2.ふたりで過ごす夜*
※R15
やっぱり若いな。
酔っていると思ったがしっかりした足取りで二階へと上がってくるイデアルに、ネージュは微笑んで見せた。
空いている部屋まで先導していると、木製の引き戸の向こうから情事の声や物音がささやかに聞こえてくる。しかしここでもリュートの音色が調和し、音楽の一部のようにも聞こえてくるから不思議だ。
「こちらです。寝台に腰掛けてください」
「椅子はないのか」
「そんな無粋なもの、ありませんよ」
ネージュが答えるとイデアルもまた顔を顰めるから、「かわいいなぁ」という声は胸の内に収めておいた。高級娼館シャルムで慣れていない客は珍しい。
イデアルはまだ二十代なのだろう。言動に緊張を感じとり、新鮮な気持ちになった。なにしろこっちも久しぶりに客と部屋に入ったのだ。
オメガは特に若い子が好まれるから、三十も過ぎれば薹の立った男娼と言われる。売れっ子だったネージュも徐々に指名が入らなくなり、前任者の勧めもあって花車の道を選んだ。
小さな卓には酒器を準備してある。ネージュはガラスの器に酒を注ぎ、イデアルに渡した。
「お前は飲まないのか」
「ネージュです。飲んでいいんですか? 嬉しい」
好きにしろと言われたのでもう一つ器を取って、有難く乾杯させてもらう。金はあると知っているが、了承も得ずに飲むような男娼はこの店にいない。
ひと口飲むと、話を始める前からネージュは立ち上がる。イデアルが小さく身じろいだ。
(かーわい。襲われると思ってんのかな。もしかして期待してる……?)
ネージュを相手に、そんなわけないか。
壁に立てかけておいた小さめのリュートを取って、元の場所に座った。
床であぐらをかいた状態から片膝を立ててリュートを安定させると、イデアルの目が輝く。腕は認めてくれているらしい。
胸の奥から温かいものが込み上げてきて、ネージュは唇に笑みを乗せながら小さな声で歌い始めた。
「さっきの、下で弾いてた曲はネージュの作ったものか?」
「いえ、幼い頃に母が歌ってくれた子守唄なんです。誰も聞いたことがないというので相当辺境の出身なのかもしれません」
お前と言われるたびに「ネージュです」と返していたらようやく名前で呼んでくれるようになったイデアルは、知らない曲の方に興味が湧いたらしい。
娼妓だった母は、ここの生まれではなかったのだと思う。ネージュと同じ漆黒の髪に白皙の肌と赤い瞳を持っており、外国の人も訪れるレーヴでも同じ特徴を持つ人は見たことがない。
「北方の国では黒髪が多いと聞く。キャラバンの一員で流れてきたのかもしれないな」
「ふうん……。ねぇ、眠いなら横になったらどうですか?」
「徹夜には慣れている」
「いや、あはは。眠そうだし。日が出たら起こしてあげますよ?」
グレーの瞳は眠そうな瞼に半分覆われかけている。
騎士が娼館にくるときはひと仕事終えたときが多い。もしかしたら、しばらくちゃんとした睡眠を取っていないのかもしれなかった。
ネージュが上着を脱ぐよう促すと、素直に脱ぎ始めたため手伝う。体を近づけると、汗とは違ういい匂いがした。高い香水を使っていそうだ。
「……あら。それ、抜いてあげましょうか?」
「え? ――そんなのいい! 寝てれば収まる!」
イデアルの股間が膨らんでいることに気づき、ついネージュも昔の癖で提案してしまった。今はそんなこと、しなくていいのに。
全く色っぽい雰囲気でもないし、疲れで勃ってしまうこともあるだろう。耳たぶを赤らめてそっぽを向いてしまったイデアルをそれ以上虐めないことにして、ネージュは寝台のシーツをめくってあげた。
「ほらほら、おやすみなさい。また子守唄を歌ってあげましょうか?」
「……うん」
やっぱり可愛い。
イデアルの柔らかくうねる髪をそっと撫でてやると、黄金色のまつ毛が伏せられる。少年のような寝顔に胸が小さく跳ねた。
スッと一瞬で眠ってしまった男の横顔をしばらく見つめてから、ネージュはリュートを再び抱えた。約束は守ってあげないと。
「……ん……」
なんだ? 隣の部屋から聞こえる?
一階が閉まればもう、リュート奏者も帰ってしまっている。
何をしてたんだっけ。確か子守唄を歌って、イデアルの残した酒を一人で飲んでいた。それで、眠くなって……少しだけ、寝台に背を預けて目を閉じた。
「あぁ……」
くすぐったいような、ぞわぞわする感覚が全身を満たしている。ひどく懐かしい、気持ちが良くてもどかしい感覚。
まるで、発情期みたいな…………
「えっ」
パチ! と目覚めると天蓋の天井が見えた。
お客様の寝台に上がってしまった? いやいやそれよりも。……おかしい。とってもまずいことが起きている。思考が霞んで……気持ちいい。
やけに近くで聞こえる喘ぎ声はネージュ自身のものだ。鈍く光る髪が視界にちらつき、やっと現状、イデアルに覆い被さられていることに気づいた。
衣装が左右にはだけられ、イデアルの舌が這い回る。時折り噛まれ小さな痛みが走るも、ぞくぞくと快感に変わるだけだ。
懐かしい。懐かしすぎる感覚。もう来ないと思っていたのに……
(発情期が……来てる!?)
ネージュは元々発情期が不安定なオメガだった。一度だけ医者に診てもらったときは心因性のものだと言われて、娼館勤めだものなぁと諦めていた。
稀に強いアルファ性を持つ人のそばに侍ると誘発されることがあったが、二十代のうちに枯れたのかここ数年は来なくなっていた。
だから、すっかり油断していたのだ。準備も誓約書もなく、アルファと発情期に入ってしまっている。
まずい。まずいのに……
発情期に抱かれるのは虚しくて嫌いだったのに……今はどうしようもなく、欲しい。
「きて……」
思わず呟くと、けぶるグレーと目が合った。そこには理性なんてとっくになく、ただオメガを求める欲が宿っている。
体がカッと熱くなり、ネージュの思考も本能に覆いつくされる。
項に舌が這わされ、快感と本能的な恐怖が一緒くたになって襲い掛かってくる。
アルファの牙が、食い込んでくる。
「――~~~っ!」
それは、世界がひっくり返ってしまったような感覚だった。ネージュは真っ白な空間に投げ出されて、束の間心細い不安に襲われる。
そのとき白い手に大きな手が被さってきて、とっさに掌を返し指を絡めた。不安は安堵に変わった。
(私は……この人のもの。この人は……私のもの……)
気づけばネージュの目からはぽろぽろと涙が零れていた。こんなにも満たされた心地になったのは初めてで、幸せで。
ひっく、ひっくとしゃくり上げてイデアルに心配された気もしたが、そのまま熱が冷めるまで交わり続けた。




