予言の書
昭子の看病のおかげで体調も良くなった浩二だった。
浩二はもう一度、白木爺さんに会いに行こうと思った。
まだ、家賃を渡していない。というよりも、名古屋のあの件で渡すのをスッカリ忘れてしまったのだ。
今日は、なにが何でも金を受け取ってもらうわなければと心に決めた浩二だった。
白木爺さんの部屋に入るやいなや
「いやあ、神部さん。待ってたよ」と、元気のいい声が部屋に響き渡った。
今日の白木爺さんはなぜか御機嫌だった。
「これをあんたに渡すよ」
白木は藁半紙の束を神部に差し出した。
「なに?これ」
「まあ,読んで見なさい」
その色褪せた粗末な半紙にはボールペンでびっしりと文字が書かれてある。
「何が書いてあるんだ?」
「これから起こる事さ」
「これから起こること?」
「未来が記してある。昨日はそれを書くため徹夜したよ」
「未来?」
「言っただろう。私は、未来からやってきたんだ」
「最初は面食らっちまったよ。なにせ、気付いたらこの白木という爺さんの体に置き換わっているんだからね。全く、信じられん」
「…どうやら、このままこの体で終わるのかもしれないと思ったら、少し気が楽になってね」
白木はタバコを口にくわえ火をつけた。
煙を吸い込んだ途端、激しく咳き込んだ。
「白木の爺さんはタバコは吸わなかったよ」
激しく咳き込む白木を見て、浩二は心配そうに告げた。
「どおりで、気持ちわるーい。うぇー。久しぶりだよ。タバコでこんなに咳き込むなんて」
白木は粗末な波を打ったようなアルミの灰皿に吸いかけの煙草をもみ消した後、お茶を一気に口に流し込んだ。
「神部さん、あんたは将来、会社を起こす。その会社は日本で、いや世界に知られるトップ企業になる。実を言うと私はあんたの部下だったんだ。あまり役には立たなかったがね。ホントに世話になった。と言ってもこれから先の話だが。で、恩返しと言っちゃなんだが、これから未来に起こる全ての出来事を私の知る限り詳しく書いた。このわら半紙にね。参考にするがいい」
浩二はそのわら半紙の塊を受け取りざっと目を通した。
「携帯電話?ポケットに入れられる電話?スマホ?3Dテレビ?コンビニ、パソコン?コンピューターが子供でも扱える?簡単に誰でも買う事ができるパソコン?、空前の土地ブーム、バブル景気?ナビゲーションシステム… 」
浩二は思わず苦笑した。
「なんだい、これ?まるでマンガだ。SFの世界だな」
「そうだ,今から考えればね。しかしそれは確実に現実となる」
「ふーん、…もしこの書いてある事が本当なら…白木さんの言ってることが本当なら」
「本当なら?」
「白木さんじゃなくて、酒井さん…だったよね」
白木はゆっくりと頷いた。
「四十数年後に自動車事故に遭うんだよね。そして爺さんは、いや酒井さんの魂がこの過去に蘇る。なんか複雑で頭がこんがらがっちゃうけど……とんだ災難が起きたわけだ」
「しょうがないさ。これも運命だ」
「助けてやるよ。あんたが将来、その自動車事故に合わないようにしてやる」
白木は驚いた顔で浩二の顔を見つめ、そして軽いタメ息を吐いた。
「なるほど、嬉しいね、だがどうかな。これは現実に起こる事だ。これが私の運命。もしその事故に会わず、私が生き延びられたとしたら、未来が変わって行くんじゃないかな。時の流れに狂いが生じおかしな事になりはしないか。事故に遭ったから今、私と君はこうやって話し合えてる。そうは思わないかい。私が事故に遭わなければ、神部さん、あんたのバラ色の未来はヒョッとすると無くなるかもしれないんだよ。それどころか、今のこの世界が消滅するかもしれない。そうは思わないかい」
白木は腕を組み神妙な顔で神戸に話したのだった。
酒井が風呂場で意識を失い一週間が過ぎた。
神部は、酒井を助けてくれ、と院長に土下座して懇願した。
完全看護で、金に糸目をつけずありとあらゆる最先端医療の処置が酒井に施されている。
しかし、容態は芳しくなかった。
「なぜ、風呂場なんだ?…自動車事故で意識不明になるはずなのに」
神部は何度も自問した。
事故にあわないようにと、神部は酒井をこのペントハウスで軟禁状態にした。
車に乗せなければ事故にあうことはない。
あの時、白木の爺さん、つまり酒井と交わした約束、『酒井を助ける』という誓いを果たそうと神部は実行に移した。
ただ、酒井が事故に遭わずこの世界で生き残れば、神部が体験した過去は存在しなかったことになる。
だとすれば、この現実は存在しなくなるか、それとも消えてしまうかもしれない、と神部は考えていた。
それを覚悟の上で昭子の同意を得て酒井を助けることにしたのだ。
元々、あのわら半紙に書かれた予言書を参考に神部は人生を勝ち続けてきた。
全ては酒井のおかげなのだ。
その酒井が自動車事故に遭うと分っているのに見過ごすわけにはいかない。
今まで酒井のおかげで幸せな人生を過ごさせてもらった。
せめてもの恩返しという、そんな気持ちから思いを実行したのだった。