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凱旋なき盾を捨てて

作者: ラルラリア
掲載日:2026/06/18


ギルドの掲示板から、依頼クエストの管理札をすべて引き剥がし、受付の重い窓口を閉ざした。

表向きには「魔力の枯渇による一時閉鎖」なんて適当な理由をギルド長に報告したけれど、本当はいくつもの複雑な理由が絡み合って、私の心がもう限界を迎えていたからだ。


何より、あの男――高ランク冒険者である彼の存在から、逃げ出したかった。

「俺、このギルドの依頼を受けにくる連中といると、いつも嫌な思いばかりするんだよね」

彼は酒場で荒々しくジョッキを煽りながら、よくそう吐き捨てていた。でも、違う。

悪いのはギルドの仕組みでも、他の冒険者たちでもない。ただ、自分の思い通りに討伐や探索が運ばないから、周りにダメ出しをして、新人を責め立てているだけ。自分のその振る舞いが、行く先々でトラブルを引き起こし、ギルドの治安を最悪にしていることに、彼は気づいてすらいない。

本人は、経験豊富な先輩として指導してやっているつもりなのだろう。自分が執拗に口出しをして、他人の領域を荒らしている自覚なんて、きっと微塵もない。

だからと言って、「悪いのはあなたですよ」と受付嬢の私が優しく指摘することさえ許されなかった。一度でもそんな気配を見せれば、彼は戦士としてのプライドを激しく傷つけられたように、武器の柄に手をかけて怒り狂うから。

「じゃあ何!? 俺の戦術が間違っているっていうのか!? この俺が!?」

宿舎に響き渡るような大声で凄まれるのが怖くて、私はいつも言葉を飲み込むしかなかった。

彼は、とにかく勘違いと思い込みが激しい。

こちらの説明を最後まで聞く耳を持たず、的外れなところで突然怒り出す。どうして今、ここで怒るの?と、呆然とするような場面で、彼の導火線には火がつくのだ。

そして一度怒り出すと、もう手がつけられない。

彼の怒りを鎮めるための、お決まりの儀式が始まる。まずは相手の冒険者や私に理不尽な謝罪を強要し、ひとしきり頭を下げさせてから、ようやく少しだけこちらの言い分を聞く。そこでやっと「自分の勘違いだった」と気づくのだ。

けれど、返ってくるのは反省の言葉ではない。

「だったら、もっと早く言えよ!」

逆恨みのような不機嫌を、またカウンター越しに私に投げつけてくる。

一度凍りついた彼の心は、そう簡単には溶けない。頑なで、冷たくて、対話の余地なんてどこにも残されていない。高ランクという絶対的な力にすがっているのか、話し合いも、問題の解決も、彼が相手である以上は不可能なのだ。

彼が受け入れるのは、自分にとって都合の良い条件、自分の気が済む結末、それだけ。

それなのに、すべてが思い通りになった後でさえ、「戦いの興奮が冷めるまで何日もかかるんだ」と彼は言う。「俺は慎重に戦況を見極めたいタイプだから」なんて、いかいも思慮深い一流の戦士であるかのように気取って。

単なるワガママなだけなのに。

彼の機嫌を損ねないよう、言いたいことも言えず、ただ我慢を強いられる日々。ストレスは呪いのように体内に蓄積し、私の胸を圧迫し続けた。この酒場と受付を運営していく中で、彼の存在はいつしか、私の心を蝕む魔物そのものになっていた。

「おい、次の依頼はこれにしろ」

彼に命令されるのが嫌で、私はいつも先回りをしていた。遠回りだと分かっていても、クエストの発行手順や他のパーティへの割り振りをあらかじめ変えておく。彼の的外れな判断や意見を、攻撃をかわすように巧みに避け、ギルドとしての正しい判断を通すために。


そんな神経をすり減らす、戦場よりも過酷な隠れん坊に、とうとう限界が来た。

私はギルドの運営権を手放した。あそこを去って、楽になる道を選んだ。

彼は、他人が一番痛がるところを正確に突いてくる。傷口に塩を塗るような酷い言葉を、感情に任せて平気で浴びせてくる。そんな男に、もうこれ以上付き合いきれなかった。

従わなければ力で威圧し、思い通りにいかなければ不機嫌になる。そしてその不機嫌は、彼の頭の中で次の怒りをどんどん生産し、短時間でまた大爆発を起こす。その無限ループ。

理不尽な男だから、ギルドの規約という正論を突きつけて、木っ端微塵に負かすことだって、やろうと思えば出来た。私の手元には、いつでも彼を追放できるだけの違反記録が並んでいた。

でも、それをしたら、本当に終わりだ。

あのプライドの塊のような男に正論をぶつけても、復讐の憎悪しか生まれない。それを分かっていたから、私は最後まで何も言わずに、ただ静かにギルドの重い鉄の扉を閉めた。

明かりの消えた受付の奥で、深く息を吐き出す。

もう、彼の足音や、鎧のこすれる音に怯える必要はない。私の静かな日常が、ようやく戻ってこようとしていた。

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