アキ
翌日、アキ(昭子)は浩二の部屋で、朝食の用意をしていた。
浩二はせんべい布団にくるまって震えていた。
どうやら昨日の夕立の太刀周りで風邪を引いたようだ。
たまたま昨夜、屋台のラーメン屋でアキ(昭子)と浩二は出会った。
元気のない青白い顔の神部を見てアキは心配になり朝早く、浩二の部屋を訪れたのだった。
「はい」アキは、欠けた茶碗にアツアツのおかゆを満たし、差し出した。
「悪いね」
浩二は、虚ろな目で昭子を見つめた。
「あの時助けてくれたお礼よ」アキは、チンピラから助けられた礼をまだ浩二に言ってなかった。
「あんなのどうってことねえさ」
「私,今から出かけなきゃ行けないの。おかゆが鍋に一杯こしらえてあるから。それ食べてね。帰ったらまた寄るから」
「今日は非番じゃないのかい」
浩二の問いかけにアキは寂しい笑みを返しただけだった。
男臭い部屋に,甘い香りを残してアキは部屋を出ていった。
パトロンか。
浩二の頭にある人物の顔がよぎった。
ずいぶん前にタクシー帰りの昭子をたまたま見かけたのだ。
後部座席の隣には、年配の男性がいた。
品のいい感じの老人だった。
確か歳は七十前と昭子から聞いた。
全く最近の爺さんは元気溌剌だ。
繊維会社の会長さんだと言ってたなあ。
死んだ孫がいてその孫をアキに投影させているらしい。
男と女の関係じゃないってアキは言ってたが…どうなのかな…。
昭子は長野の出身、透き通る肌の白さは空から落ちる純真無垢な白雪を彷彿させる。
昭子には弟が一人いる。
父親を早く亡くし母親が二人の面倒を見てきた。
その母親が交通事故で不自由な体になった。その時から、一家の生計は全て昭子にのしかかった。
中学に入学した弟と車椅子生活の母親二人を養わなければならない身の上となった。
高校を卒業し直ぐ東京に働きに出てきた。
会社に勤めるが、妻子持ちの上司にしっつこく言い寄られ結局その会社を辞めざる終えなくなった。まだセクハラ、パワハラ等ない時代だ。
再就職するにも、途中で勤め口を辞めた女性には就職口の門戸は厳しい。
しかも、家族を養わなければいけない。それ相応の身入りのいい職場など皆無に等しい。
右も左も分からない、うら若い女性がこの東京で見入りのいい職場といったら当然、答えは決まってる。
高級クラブに籍を置いたのは数年前、器量の良さと心づかいの細かさで、今ではナンバーワンのホステスになった。
普通だったら高級マンションで暮らせる収入のはずだが、金はほとんど実家の方へ仕送りしているらしい。
だから、このぼろアパートで甘んじている。
もちろんそのおかげで浩二は昭子と出会えたのだが。
気さくな昭子は独り身の浩二にとって唯一気軽に話し合える異性の一人だ。
浩二は黒いシミが浮き出た天井を見ながら思った。
この世の中、どんなにきれいごとを言っても金がなければどうしようもない。
きれい事を言える身分になるにはまず金が必要だ。
金がないから金の汚さを知る、金がないからその力、傲慢さにひれ伏してしまう。
そして愛でさえ、全ては金…金なんだ。
浩二はふっと昨日の白木爺さんとの会話を思い出した。
自分が一体誰だかわからない白木の爺さん。
今から四十年以上先の未来で自動車事故を起こし、気付いたら過去に逆戻り。
しかも、どこの馬の骨か知らない爺さんの体に乗り移ってしまったという事らしい。
にわかに信じられない話だが昨日の名古屋の一件で マジか?と思った浩二だった。
「あの事故で私の魂が時空を飛び越え過去に舞い戻った」そう言った白木の言葉が本当だとしたら。
もし事実なら… 、浩二は思いを巡らした。