おかしなこと聞くようだが…つまり、酒井が亡くなったのは自動車事故だったよな?」
昭子は、妙な表情で俺の顔を見つめた。
「そうよ、あの『未来の書』に風呂場で倒れると書かれてあったから、あなたは酒井さんを名古屋へ出張させたのよ。」
「そうか、やっぱり…」
「飛行機でてっきり行ってると思ったのに、まさか自動車で行くなんて」
「なるほど」浩二は何か目の前の不透明な視界が少し開けてきたように思えた。
「あなた大丈夫、顔色が変よ」
「ちょっと、疲れているんだ。いや、大分疲れているらしい」
「早く横になった方がいいわ。今日の11時には告別式があるのよ。始まったら休んでる時間はないわよ」
「そうだな」
ベッドで横になり俺は思った。
俺はノートに記されたもう一人の俺と入れ替わったみたいだ。いや、それとも周りが入れ替わったのか…。
ヒョッとするとこれは夢なのかもしれない。目が覚めれば元に戻るのじゃないか。そんな淡い期待を望んだ。
元に戻らなければ、俺はたぶん重度の健忘症か痴呆症にかかっているんだ。
そうさ、どうってことはない。酒井に置き換わった白木爺さんが運命を受け入れた時の心境がいま理解できた。
なるようにしかならない。
半分あきらめの気持ちで神部は夢の中に入り込んだ。